「おはよう。気分はどう?」 『ふつう、ですかね』 「ふーん…ま、いいや。顔色は良いみたいだし、それで充分だ」 今朝方、彼は予告通りもう一度病室を訪ねてきた。私が横になっていたベッドに歩み寄り、もう大丈夫らしいからと良いながら何故か頭を撫でられる。 退院の手続きをしてくると残して出ていった彼をぼんやりと思い出してみた。その声はどこか嬉しそうに聞こえた気がしたが、朝から何か良いことでもあったのだろうか。 ♂♀ 手際の良い彼のおかげもあり、割と早く退院を迎えた私は彼の自宅へお邪魔することとなった。 『……おじゃまします』 「どうぞ」 セキュリティなんかもしっかりしてる、明らかに家賃の高そうなマンションだ。中に入ることさえ戸惑われるように思えた。 まあ彼には色々と聞きたいことがあったので素直にその誘いに乗ったが、普段の私なら出会って間もない男の家にお邪魔するなどありえない。 「そこのソファーに座ってて良いよ。ちょっと待ってて」 言われるままに腰を降ろせばこれまた高級そうなそれが沈む。ふかふかしてて、とても心地が良い。 しばらくして戻ってきた彼は、物珍しそうにキョロキョロしている私を見て苦笑いした。失礼だっただろうか。 「飲み物、紅茶で良かったかな?」 『え?……あ、いや、ありがとうございます』 「何から説明しようか。あぁ、まずナマエちゃんが病院にいた理由だけど…、」 待ってましたと言わんばかりの表情で口を開いたオリハラさんは、私の返事も聞くことなくペラペラと話し始めた。 なんでもチンピラの喧嘩に運悪く巻き込まれたらしい。頭を殴られたか何かで意識が薄かったという。そこにたまたま通りかかった彼が、わざわざ助けて病院まで運んでくれそうだ。 ベタな展開だなんて笑う彼の表情が、一瞬だけ悲しそうに見えた気がした。直ぐに笑顔が戻ってきたので勘違いかも知れない。 『道理で頭が痛いわけだ』 「はは、そりゃあそうだろうねぇ」 昨日からの違和感の原因を知ったのと同時に考える。自分で言うのもアレだけれど、随分運のない人間だ。打ち所が悪かったら…なんて考えたくもない。 けれども何か引っかかるような感覚に思わず眉を顰めた。饒舌に続ける彼は気付いていない。 「まあ生きてただけ良かったと思えばいい。他に知りたいことは?俺が知ってることなら全て話すよ」 『それだけ、ですか?』 「ん?」 『こんなに良くしてもらっておいて今更ですけど、本当にそれだけの理由で私にここまでするんですか?』 なんだか突っ掛かるような物言いになってしまった私は、スイマセンと小さく謝る。 面を喰らったような顔をしたかと思えば、いやらしく歪んだ口元。切れ長の眼がすっと細められた。 「俺はね、ヒトが好きなんだ。個々の人物じゃなくて人類そのものが。だから全てが愛すべきものであり、同時に大切な観察対象だ。だから大好きな人間を観察する為なら俺は何でもする」 『……は?』 「分からないかなぁ?簡単に言うと、俺の趣味と君の利害がたまたま一致しただけさ」 ニヤリと笑うのを見て、いよいよ恐怖という感情を抱き始める。服の袖を握る手がしっとり汗ばんできた。 こわい、眼が、吸い込まれる、見ないで、逃げろ。 考えることを放棄した脳が本能的に危険信号を発する。それでもなけなしの理性で堪えて己の身体が逃げ出さないように踏ん張った。最後まで、聞かないと。 「何より、君、ひとりなんだろう?誰も迎えに来てくれないなら第一発見者である俺が保護する他ないじゃない」 『っ、なんで…それを』 「やだなぁ。もう忘れちゃったわけ?」 『なに、が』 「昨日も言った通り俺は情報屋だ。君の個人情報を引き出すくらい、なんてことない」 とうとう耐えきれなくなった私はソファに倒れ込む。意識が飛ぶ寸前。微かな意識で言葉を拾うことは出来なかったが、確かに声を聞いた。 それは悲しむような、慈しむような、それでいて僅かに零れ出すような温かみを含んでいたように思うのは何故だろうか。 11_0511 ← |