幼い日、遠い思い出・1



「マスター、明日出かけないか?」

風呂上りでほこほこと頬を上気させた、とても美味しそうなマスターに襲い掛かりたい衝動をどうにか堪えながら、俺は手の中にあるチケットをひらひらと揺らめかせた

「あぁ、構わないが…どこへ行くんだ?」

マスターは俺の手の中のチケットを覗き込むように、俺に体を密着させる
ふわり、と漂う俺と同じ…けどなぜか甘く感じるシャンプーの匂いにクラクラきつつ

「遊園地だ」

俺は、にっこりとマスターに笑いかけた

「君が遊園地に行きたいなんてとは…何年ぶりだ?」

「茶化さないでくれ、マスター」

俺達の家から、車で30分ほどのところにあるとある遊園地
マスターは、まだそこがどこかはわかっていないのだろう
俺の隣で、どこかからかうように笑っている

「だってそうじゃないか…昔はよく遊園地に行きたいと、ボスにねだってたじゃないか」

「あぁもう、忘れてくれそんなこと」

俺を赤ん坊の頃から知っている、というか半分育ててもらったといっても過言ではない親父の古い友人…今は俺の恋人であるマスターは、無駄に俺達兄弟の過去を覚えている
今は恋人である俺からすれば、それは少し嬉しいが恥ずかしい以外の何物でもない
案の定、からかいの言葉ばかり投げかけてくるマスターに少しだけ居心地の悪さを感じながら
どうにか、目的の遊園地にたどり着く

「ここは…」

「思い出したか?マスター」

「あぁ…懐かしいな、昔君と来たことがある」

どこか嬉しそうに目を細めて、マスターは遊園地の看板を見上げた

そう、ここは昔マスターと来た想い出の遊園地
今でも、その日のことははっきりと覚えている
まだ俺が幼かった頃、10歳の頃の話だ
兄弟達と大喧嘩し、その延長で親父にも反発して

『もういやだ!!こんな家、出てってやる!!!』

泣きながらそう叫んで、マスターの家に転がり込んだ
まぁ、マスターは当時俺の家の隣に住んでいたから、今思えば家出といえるかどうかは果てしなく微妙だったが

『どうしたソリッド、リキッドとケンカでもしたか?』

べそべそと泣きじゃくりながらやってきた俺を、マスターは笑って家に入れてくれて
それが嬉しくて、マスターにすがり付いて大泣きしながら親父やら兄弟達やらへの文句を盛大に叫んだ気がする
…思い出すだけで、かなり恥ずかしい

『帰ろうソリッド、みんな待ってるぞ?』

一通り泣きじゃくり文句を叫び、ようやく落ち着いた俺を今日は泊めると親父に連絡をいれ
お手製の温かなココアを淹れてくれた

『やだ…帰らない…俺もうマスターの家の子になる』

けれど、まだ怒りの燻っていた俺はそのココアを口にしながらも、家に帰る気はさらさらなかった
マスターは少しだけ困ったような顔をした後

『なぁソリッド、明日は暇か?』

まるでいたずらっ子のような笑みで、俺の顔を覗き込んだ

『…うん』

『なら、明日は俺と出かけよう』

『どこに?』

『秘密だ、明日のお楽しみってやつさ』

ニコニコと笑うマスターに、少しだけ
けれど、大好きなマスターと一緒に出かけられるのが嬉しくて、俺は素直に頷いた

そして、マスターがつれてきてくれたのが、当時開園したばかりだったこの遊園地だった

『知り合いがここの優待券をくれたんだが、2枚しかなくてな…だからみんなには内緒だぞ?』

しぃ〜っと、指を唇に当てて笑うマスターの楽しそうな顔を、今でも鮮明に覚えている

「内緒だといったのに、君は張り切ってお土産を買っていたな」

「そうだったか?」

「あぁ、リキッドにはコレで、ソリダスにはアレ、親父は食いモンなら何でもいいか…とか言いながら、真剣に選んでいた」

「もう忘れた」

「君は昔から、優しい子だからなぁ」

クスクスと、からかうように笑うマスターに
俺も、困ったように笑って見せる

本当は、はっきりと覚えている

『ソリッドは本当に優しいな』

あの時もマスターは、土産を選ぶ俺の顔を見て
同じように、柔らかな表情で笑った

マスターは、俺が1人だけ遊園地で遊んだから土産を買ったのだと思ってるのだろう
兄弟達や親父への優しさから、土産を買ったのだと

本当は、違う
俺は、見せ付けたかったんだ
リキッドやソリダス、親父にも
マスターと、2人だけで出かけたのだと自慢したかったんだ

マスターは、知らないだろう
あの頃、マスターの隣に並んで歩ける親父がどれほど憎らしかったか
親父に見せる気の抜けた、どこか甘えたような笑顔をどれほど向けて欲しかったか
リキッドやソリダスを、どれだけ邪魔だと思っていたか
同じように扱われることが、どれほどイヤだったか

一応言っておくが、俺は家族を愛している
普段はケンカばかりしていたリキッドも、生意気なソリダスも、不器用な親父も
みんなみんな愛していたし、今も愛している

けれど、それ以上にマスターが好きで好きでたまらなかった

1日でも早く大人になって、隣に立ちたかった
マスターを支えられるくらい、大きな大人になりたかった
マスターを、独占したかった

当時は、そんな感情の名前を知らなかったが
今は、はっきりとわかる
俺は、その頃からマスターに恋をしていた
いや、物心付かない頃から一緒にいたせいで、はっきりとはわからないが
ずっとずっと、俺はマスターに恋をしていた

だから、嬉しかったんだ
マスターが、内緒だといったあの言葉がまるで、俺が特別だと言っているように聞こえて
マスターは気付いていないかもしれないけど
あの日初めて、俺はマスターと2人だけで出かけたんだ
いつもは兄弟達や親父と一緒だったから、2人だけでどこかに出かけるというのは初めてだった
それを、みんなに自慢したかったんだ
マスターと2人だけで出かけたんだと主張したかった

例えそれがマスターにとって、家族とケンカした息子とも思っている存在を宥めるための行為であったとしても
当時の俺には、天地がひっくり返るくらい嬉しかったんだ

だから、その証拠に土産を選んだんだ

そんな真実、マスターは知らなくていい
マスターの中で、あの日の俺が優しくて思いやりのある少年として残っているなら
わざわざ、自分の評価を下げることはない

「しかし、本当にあの頃のままだな…あのソフトクリーム屋、覚えているか?」

「覚えているが…マスターもよく覚えているな」

「普段は冷静な君が随分はしゃいでいたからな、よく覚えている」

つれてきたかいがあったものだ、とどこかからかうように笑うマスターに、苦笑しか返せない
嬉しすぎて、ものすごくはしゃいでマスターを引っ張りまわした
今思い返しても、あの日のテンションは随分とおかしかった…恥ずかしいほどに

『マスター!ソフトクリームが食べたい!』

あの店のソフトクリームも、マスターにねだって買ってもらったのをしっかりと覚えている

「ほら、ソフトクリームでも食べようじゃないか…好きだろう?」

マスターも覚えているのだろう
ニヤニヤとからかうような笑みを浮かべたままソフトクリーム屋を指差すマスターに

「…俺がチョコレートで、マスターがミルクだったな」

せめてもの意趣返しに、その日食べたソフトクリームの味を言ってやれば

「よく覚えているな」

マスターは、驚いたように目を丸くした

覚えているさ
あの日のことは、一言一句、1秒も漏れることなく覚えている
それほどに、嬉しかったんだから

「半分もらったからな。それにここのソフトクリームは美味かった」

けれど、そういうのは何となく悔しいから
少しだけ誤魔化すようにそう口にすれば

「そうだな、そういうことにしておこう」

マスターはクスクスと、あの日と同じように笑った

もともと幼い子どもでも遊べるように、と作られた家族向けの遊園地は
すでに大人になってしまった俺とマスターが遊ぶには少し物足りないというか、小さくなってしまっていた
けれど、マスターとあの日のことを思い出しながら色々と回るのは楽しかった

あの日何をしたのか
どんな会話をしたのかを話したり
あの日と同じように乗り物に乗ったりした

「そうそう、このゴーカートで君はかなり白熱してしまっていたな」

「忘れてくれ…」

そして、マスターがあの日のことをかなり鮮明に覚えていてくれることがわかって
少し恥ずかしかったが、それ以上に嬉しかった

本当のことを言うと、忘れられていたらどうしようと思っていた
俺にとっては生涯記憶に残る特別な1日だったが、マスターにとっては隣に住んでいた俺と遊園地に来たというものだっただろう

今は、こうして恋人同士として隣を歩いているが
当時は、親友の息子で自分の息子とも言える、家族に近い存在だとしか思われていなかった
年齢差を考えればしょうがないが、それでもマスターには覚えていて欲しかった

俺にとって、何よりも特別な日を
特別なこの場所を…

「すっかり日が暮れてしまったな」

一通り周り終える頃には、もう日が落ちはじめる時間になっていた
まばらになった人影に、少しだけ寂しさを覚える

「マスター、最後にアレに乗らないか?」

「そういえば、あの日の最後も観覧車だったな」

マスターは俺が指差したアトラクション…この遊園地自慢の観覧車を眺めて、すぅっと目を細めた

「それではいってらっしゃいませ!」

人がまばらなせいか観覧車には誰も並んでおらず、すぐに乗ることができた
係員の明るい声と共に、扉が閉まり2人きりになる

「あぁ、変わらないなこの観覧車も」

「そうだな」

マスターを奥側に座らせ、俺はその隣に腰掛ける
あの日は向かい側に座ったが、今は恋人だ
隣に座っていたい
隣に座った俺に、マスターは何も言わない
ただ、窓の外を眺めている
俺も同じように窓の外を眺める

ゆっくりと高くなっていく景色
夕焼けに照らされた町並み
全てが、あの日のままだ
違うのは、俺達の間に響くのが観覧車の低い機械音だけだということ
それでも、不思議と居心地がいい

「ソリッド…夕日が、綺麗だ」

ほぼ頂上へと登った頃
マスターは、俺を見ないままポツリとそう呟いた

『見てみろ、夕日がきれいだぞ』

あの日もマスターは、夕日を見ながらそういった
夕日を眺めるマスターの横顔がとても綺麗に見えて
同時に、まるで目を閉じた瞬間消えてしまいそうなほどの儚さを感じて
思わず、俺はマスターに抱きついたのだ

『マスター…』

『どうしたソリッド…もしかして、高いところは苦手だったか?』

そんな俺をマスターは不思議そうに見つめ、困ったように笑うと俺の頭を優しく撫でた

その優しい手が、温もりが嬉しくて
同時に、どうしようもないもどかしさを感じたのを今でも覚えている

どうしてこんなにもどかしいのかわからなくて、その時俺はしっかりとマスターにしがみ付いていた

「マスター」

あの日から、随分と長い時間がたった
幼かった俺は大人になり、マスターは自称いい年したオッサンになった
小さかった俺は、今はマスターより背が高くなって、体格も良くなった

あの日と同じように…いや、今度はマスターの体を腕の中に収める

本当は、あの日こうしたかった
あの時、こうしてマスターを抱きしめたかったのだ
抱きしめられるのではなく、庇護されるのではなく
マスターを抱きしめたかった、護りたかった

「そ、ソリッド?」

あの日、困ったように笑って俺を抱きしめたマスターは
今日は、困ったように腕の中で俺を見上げている

その表情に、心が満たされていく






- 39 -


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -