テストとビジネスとご褒美と・1



…もう、帰ったらダメだろうか
目の前で飛び交う異次元語を聞きながら、俺は崩れそうになる真面目な顔をどうにか保ち
心の中でため息を付ついた

「だがミラー、この場合は…」

「いえ、ミスターこの場合は…」

いや、言語自体は英語だ
俺も、隣に座り異次元語を操るカズも、カズの正面で同じく異次元語を操る初老の男も
日常的に使っているであろう、言語
だが、意味がさっぱりわからなくては、異次元語となんらかわりはしない
しかも2人とも笑顔にもかかわらず、俺達の間にはまるで糸がぴぃんと張られているような緊張感が漂っている
そして、とてつもない圧迫感がある
戦場とはまた違うそれに、俺の心はすでに折れる寸前だ

『今回は大口の契約が控えてるからな、アンタも来い』

カズがそう言ったのは数日前、ミッション戻ってすぐのことだった
MSFはだいぶでかくなってきたが、まだ自分達で全てをどうにかできるほどではない
傭兵ビジネスというのは、入る金もでかいが出て行く金もでかい
つまりは、俺達のビジネスに投資してくれる人間…金を出してくれるスポンサーがいる
組織がでかくなり、余計に金がいるようになった今、通常業務の合間を練ってスポンサー探しに尽力しているのだ

…副指令である、カズが

戦闘以外からっきしである俺は、ビジネスの部分についてはカズに全部まかせっきりだ
MSFを立ち上げた当初から、俺はビジネスの部分に付いては口を出さないし、カズが全部取り仕切っていた
だが、今回はいつになく大口のスポンサー候補だということらしく

『俺だけじゃなくて、司令官が直々に行くと印象が良くなる』

と、カズに無理矢理引っ張り出され
いつもは着ない、小奇麗でフォーマルな服を着せられてヘリに放り込まれた

傭兵ビジネスなんぞに金を出そうという、奇特な金持ちに会うのは気が進まなかったが
俺と同じく、身奇麗でフォーマルな服に身を包んだ可愛いカズの姿が拝めたからよしとするか

なんて、のんきに構えていた
数時間前までは

『やぁミラー君、久しぶりだね』

『お久しぶりです、ミスター』

悪趣味な別荘につれてこられ、これまた悪趣味な部屋に通され
その家主である、見た目は穏やかそうな初老の男とニコニコと笑いあうカズを、後ろから観察する
カズと同じことをしてれば、まぁ間違いはないだろうとか、楽観的に考えながら

『ミスター、今日は是非貴方にお会いしたいと、我がMSFのボスが一緒に来ています』

『君がビッグボスかね?初めまして』

『初めまして、ミスター』

俺に手を差し出した初老の男の手を、出来るだけ賢そうに見える笑み(カズの指示)を浮かべて取った

そこまでは、よかった

『さて、早速仕事の話をしようじゃないか…まぁ、座ってくれたまえ』

初老の男…ミスターに促され、上等そうなソファーに腰掛けた瞬間
カズの目つきが、変わった
たとえるなら、戦場に生きる男の目になった
そして、向かいに座る初老の男もカズと同じ目になった

『ミラー君、君の言うこともわかる…だが…』

『いいえミスター、我々は…』

そして、異次元語の応酬が始まった
リターンやらバックやらという言葉が飛び交い、ヘリの中で見せられた書類が机いっぱいに広がっているあたり、契約の細かい部分を詰めているということはわかる
だが、それ以外はさっぱりわからない
カズに言われるままに書類に目を通しはしたが、正直何が書いてあるのかさっぱりわからなかった
書類に目を通せとは言われたが、理解しろとは言われていなかったしな

途中、何度かカズに話を振られたが…意味がわからない以上、何と返していいのかわからない
仕方なく、そのたび適当に返していた
その結果、今は
『もういいアンタは一切喋るな』
オーラがカズからびしびし伝わってくる
ついでに
『その真面目な顔崩したら殺す』
オーラも刺すように伝わってくる
俺に出来るのは、この真面目な顔を崩さず話を聞いているふりをすることだけだ

だが、これが結構辛い
耳に届くのは意味のわからない異次元語、隣から感じるのは物凄いプレッシャー
そして、場を支配しているのは糸をぴぃんと張ったような緊張感
もう何度あくびをかみ殺したかわからない
気を紛らわせようにも出されたコーヒーはすでに飲み終えてしまったし、部屋中にある絵画などの類も見飽きてしまった
せめてカズが仕事をする様を見ようと視線をやれば、いったいどこで感知しているのかそのたびに物凄い目で睨まれる
結果、意味のわからない言葉が書かれている書類を眺めるしかないのだ

あぁ、早く終わらないだろうか
何度目になるかわからないその考えが頭の中を過ぎったとき

「オーケーミラー君、その条件で契約しようじゃないか」

ふっと、今まで張り詰めていた緊張の糸が、初老の男の笑みと共に紡ぎだされた言葉で緩んだ

「ありがとうございます、ミスター」

「いやぁ、実に君の手腕は見事だ。これからもよろしく頼むよ」

「こちらこそ」

カズと初老の男は互いに立ち上がり、まるで親しい人間のようにハグをした
普段の俺なら、その光景に嫉妬の一つや二つ…いや、十くらいはするのだが
生憎、慣れない事の連続で疲れきっている心と体では、ようやく終わったか…くらいの感想しかもてない
とりあえず、カズに習って俺もゆっくりと立ち上がる
立ち上がった俺を見て、初老の男はニッコリと笑い

「ビッグボス、貴方は実にいい部下をお持ちだ」

最初と同じように、俺に手を差し出した

「あぁ、俺の人生の中で、最大の幸運だ」

俺もその笑顔ににこりと返しながら、どこかぼんやりとする頭でどうにかそう返した






「…で、ボ〜ス?」

それからその男の屋敷で中々美味な軽食を楽しみ、ホーネットが待つヘリに乗り込み、爆音を立てて空中へと舞い上がった瞬間
それまでのカズのよそ行きの顔が崩れ、にっこりと笑ってどこか甘えるような口調でそう言いながら、俺をぎろりと睨みつけた

あの顔は、とてつもなく怒っているときの顔だ

そう判断した俺は、その場に立ち上がり
カズの真正面の床に、座った
もちろん、セイザという日本特有の座り方だ
この座り方をすると、カズのお説教がほんの僅かだが弱まる
今日も、自主的にセイザをした俺を見下ろしたカズの表情が、見る見るうちに不機嫌なものへと変わっていく

笑っているより、不機嫌ですと露わにしているほうが、ずっとましなのだ
ずーっと甘えるような声と笑顔で、冷ややかな説教をされるより、何倍も

「アンタが、戦闘以外からっきしなのは知っている」

不機嫌そうな声で、カズがいきなり核心から話を始める
…やはり、相当怒っているようだ
いつでも日本特有の謝り方…ドゲザが出来るようにスタンバイしておき、カズの話に耳を傾ける

「だが、今日のアレは何だ!?俺は基礎中の基礎に関わる部分しか話を振ってないぞ!?それなのに、何であんなに頓珍漢な答えしか出ないんだ!!?」

「…すまん、どうビジネスに関することは苦手でな」

少しだけしおらしげな声を作って、カズを反省をこめて見上げれば
カズは一瞬眉を顰めた後、はぁ〜と大きなため息を吐いた

「アンタがビジネスとか、組織の経営とか、そういう部分が苦手なことはよく知ってる。だから、これまではそういうのは副指令として俺がほとんどこなしてきた」

「あぁ、感謝している」

「だが、これからはそれじゃ困る。アンタはMSFのボスなんだ。俺に全幅の信頼を置いていてくれるのは嬉しいけど、それは他人から見たら何もかも俺にまかせっきりの、お飾りのトップにしか見えない。戦場でのアンタを知らない金持ち連中はなおさらだ」

いや、その通りでほぼ間違いない気がするんだが
そう喉まででかかったのを、どうにか堪える
うっかり口に出してしまえば、ちょっとだけ収まったカズの怒りが、一気に燃え上がるのは目に見えている

「これからは、組織のボスとしてアンタに交渉の場に出向いてもらうようになることも増える。そんなとき、今日みたいなことじゃ困るんだ!」

俺が必死で喉まででかかった言葉を抑えているとは知らず、カズはどこか熱が入ったように言葉を続ける

「幸い、今回はミスターが俺を気に入ってくれているから大目に見てくれたが、あんな優しい連中ばかりじゃない。基本的にビジネスに関わってくる連中はもっとシビアだ、傭兵ビジネスにはデカイ金がいるからな」

カズの言葉に、それならビジネスにしなくてもいいじゃないか、なんて言葉が舌先まで競りあがってきたが、それもどうにか堪える
今沈下しかかっているカズの怒りの火に、そんな油を注げば、爆発するのは火を見るより明らかだ

「本当にすまない…」

今俺に出来るのは、一刻も早くカズの怒りを静めることだけだ
ドゲザとまではいかなくても、座ったままで軽く頭を下げて反省の意を伝える

「…本当に悪いと思ってる?」

そんな俺を見たカズは、どこか疑うような視線で俺を見つめてる
怒りが収まり始めていると感じた俺は、顔を上げてしおらしい表情を作ってカズを見返す

「あぁ、反省している」

「ほんとに?」

「本当だ。心の底から反省している」

いや、本当に反省はしている
俺がビジネスとか交渉術とか経理とかまったくわかってないせいで、カズに迷惑をかけたと
ただ、反省はしているがどうにかしようとは思っていないだけで

「よし、じゃあテストしようスネーク」

だが、カズはそんな俺の考えを見透かしたのか
さもいいことを思いついたという風に、にこりと笑って予想だにしないことを言い出した

「…テスト?」

「あぁ、俺がアンタのために、ビジネスの基礎中の基礎…まぁ知っていて欲しいことをテキストにしてやるから、それを覚えてくれ」

「あ、あぁ…」

「で、ちゃんとわかってるか俺がテストしてやる。ちゃんと合格できたら反省してるってことにしよう」

「もし、合格できなかったら?」

「合格できるまで、何度でもやってもらう」

ニコニコと笑いながら俺を見つめるカズの目が本気で、俺の背にどっと汗が流れ出す
カズがこの目をするときは、何が何でもやると決めたときだ
しかも、カズは結構な完璧主義だ
合格基準は、とてつもなく高くなるだろう
それに合格しなければならないとか…どれだけ時間がかかるかわからない

「い、いや…これ以上、お前の負担を増やすわけには…」

どうにかやめさせようと、ソレっぽい言葉をどうにか吐き出すが

「いや、未来への投資だと思えば頑張れるさ。アンタが基礎を覚えてくれれば、この先俺の負担も減るし」

だが、ニッコリと笑いながら正論以外の何ものでもない言葉を返されれば、カズに口で敵わない俺は、何も言えなくなってしまった




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