■ 1-2




 フォルトゥナの冬は、長く、厳しい。
 粉雪は毎日のように降り注ぎ、時に猛烈な吹雪が街を襲う。気まぐれにやって来る晴天はお世辞にも暖かいものではなかった。
 大人も子供もみんな、耳や手足、鼻先をも赤く染めながら一日を過ごす。それでも街人達は毎日毎日、一日も欠かさずに教会へ赴いては悪魔の神に祈りを捧げる。
 そんな冬がようやく終わりを迎え、フォルトゥナに暖かな春がやってきた。
 積もりに積もった雪は水となり、枯れ木は木の葉をつけ、乾いた茶色い大地は潤った緑に染まってゆく。
 城塞都市フォルトゥナにある唯一の孤児院で、柔らかく温和な日差しを浴びながら、一人の少年はのんきなあくびをし、寝返りをうった。

「ふわぁ〜あ…」

 非凡な髪色をした少年の閉じられた目から雫が一滴。その雫は少年の顔を滑り、銀色の髪の毛の中へ消えていった。
 まぶたの裏で日の温もりを感じ、まどろむ少年の耳には、同じ孤児院の子供達の喋り声が嫌でも入ってくる。
 その内容はテレビ番組の話だとか、今晩の食事の話だとか、今日どこで遊ぶだとか、誰かの陰口だとか。
 ───うわ、アイツまた一人だぜ
 聞こえてきたのは明らかに少年へ対しての言葉だった。いつも一人でいる人物が少年だけであることは、彼自身自覚していた。薄く目を開け、横目で見てみると、開いた扉の向こうの廊下で、少年と同じくらいの歳の男子が三人で話をしていた。その三人のニタニタしたいやらしい視線は少年の方へ向いていた。
 それを不快に感じた少年は、気怠さそうに起き上がり、ジロリと三人の方へ顔ごと向ける。少年と目が合うと、三人の肩はビクリと跳ね、顔を強ばらせた。

「げ、こっち見てる」
「行こうぜ行こうぜ」
「ネロ菌がうつっちまう」

 三人は小走りで部屋の前を去っていった。パタパタと複数の足音が遠ざかり、やがて消えた。なんとなくでしか聞き取れないごちゃごちゃとした雑音だけが部屋に響く。
 少年は三人が消えたあとも、不機嫌そうに扉の向こうを見つめていた。そしてポツリ。

「なーにがネロ菌だよ。ブッ飛ばすぞ」

 緩い癖のついた髪をぐしゃぐしゃと乱した。寝癖もついていた為、至るところで髪がピョンピョンと跳ねている。髪といい顔といい、完全に寝起きにしか見えない現状だ。
 ネロ菌。
 今、部屋で孤独に不機嫌そうな顔をしている銀髪の少年だけが持つ菌。少年が他人に触れると感染する、らしい。感染したら「あー!お前ネロ菌つけられたー!きったねー!」と囃される。それだけ。五分もすれば少年に触れられた事すら忘れる為、少年を不愉快にさせるためだけにある菌である。もちろん生物学上そのような菌は存在しない。(Google検索結果に出なかっただけで、本当はあるのかもしれないが、ここでは存在しないことにする。)

「……ったく、人が気持ち良く寝てたってのに」

 少年はわざとらしく、盛大に溜め息をついた。熊が立ち上がるようにのっそりと重い腰を上げ、服についた埃を払う。
 横にあった窓ガラスに手をついて、少年はぼんやりと窓の外を眺めた。
 孤児院の広い庭には、小さな滑り台、ブランコ、シーソー、砂場が四隅に置いてあり、中央にはだだっ広い砂利のグラウンド。サッカーボールを蹴り転がす少年と年上の学生。シートを敷いてままごとをする女児。庭を楽しそうに駆け回る、同年代の子供達。ベンチには院長先生と、その人を取り囲む幼子。
 窓の向こうはとても楽しそうで輝いているのに対し、自分のいる空間はあまりにも孤独で、太陽が斜めに照っているのに、寒くて暗かった。
 ガラスに触れていた手を退けると、自分の手形が白く残って、やがて消えた。

「…のど、乾いたな」

 小さく漏らした後、少年は首をごきっ、と鳴らしてから部屋を出て行った。目的地はこの施設の一番端にある食堂である。普段は食堂にあるジュースや牛乳などの飲み物を勝手に飲むことは禁止されており、部屋に置かれているペットボトル水で喉を潤す決まりだが、少年は時折周囲の目を掻い潜り、食堂の飲み物に手を出しにゆく。誰だって温くなった無味の水より、キンキンに冷えたあまーいジュースが飲みたかろう。
 部屋を出た先の廊下には誰もおらず、庭から僅かに響いてくる賑やかな声だけが静かな孤児院の廊下に木霊していた。少年は極力足音を立てず、気配を出来るだけ薄くしながら廊下を進んでいった。
 角を曲がると、院長室の前に誰か立っているのが見えた。白い服を着た、背の高い男だった。腰には騎士団の剣を携え、髪と同じ色をした髭を生やしている。
 その男に見覚えがあった少年は、思わず口が開いた。

「クレド?」
「ん、ネロか」

 低い声で返事をした男性。名はクレド。
 少年もといネロとは幼少期からの長い付き合いで、兄弟のような関係である。ちなみに彼にはたいぶ年の離れた妹がいる。
 齢十五で騎士団に入団し、今や一部隊を率いる騎士として日々活躍している。未来の騎士団長は彼だろうと、上層部や騎士達の中で噂されているそうな。

「どーしてアンタがここに?」
「院長に用があって来たんだが…留守か?」
「や、庭でガキとお戯れだよ。もう少ししたら戻ると思うけど」
「十二歳の子供も、私にとっては十分ガキだが」
「なんだって?」
「まぁそう怒るな。で、お前は何をしているんだ? 夕食の時間はまだだろう」

 ギクリとした。院長室の先には食堂と大浴場しかない。入浴は大抵夕食の後である為、とても用があるようには思えないだろう。クレドは規則やら正義やらなんやら…お堅い事に真面目な人間である。そういうところで、ネロとは真逆の男だ。何か嘘を考えねば、と宙に目をやる。

「え、えーと、あ、昨日脱衣所に靴下忘れちゃって」

 実際に今しっかりと靴下は履いているし、まだ部屋のタンスに三足ほどしまってある。立派な不実だが、然程不自然でもなかろうとネロは睨んだ。

「………ほう」

 ネロは妙に空いた間にドキドキとしたのち、短い返事を聞いて胸をなで下ろした。
 どうせ子供のすることだろうと、深く探らないことにしたんだろうか。
 扉の横の壁にもたれるクレドの横に、ネロはストンと腰を下ろした。不自然に跳ねた髪を、反射しているガラスで確認しながら手櫛で落ち着かせる。ネロは見た目には割と気を遣う少年であった。
 クレドは自分の膝くらいの位置にあるふわふわした白いつむじを見下ろした。

「靴下はいいのか?」
「へ? あぁ、別にいーよ。特別必要でもないし」
「そうか」

 クレドはそう返した後、口を閉ざした。二人の間に沈黙が流れるが、その空気は決して嫌な空気ではなかった。ネロはクレドについて口を出さず、クレドもまたネロのことに口を出さなかった。
 廊下の窓から見える木に、雀が二羽飛んできて、枝の上をちゅんちゅん言いながらぴょんぴょんと跳ね、毛づくろいを始めた。茶色い羽をくちばしで弄り、気が済むと二羽は木の上で餌を探していたが、やがて飛んでいった。

「鳥はいいよな」

 そう一言漏らしたネロに、クレドは問う。ネロの視線は揺れる木の葉っぱに向けられていた。

「何故?」
「飛べるじゃん」
「手が使えないが」
「手なんていーじゃん。くちばしあるし」
「不自由ではないか?」
「鳥にとっちゃさほど不便でもないんじゃね?」
「…どうなんだろうな」
「鳥の心、人知らず。みたいな」
「的を得てるな」
「そうか?」

 小さく頷くクレド。
 そしてまた、森閑とした空気があたりを覆う。
 数十分は何も感じずボーッとしていられたが、さすがに苦痛に感じてきたネロはひとつあくびをした。

「あ゛ー、暇」
「私はいっしょに待ってくれなんて言ってないぞ、ネロ」
「わーってるよ。もう部屋に帰る」

 心の中で「お目当てのジュースも飲めそうにないし」と付け足しておいた。
 クレドの服の裾をつかみ、強引に引っ張って立ち上がると、クレドがネロの重みと勢いで傾いた。ネロが握り締めたところに皺がついたのを見てクレドは眉を顰めた。立ち上がったネロを横目で見ると、彼はしてやったり、と言わんばかりの笑みを浮かべた。変にツンケンしていて、誰とも馴れ合おうとしないネロにも、年相応の少年心はあるものなんだと、クレドは服の皺を伸ばしながら思った。
 ネロはクレドの傍を離れて、先程来た廊下を悠々と戻ってゆく。しかし、五、六歩進んだところでネロは180°回転し、またクレドの方に顔を向けた。そのまま前進し、クレドの元へ戻ってきた。クレドの目の前を過ぎたと思ったら、今度は大きな彼に隠れるようにピッタリとくっついた。ネロの不可解な行動にクレドは困惑した。

「ネロ。どうした」
「ちょっとだけ隠れさせてくれ、ニンジャごっこだと思って」
「何から隠れるんだ?」
「妖怪クソおしゃべりガールズトーク陰口悪口垂れ流し女ズ」
「口が悪い、少しは慎め」
「ホントのことだよ。あ、来る…」

 最後の部分は小声であった。ネロは壁とクレドの間に挟まろうとするかのようにクレドにくっつき、身を隠した。

「あ、クレドさんだ!」
「きゃーこんにちはクレドさん!」
「あぁ、こんにちは」

 クレドは「あ、なるほど」と口に出さず呟いた。ネロより数歳年上に見えるこの二人の女児は、恐らくこの施設ではやかましい部類に入るのだろう。テレビで顔の整った男性アイドルを見て騒ぐ姿がすぐ目に浮かんだ。

「クレドさん、今日はどんな御用で?」
「院長に用があってな、ここで待たせてもらっている」
「そうなんですか〜」

 意味もなくキャッキャと笑う女子二人。何が楽しくて笑っているんだろう。チラリとネロを見ると息すらしていない。今、こいつはニンジャごっこではなく、完全に忍者をしている。この状態のネロをジャパンの忍者の里に放り込んでも、なんの違和感もないだろう。外見と言語以外は。

「ねぇねぇクレドさん、知ってますかぁ?」
「なにがだ」
「北西の森のお花畑!」

 目をキラキラさせながら、彼女らは言う。クレドは思い出すように、一度瞬きをした。

「あぁ、知っている」
「行ったことあるんですか?」
「ある」
「たっくさんお花が咲いてるって聞いたんですけど、ホント?」
「あぁ、だが…」

 続きを言おうとした途端、クレドの視界の端で何かが揺れた。

「へぶしッ」

 忍者ネロがくしゃみをしてしまった。三人の視線が、壁とクレドに密着する少年に集まった。
 少女二人の気まずそうな顔。少年ネロの居心地悪そうな顔。しかめっ面なクレド。
 三人が数秒の間固まっていると、ネロは鼻の下を擦りながらクレドの下を離れてゆき、元来た廊下を戻っていった。
 角を曲がり、ネロの姿が見えなくなると、二人の女児は彼が曲がっていった角を見、眉を顰めながらお喋りを始めた。

「やだー、ネロ菌がすぐそばにあったなんてー」
「話とか聞いてたよね? うっわー」

 会話に抜け者にされているクレドは「よく人の目の前でそんなこと言えるものだ」と、心の中で呟き、小さく息を吐いた。

「…さっきの花畑の話だが」
「はい?」
「行こうなどとは思わない方がいい。あそこはよく悪魔が出る」
「でも、道とか整備されてるし、昼間に行けば…」
「悪魔が昼に出ないなんて誰が言っていた? 昼間でも何処でも奴らは出てくるんだぞ」
「うぅ…」
「綺麗な花畑を見たいのは分かるが、もしものことがあってからでは遅いんだ。分かってくれるな?」
「はーい」

 二人は残念そうに声を重ねた。しょぼくれた少女二人に、クレドは少し罪悪感があったが、尊い命を思えば仕方のないことだ。目を落とす二人の小さな頭を優しく撫でた。

「分かれば良い」

 そう言うと二人は顔をパッと明るくさせて微笑んだ。何をするも一緒のタイミングで似たような仕草をする二人はまるで双子の様だ、とクレドは頬を緩ませた。二人の頭から手を退けると、また同じタイミングで頭を下げた。

「クレドさん、今日はお話できて嬉しかったです!」
「またお話したいです!」
「あぁ、機会があればな」
「はい!」

 子供らしい元気な声が重なる。そして二人はトトト、と小走りでクレドの下を去って行く。
 が、そんな二人の背に重低音の声がかけられた。

「待て。食堂に何か用事でもあるのか? それとも大浴場の方か?」

 違和感なく食堂の方へ行こうとした二人であったが、クレドは見逃さなかった。
 二人は顔を見合わせて、いかにも作ったような笑顔を浮かべた。

「ちょ、ちょこ〜っとジュース貰おうかなって…」
「ジュースは食事の時かティータイムにしか許されていない筈だ。喉が渇いたなら部屋の水を飲め」
「えー! 少しだけ! ね、いいでしょ?」
「駄目だ。規則は守れ」
「ケチー!」

 少女らは頬を膨らましながら、駆け足で院長室の前から去っていった。
 流石将来の騎士団を率いる男。例え相手が年端も行かぬ少女であっても、規律に関してはとことん厳しいのであった。

* * * *

 真っ白な壁の、質素な一軒家。広いとは決して言えない庭にはたくさんの花が咲いていて、その花弁には小さな雫が乗っかっていた。家の周りは黒い洒落た柵で囲まれていて、そこにも植物が蔦を巻いて花を咲かせていた。格子の門を軽く押すとキィ、と金属が軋んだ音がして、少年は緊張でゴクリと生唾を飲んだ。門から玄関までの数メートルの間に、平らな石が五枚ほど敷かれている。それに歩幅を合わせるようにして少年はその家の玄関前までたどり着いた。冷たい鉄製のドアノックハンドルを掴み、それを三回扉へ叩きつけると、中から可愛らしい声が響いてきた。トタトタ、と軽い足音が聞こえてきたのち、木造の扉がガチャリと開いた。

「あ、ネロ!」

 開いた扉の間から顔を出したのは、栗色の髪を下ろした可愛らしい女の子であった。背丈はネロとほとんど同じくらいで、清楚な白いワンピースを着て茶色いブーツを履いている。些っと風が吹くと、艶のある髪と、柔らかそうな服の裾がふわりと揺れた。

「やぁ」

 ネロは頬を薄らと赤らめ、素っ気なく挨拶した。
 彼女の名前はキリエ。クレドの妹であり、ネロとは家族同然の付き合いをしている幼馴染である。孤児院に度々訪れては小さな子供と一緒に遊んでいる優しい小さな淑女だ。
 キリエはドアを大きく開けると、ニコリと微笑んだ。

「今日はどうしたの?」
「いや、北西の森にすっげぇ綺麗な花畑があるって聞いたから、よかったら一緒に…と思って」

 ネロは落ち着かないように体をゆらゆらさせた。返答を待つようにキリエの顔を一瞥すると、また気恥ずかしそうにふい、と視線を斜め下に向けた。
 キリエは人差し指を頬に添えて、首を傾げる。

「北西の森って、私行ったことないから何処にあるのか…」
「オレ、案内できるから」
「そう? じゃあ行ってみようかな」

 その言葉に、ネロは心の中で狂喜乱舞した。いつもはグチグチと喧しいだけの妖怪クソおしゃべりガールズトーク陰口悪口垂れ流し女ズ(仮)も役に立つものだ、とひねくれた謝意を表する。

「ちょっと待ってて、お母さんに出かけてくるって言ってくるね」
「うん」

 キリエは足早に家の中に入って行って、すぐにまたネロのところへ走って戻ってきた。おそらく、ちょっと外で遊んでくるね、程度にしか言わなかったのだろう。

「じゃ、行こっか」

 そう言ってキリエはネロの手を当たり前のように握った。途端、ネロの心臓がバクンと跳ね上がり、肩がピクリと小さく上下した。それでもネロはなんとか平然を装い、彼女の手を引いた。

「あ、あぁ。こっちだよ」

 思わずかたことになってしまった。二人は一緒のペースで北西の森へ向かい始めた。
 歩いているうちに、だんだんと握られた手が汗ばんできた。手汗よおさまれ、おさまれと念を送る心臓の鼓動が大人しくなる様子は無く、むしろ加速している。聞こえてたらどうしよう、なんてありゃしない事をネロはひたすらに心配した。おかげで彼の歩く格好はどこかぎこちない。例えるならば人間に限りなく近いロボット。どこか変なのだ。そんな彼をキリエは心配そうな目で見てくる。

「ネロ、大丈夫? 顔赤いよ」

 熱でもあるの?とまっすぐな瞳で見てくる彼女は上目遣い。ネロの心にキューピッドの矢が突き刺さった。
 ぐらり、と眩暈に似た何かを感じたが、なんとか持ちこたえる。

「だ、大丈夫。何でもないから」

 ネロは必死に普段どおりのフリをした。外野から見たら全く平常ではないが、純粋という名の天然のキリエから見たら十分いつものネロだった。「ならいいんだけど」と彼女は柔らかくはにかんだ。
 いつの間にか二人はフォルトゥナを出て、北西の森の中へ入って行っていた。
 北西の森には、横に三人並べる程度の小さな砂利道が、入口からずぅっと続いていた。それの左右には三メートルほどの木が密着するように群生しており、その根元にはキノコや苔が生えていた。ネロは案内できると豪語してしまったが、本当にこの道を進んでたどり着けるかと冷や汗をかいた。だが少し歩くと、道の端に【この先 正義の花園】と掠れて記された看板が立っており、二人は期待に胸を踊らせた。
 それからざっと四十分くらい二人は歩いた。ちょっぴり気まずい沈黙が続いたり、息が出来ないほど笑ったりした内容ぎっしりのその時間は、二人にとって幸せなものだった。ネロに至っては「ずっとこの時が続けばいいのに」なんて純然な事を神に願ったりした。
 そして今、二人の目の前には色とりどりの花たちが風に揺られている。どうやらここが噂の花畑のようだ。赤、白、黄色、ピンク…様々な色の花弁に、優しい葉の緑がとても綺麗だ。周りには生い茂る青い木々たち。上を見れば澄んだ青に真っ白い雲、眩しい温かな太陽。
 まさに楽園と言わざるを得ないその景色に、二人は息をするのも忘れていた。まるでここだけ時間が止まったかのようだ。
 チュン、小鳥が鳴くと、その声にネロはハッとした。反射的にキリエの手を握っていた手に力が入ると、彼女もネロと同じくハッとする。

「あ、ごめんなさい。すごい綺麗だったから、つい…」
「オレも。…ここに来れて良かった」

 私もだよ、とキリエは満足げにため息をついた。
 突然、キリエは何かひらめいたのか、花畑の中央へ走り出した。ネロはびっくりして「キリエ?」と彼女の名を口にした。彼女の走った道筋にはひらり、ひらりと花びらが舞った。まるで絵画の中の世界のようだった。
 彼女は花の群れの中央で足を止め、ごろんと横になり伸びをした。

「うーん、気持ちいい。ネロもどう?」
「あぁ」

 ネロも小走りでキリエの横へ行く。彼女と同じように横になると、タンポポの綿毛がふわりと飛んだ。真っ青な空に向かって、白い綿毛がふわふわ飛んでいく。
 そのあまりにも平和な様に、ネロは思わず欠伸が出た。キリエが上半身を起こして、ネロの顔をのぞく。

「ネロ、眠たいの?」
「んー…。こうあったかいと、どうも眠くなるな…」

 朝遅くまで寝ていたのに、ちょっと気を抜いただけで目が閉じてしまいそうだ。うとうとしていると、不意に髪を撫でられた感じがした。キリエがネロの頭をなでていたのだった。ネロは少し気恥しかったが、周りには知り合いも誰もいないし、今日くらいは、と思って心地よさげに目を細めた。

「寝てもいいよ。兄さんに花冠作るから、ちょっと時間かかるし」
「そう…? じゃあ、ちょっとだけ…寝る」

 折角のデート、しかも自分が誘ったのに寝るだなんて失礼な気もしたが、生憎この眠気に勝てる気がしない。ネロは罪悪感を覚えつつも、素直にキリエの言葉に甘えた。
 目を閉じると、瞼の裏に太陽の光が少しだけ感じられた。息を吸うと、花と草のいい香りが花をくすぐった。
 ネロは睡魔に誘われるがままに、夢へと落ちていった。




[ prev / next ]
[ ]
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -