誰が悪くて誰が可哀相で、そんな押し問答をするつもりはない。
今更被害者面をする気だってさらさらないし、一概に自分が被害者と主張することにも違和感を感じる。
だって過程はどうであれ、神楽は神楽の意思で今此処に立っている。
嫌だと思うなら、立ち去ればいいだけのこと。
寧ろそのほうが誰も傷つけない。
周りにだって迷惑をかけなくて済む。
沖田総悟の縁者という理由で命を狙われることだってなくなるし、何より総悟が一番それを望んでいることは火を見るよりも明らかだ。
頭ではわかってるのに、それでも神楽は離れることを拒んだ。
離れるのを許せないと思えるほど神楽は自分でも気付かぬうちに沖田総悟という人物に縛られていた。





屯所の離れの一室が、いつからか神楽たちの部屋になった。
結婚したての頃は皆が気を使ってくれていることが伺えたが、総悟が労咳だと知ってからは世間から隔離されたようなこの空間が神楽は嫌いだった。
本人は平気だといつもの顔で余裕ぶった笑いを見せていたが、日を追うごとにその症状は悪くなった。
やがて医者からは神楽とさえも隔離するように言われる。
ちょうど神楽の妊娠が分かった頃だった。
熱を出して臥せることが多くなった総悟の看病の為、身重の体で足蹴く彼の部屋へ訪れることが続いたある日。
彼はとうとうその部屋に帰ってこなくなった。
事実上の彼の失踪を誰も咎めるものはいない。
短い命を好きに生かせてやれという、皆の虚しい思いやりが神楽にはよくわからなかった。





総悟がいなくなってから、神楽はその部屋に自室を移した。
彼がもしふらっと帰って来た時、一番最初に気付くことができると思ったからだ。
苔臭い此処は、あまり陽は当たらない。
それでも屯所自慢の綺麗な庭を独り占めすることができるのだ。
たった一人でこの景色を毎日毎日眺め続けていた彼は、一体何を思ったのだろう。
そんな疑問は浮かんですぐ掻き消した。
同情なんてしてやる義理はない。
あいつが帰ってきた時、何という言葉で罵ってやろうか。
ただそれだけを考えながら、神楽は独りの夜を過ごす。






***
この排他的空間で異常を察知することは容易いものだ。
神楽が起こす音以外一切聞こえるはずのない物音は緩やかに、神楽の意識を呼び覚ます。
神楽に気を使った何かを物色するその音は、最小限に留められる努力をしていた。
それでも。
あいつが齎す空気は隠すことなんてできない。

「うちに盗むものなんてないアルヨ」

不意に掛けられた神楽の声で、何かを探る音がぴたっと止んだ。
神楽は身を起こす。
暗がりの中でもそこにいる人物が誰だかわかる自分にほとほと嫌気が差した。

「盗みに入るんなら隣のでっかい屋敷にしたらいいネ」

おどけて、神楽は肩を竦めた。

「――いやね、」

観念したかのように、総悟の声は鳴る。
半年ぶりのこの静かな空間に、怖いくらいにはっきりと。

「隣の屋敷にはおっかねぇゴリラとニコチン大王が住んでるらしいって噂を聞いたもんでな。この物置なら何かお宝が眠ってるかと思ったんだが」
「生憎ネ。此処は物置じゃないヨ。ニートを旦那に持った可愛そうな新妻が暮らしている火の車だヨ」
「奥サン、若いのに苦労してんだな」

総悟の口調は前と一切変わらない。
人ごとのように呟くその声だって、少ししゃがれたくらいで。
不覚にも震えそうになる唇を神楽はなんとか誤魔化した。

「――本当だヨ…」

またこいつが帰ってきたら、言ってやりたいことは、夜な夜なリストアップしていたはずだった。
それでも声はまるで音を失ったかのように言葉を紡げない。
総悟の気配がゆっくりと近づいた。
誰にでも平等に照らしてくれると思っていた月明かりさえも届かないこの空間で、その表情までも識別するのは難しかった。

「ちょうどよかった。書き置きする手間が省けたぜィ」

それでも、いつになく真剣な口調であることはよくわかった。
良く見ると彼は隊服に身を包んでいた。
その姿を見ることはとても珍しい。
そのためか全く良い予感はしない。
彼がごそごそと胸ポケットを探って、そこから差し出された紙に神楽は一瞬息を飲んだ。

「!」
「奥サン、今の旦那と別れたほうがいいですぜ」

暗がりで良く見えないはずなのに、その存在感は隠せない。
らしくもなく丁寧な字で、彼の署名が落とされたその書類は思ったより薄っぺらかった。
こんな紙一枚で、夫婦間の契りが切れてしまうんだから人間社会はなんとも不思議。
神楽がゆっくりと手を伸ばす。
指先が紙に触れる音が、やけに大きく聞こえた。

「実家に帰って、そこで新しい男でも作って幸せに暮せばいい」

真摯な総悟の眼差しは神楽の心臓を深く抉り込む。
予想は、していた。
いつか言われるのではないだろうかと。
けれどその時の返答の仕方を、神楽は考えていなかった。
予想通りになってほしくなくていつも私は逃げ回っていたから。
独り彷徨い歩いていた総悟を探すことを放棄したのだから。

「それから、」

総悟の口は容赦なく言葉を被せる。
直後、渡された分厚い封筒は、中身を見なくとも何かわかった。
幾重にも重なるお札は、今まで神楽が見たこともない大金。

「"そんなもん"抱えてちゃ、帰るに帰れないだろ」

その台詞が持つ本当の意味合いを神楽は暫く理解出来なかった。
理解したくなかったと言ったほうが正しい。
咄嗟に神楽が己の腹に目を落とす。
心臓がどくどく五月蝿い。
この鼓動は赤ん坊のなのだろうか。
きゅうとお腹縮こまった気がした。
神楽の手に収まったお金は、ずっしりと重さを持っている。

――これっぽっちのお金で、一つの命を殺せというのか。

黙りこくった神楽に目を落とし、総悟は一つ、息を吸った。
空かさず飛んでくると思った拳や罵声は一切なく、なんだか拍子抜けだなとそんなことさえ思う余裕が総悟にはあった。
一切の甘さをなぎ払って佇む足は、不甲斐なほど頼りないと思う。
それでも。
こいつを壊さずに帰すことが出来たなら、ゆっくりと休むことができるから。

「――安心しろィ」

総悟の声は今まで聞いたことのないほど、それはそれは優しい響きを持った。

「そいつの面倒は俺があの世でちゃんと見てやる。だからお前は、何の未練も地球(ここ)に残すな」

一瞬、その言葉が泣きそうに震えた。
きっと気のせいなんかじゃない。
そんな弱虫な魂で神楽を欺けると思ったのだろうか。
彼を取り巻く死の臭いは前よりずっと濃く鼻につく。
これが哀しきかな戦闘種族の特性。
死にいく魂の香りは物心がついた時から、嗅ぎ分けられるようになっていた。


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