虎兎 | ナノ



「今日も大変そうね、ヒーローさん」

「いえ。そちらも苦労していらっしゃるようで」

「仕事ですもの」

「お体には気を付けて下さい。ここ最近働き詰めなんでしょう?」

「そうね。でも、それは貴方にも言えることよ」


 相変わらず胡散臭い笑顔。作りきった表情に反吐が出る。喉まで出かかった言葉を飲み込んで、私はそっと微笑んでみせた。

 我ながらよく出来たものだなんて感心してしまう。まあ、彼には既にばれているだろうけれど。私も同じようなものか。


「街の平和を守るのが僕の、いえ、ヒーローの義務ですので」


 彼はアポロンメディア所属のスーパールーキーで、私は“HERO TV”の新人スタッフ。私たちの関係に、特にこれといった特別なものはない。

 番組プロデューサーであるアニエスさんに付いて回る私にとって、彼との接触はもはや意図して避けられないものであった。ただ、それだけの話なのに。


「そういえば、貴方はよく働いてくれていると仰ってましたよ」

「アニエスさんが?」

「えぇ」

「……そう」


 ほんのりと柔らかく微笑んだ彼に少しだけ胸が高鳴る。例えそれが表向けの営業スマイルだと頭では理解していても、結局は私も女なんだ。

 不自然に目を逸らした私を不審に思ったのか、覗き込んだ彼に思わず後ずさりしてしまう。慌てて視線を戻せば、先程までの表情とは一転して眉を寄せ不機嫌を露わにしていた。

 そりゃあ、誰だって急に逃げられたら良い気分はしないけれど。今のは仕方のないことだ。


「ナマエさん、」


 耳に届いた、まるで逃がさないとでも言いたげな声音。虎徹さんに向ける呆れの混じったそれとは違って、言うなれば拗ねた子供の駄々のような、そんな甘さを含んだ声。

 見た目の割にしっかりとした男の手にがしりと腕を掴まれ、そのまま前のめりに引かれる。すぐ近くには端正な顔立ち。みるみる赤くなる顔を隠す術もない。


「今夜空いてますか?」

「あの、えと、」

「よろしかったらディナーでもご一緒に」

「ば、バーナビーさん、近いです…!」


 少し強めに腕を振り払ったことに彼は怒るでもなく、ただ笑って「名前、初めて呼んでくれましたね」と言った。

 どうにも持て余された熱が、体中を駆け巡る。





融解する境界線

20110916



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