その日はおよそ一ヶ月ぶりの休日だった。
池袋プロダクションというブランドのお陰でデビュー当初からそこそこの注目を浴びていた僕らは一年以上もオフの日がない、というような大ブレイクは経験したことがない。
それでもアルバムのリリースをひかえ、更にはアリーナツアーの準備も始まったこの時期は少々忙しくなる。それに加えて僕は絶賛放送中の連続ドラマに出演中で、主演ではないもののヒロインの兄役というそれなりに出番の多い役柄として撮影に挑んでいた。放送も中盤にさしかかり、先日クランクアップを向かえたばかりだ。もちろん僕らの所属する池袋プロダクションの冠番組は隔週で撮影があったし、僕と相方の臨也、「生物部」がパーソナリティを務めるラジオ番組は毎週生放送。更には最近準レギュラーとして呼んでもらえるクイズ番組、アルバムの宣伝として単発でバラエティ番組に出させてもらうこともある。合間を縫ってアルバム曲の作詞作曲にレコーディングやジャケット撮影、コンサートの構成にグッズのデザイン。家にはほとんど寝に帰っている状態だったのだ。
ドラマの撮影が終了したことと、アルバムに関するものがおおかた片付いたことにより、本格的にツアー準備が始まるまでは比較的息の吐きやすい日々が保障されている。ちなみに明日も21時からのラジオ生放送しか仕事の予定がないので、ほとんどオフのようなものだ。
すなわち、一ヶ月ぶりに二日間、恋人と一緒に過ごせるのである。
一応アイドルではあるが、僕には恋人がいる。若手アイドルに恋人なんてご法度だけど、もとより隠す気のない僕は、デビュー当初、まだ彼女に片思い中の頃からその存在を公表していた。
アイドルには純粋さも大切だが、キャラクター性も大事だ。
「好きな女性に一途で、二十年の片思いの末についに実らせた」って、あえて逆手に取ったキャラクターらしくていいじゃないか。っていうのは、池袋プロの社長兼プロデューサーである九十九屋真一の言葉だ。
彼女も仕事続きだったようだから、遠出はせずに近場でのんびりとデートか、家でゆっくりするのも悪くないなと考えるだけで昨晩はなかなか寝付けなかったものだ。身体は連日のハードスケジュールでくたくただったから、一度眠ってしまえば朝までぐっすりだったけど。

『すまない新羅、今朝メールが入っていて、今から出ないといけなくなった』
彼女の仕事は不規則だった。朝は六時半に起床して、満員電車に約三十分揺られて出社、十八時には退社して僕のために毎日おいしい夕飯を作ってくれる―――、なんて生活じゃあないから、お互いに。急な仕事は僕だってときどき入る。仕方ない。大丈夫だよ、行ってらっしゃい、気をつけて。いってらっしゃいのハグは適当にあしらわれる。ここまでが僕の日常。
一緒に見ようと録画しておいた金曜日にテレビ放映された映画。ふたりで通信プレイしようと彼女が買っておいてくれた、僕らの好きなアクションゲームのシリーズ最新作。彼女と一緒だったらなんだって楽しいのに、どれもやる気が起きなかった。
一人でゆっくりするのもいいけど、彼女と過ごす予定だったからどうも人恋しい。
久しぶりに一緒にお昼ごはんでも、と思い友人と連絡を取ってみる。羽島幽平の兄で、彼のSPでもあり、今はときおりモデルの仕事もやっている彼は、同じ業界で生活するだけあって仕事で顔を合わせる事もある。プライベートでは数ヶ月ぶりだろうか。繋がらない。数分後、折り返し連絡がくる。どうやら来年公開の羽島幽平主演映画の撮影で今は地方に飛んでいるようだ。
残念ながらそうなると僕の選択肢はもう一つしか残されていないのである。何せ僕の友達はたったふたりしかいない。
彼に連絡することを躊躇うのには理由がある。最近はほぼ毎日顔を合わせているからだ。
「生物部」として活動する相方の臨也は中学時代からの友人でもある。
二人での活動が活発でないときでも最低週に一度はラジオの生放送で顔を合わせるし、今の時期はレコーディングやツアーの打ち合わせが入るので、今週なんてすでに五日は顔を合わせている。それに個人の仕事のときでも、彼はなんだかんだ「近くに寄ったから」とかいうあからさまな言い訳をして僕の仕事を見学していくこともあるのだ。本当はいついかなるときもセルティと一緒にいたいから仕事がどんなに忙しくても家には帰りたいのだが、夜遅くまで二人での仕事のあと、翌日も朝早くから二人での仕事、となると一人暮らしの彼の家に泊まることもある。誰だって学校の友達や職場の同僚と休日に遊びに行くこともあるから普通なんだろうけど、それにしても、という感じだ。
たしか彼も、今日は個人の仕事は無かったと思う。
彼は僕と違ってプライベートで会うような友達が相方の僕以外皆無であったし、ほとんど趣味といっても差し支えない副業の方で予定があったとしても僕が誘えばよほどのことがない限り飛んでくるだろう(これは自惚れでも何でもなく、客観的に見た事実として)。
とはいえ相方とプライベートで会うのはちょっと疲れる。なんだかんだ彼といれば仕事の話になるし、二人きりになったら彼が「そういうこと」を持ちかけてこないわけがない。ただ、そういう意味では人恋しさを埋めるには最適な相手でもある。どうしたものか。

『やぁ、暇してる? さっき黒バイクが走っていくの見かけたよ』
悩む間もなかった。どうやら池袋近郊に来ているらしく、彼のほうからめざとく電話があった。そうでなくとも並々ならぬ情報収集力を持つ彼はセルティに急な仕事が入ったことも知っているかもしれない。
『ね、セルティいないなら一緒にランチでもどうだい? A誌の特集に載ってたカフェ、発売前に行こうよ』
A誌は僕らがときどき載せてもらっている情報誌だ。今回はアルバムの宣伝を兼ねてインタビューを載せてもらったので、発売前に一冊貰ったのだ。臨也が言っているのは池袋駅からも徒歩圏内の隠れ家的な雰囲気のカフェで、手作りサンドウィッチが絶品らしい。僕がなんとなく「おいしそう」と言ったのに対し、「行こうよ」と彼が誘ってきたのは記憶に新しい。きっと雑誌が発売されてからしばらくは混雑して、若い女性にそれなりに人気な僕らが行ったら大騒ぎになるだろう。
『そのあと、ね? だめ?』
そのあと、なんだよ。いや、続く言葉は分かっているのだけど。
出会ったばかり、それからデビューして間もなくは素直じゃなかったのに、この数年間でずいぶんと図々しくなったものだ。
……とは思うものの、ファンの皆さんはご存知のとおり、なんだかんだ僕は営業なんかじゃなく、普通にこの相方には甘いことを認めざるを得ない。
「いーよ。いつものところ行けばいい? 三十分くらいでいけると思う」
『あ、ごめん。今、君んちのマンションの前』
「はぁ」
『行っていい?』
行っていいも何も、セルティの仕事云々も関係なく元から来るつもりだったんじゃないか。
ライブの後はいつもまどろっこしい感情なんて全部放ったらかして求めてくる図々しい僕の相方は、ひとたび仕事という名目を失ってしまえば、わざわざ僕の恋人が不在の日にランチを口実にしないと相方をデートにすら誘えない。そういうかわいい奴なのだ。
「いいよ。準備するから、入って待ってて。たまにはカフェでゆっくり仕事と関係ない話でもしてさ、それから君の部屋でたっぷりイイことしよう」
電話口から時間が止まった気配がする。必死に緩みそうになる表情を隠そうと俯くさまも、頬を赤らめてなにか言葉を探そうとするところも、全部容易に想像できる。それだけの時間を僕らはふたりで過ごしてきたし、きっとこれからも過ごしていく。
それから部屋に入るなり飛びついてきては「やっぱりカフェ行くのやめない?」とのたまう臨也を外に連れ出して、カフェでとあるファンに目撃された僕らの休日は「お忍びデート」としてSNSで拡散されるのだが、あながち間違ってもいないのだった。


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