満を初めて見たのは友人に連れられて赴いたカフェであった。

 生きる糧としていた小説の執筆がどうにも進まず、行き詰っていた時、同じく書き物をしている友人が突然家まで誘いに来たのだった。
「そんなことをしている暇はない。それに、私はそういう場所には興味はないのだ」と突っ返しても、陽気な友人は「女と話していれば、小説のネタなどいくらでも浮かぶだろうに、本当に君は偏屈だな。それなら、君は隣でコーヒーでも飲んでいたまえ」と私の首根っこを掴んで引きずって行ったのである。
 明るい装飾のカフェでは、華やかに誂えたエプロンをかけた女給たちが、蝶か花かのように客のもとを飛び回っては、あちらこちらで甲高い笑い声をあげていた。
 友人はそんな女達にチップをばらまいては、どうしようもない話に花を咲かせていた。
 友人の仕事の話やら、抱いた女の話を聞いて、何が可笑しいのか、女たちはからからと笑っている。
 私は話に入れずに、友人に言われたとおりにちびちびとコーヒーを飲んでいた。意外にもそれは、こんな俗物的な空間で、独りぼっちでいる悲しみさえも吹き飛ばすほどの美味であった。
 空になったカップを机に置いて、手持無沙汰に友人が女達と話しているのを聞いていたが、次第にそれも退屈になった。
「あ、あの」
 心ここにあらずで、空想にふけっていた私に、不意に話しかけた者がいた。
 声のした方を見やると、そこには、他の女給のようにエプロンを下げて着飾った少女が、申し訳なさそうな顔して、ポットを持って立っていた。
 思うに、その少女は、周りの女たちよりも、いくつか幼いように見えた。
 彼女は、私が彼女自身を認めたことに気付いて、安堵したような表情を見せた。
「よろしければ、コーヒーをもう一杯」
 手にしていたポットを、強調するように持ち上げながら、少女は穏やかにはにかんだ。
 なんと都合が良いと思いながら、「それでは」と、カップを彼女の方へ差し出すと、少女も嬉しそうに破顔した。
 彼女が飲み物を注ぐために、おずおずと私の前に手を伸ばしてきたとき、その手のあまりの白さに私は思わず息をのんだ。
 月のように白く光る彼女の骨ばった小さな手いっぱいに、白磁のポットを持って、カップになみなみとコーヒーを注いだ。
 その光景を、私は網膜に焼き付けるかの様に、瞬きもせずにじっと見続けていた。
 私の不躾な視線に気づいたのか、少女はやりづらそうに目線を彷徨わせながらも、仕事の手を休めることはなかった。
 「どうぞ旦那様」
 粗相することもなく、ようやく仕事から開放された彼女は安堵の笑みを浮かべて私にコーヒーを勧めた。
 少女が入れたばかりのコーヒーは、気のせいか先程のものよりも幾分か美味しく感じられて、気分が良くなった。
 目の裏には彼女の手の美しさばかりが写っていたが、幸いにもその思い出は私の仕事を進めるのを手伝ってくれそうであった。
 図らずも友人の言うとおりになってしまい、悔しく思っていると、先ほどの少女が未だに私のそばを離れていないことに気づいた。
 そういえば、と店のことを思い出して、彼女に渡すためのチップを懐から取り出した。
 「気が利かなくてすまないね」
 「いいえ、ありがとうございます」
 金を請求するのは浅ましいと思っているのだろう。少女は恥じらいからか赤面していた。
 その紅潮した頬が、白く痩せた手が、私の脳内にチカチカと点滅した。
 その点滅の間で、突拍子もない考えが浮かんで、少女が手を伸ばして受け取ろうとしていたチップを不意にひっこめた。
 少女はなぜ私がそんな意地悪をするのかわからずに、どうしたらいいのか戸惑っているようだった。
 「あ、あの」
 薄い眉をハの字に下げて、少女は悲しそうに私に問いかける。
 こんなこと、言おうか、言うまいかと悩む前に口から言葉は滑り落ちた。

 「君、よければ私と一緒に住まないか」

 言ってしまってから、私はひどく動揺した。
 こんな怪しい男の、突然の怪しげな誘いに一体誰が乗るというのだろうか。
 頭をかきむしって転げまわりたいほどの後悔に苛まれながら、私を気味悪く思っているであろう少女の顔を見上げた。
 すると、意外にも少女は頬を赤く染めて、困惑しているような表情を浮かべていた。
 「冗談はおやめください……」
 口元に手を当てて、少女はかすれた声でそう言った。
 「冗談などではない! 」
 思わず声を荒らげて、少女の目を見つめる。
 ガラス球のように透いた瞳に天井から吊られた照明の光が揺れた。
 「本当に、ですか? 」
 「もちろんだ。君さえいいのなら」
 少女は思案しているように眉をキュッと寄せ、口を歪めていたが、やがて何か思いついたのか口を開いた。
 「店の者に聞いて参ります」
 少女は決心したように私にそう告げると、ひらりと私の席から去っていった。
 なんだか身請けのようだと思いながら、あまりすわり心地の良くないソファーに身を沈めると、不意に不安がよぎった。
 犬や猫の子ではあるまいに、ほいほいよその家に子供をやるなんて、こんなにもうまい話があっていいのだろうか。
 少女を待ちながらも、内心は帰りたい気持ちでいっぱいになっていた。
 何分たったのだろうかという頃、少女はパタパタと足音をさせてまた私のもとへと駆け寄ってきた。
 「主人は、旦那様がそうおっしゃるなら、と申しておりました」
 興奮を抑えるようにゆっくりとした調子で、少女は私にそう告げた。
 「本当にかい? 」
 「はい。旦那様が本当にお望みなのでしたら」
 少女もまだ私の誘いに疑心暗鬼でいるらしかった。
 こんな好機を逃してはいけないと、私は彼女の好奇心の火が消える前に畳み掛けることにした。
 「それなら、今日にでも私の家に来なさい。荷物は必要なものだけまとめて、他はまた後日、家まで取りに行けばいい。今から私は主人と話をつけておくから、君は準備をしておいで」
 少女は返事をすると、店の裏へと消えていった。
 私は彼女を引き取るべく、カウンターの内側に鎮座する店の主人のもとへ向かった。
 口ひげを蓄えて丸々太った店主は、近づいてくる私を見て心当たりのあるような顔をすると、卑しい微笑を携えて私に呼びかけた。
 「先ほど店の者が言っていたのは旦那様で? 」
 「ああ、そうだ」
 「あの子が欲しいとは奇特な方ですね」
 腹に一物抱えたような、意味ありげな声色で店主は問いかけた。
 「なにか問題でもあるのか? 」
 「いいえ。なにもありませんがね……。あれはどこぞの娼婦がうちの前に捨てて行った子供でして、仕方ないので拾って食わせておりましたが、旦那様が引き取ってくれるというのであれば幸いでございます」
 話がやたらとうまく行くと思えば、どうやら少女は身寄りのない子供のようであった。
 彼女にはかわいそうな話だが、私にとっては好都合である。
 主人に店員が1人減っては大変だろうと、心づけに幾らかの金を渡すと、彼は待ってましたと言わんばかりに卑しさを隠さない顔でそれを受け取った。
 私は少しばかり不愉快になったが、結局は私も共犯者なのだった。
 こんな薄暗いやりとりの直後に、少女はほんの少しの荷物を手にやってきた。
 見たところ、服が数枚と小さな道具が片手で足りるほどというところだろう。
 「本当にそれだけかい? 」
 「はい。もとよりものを多く持ちませんから」
 少女の身の上を悲しく思ったが、それも今日までだ。
 きっと私の家で幸せに過ごしてくれるだろう。
 それではと挨拶して、彼女の手を引き店を出た。
 夜の覚束ない道を歩いている途中にようやく思い出したのだが、私は彼女の名前も知らないのであった。
 まさに一目惚れの衝動である。
 自身の逸りを恥じながら、少女になんと呼べば良いかと尋ねた。
 「旦那様のお好きなように呼んでください」
 彼女はこちらに目を向けながらそう答える。
 そう言われてしまうと難しいもので、いまいち少女にぴったりだと言える呼び名は見つからなかった。
 しかし、物書きを自称する身としては中途半端な名前をつけるのは忍びない。
 ああでもないこうでもないと、少女を置いてきぼりに思案しているうちに、ようやくそれらしいものに行き当たった。
 「みつる。君のことは満と呼ぶよ」
 それを聞いた彼女が目を見開いて「はい」と応えるのを、黄色い光が照らした。
 少女も気に入ったようで、私は安堵した。
 帰り道、少女は緊張していたのかあまり雄弁ではなかったが、私が何かを話せば真剣にうんうんと聞いているのが愛らしかった。
 思えば大変なことをしてしまったような気がしたが、今の私には少女と生活する幸せしか頭になかったのだった。
 こんな2人の背を月ばかりが照らしていた。

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