僕は5年前に禿から遊女へと昇格した。
遊女とはいったものの、僕自身は完全な男であり、男の花魁をここでは陰間という。
陰間は主に女犯を禁じられたお坊さんや、男性に興味のある方のお相手をする男のこと。




この店の陰間は僕とこの方しかいない。

この方、とは今、花魁の位置に座っておられる陰間で、名を『真太』と言うらしい。
僕はこの方を昔からにいさま、と呼んでいる。

にいさまがいなければここに売られた時に僕は生きてはいけなかっただろう。
それは、にいさまを含む陰間がどのような迫害や差別にあっても、いかに強かで優しい心を持って、自らの『男』を守ってくれていたからだと思う。

そうでなければ、僕はこの方についていこうとは思えない。
遊女になって、それなりの地位を築いて、自分のお客様を持つようになっても尚それは変わらなかった。


「そういや、新妻様のところの若頭に気に入られたんだって。」
「はい。お坊さんでもないというのに、どうしたものでしょう。」


そうやって疑問を呟きながら、からり、と音のなるべっこうのかんざしを手渡す。
それを受け取ったにいさまは器用に長い髪に挿しながら、肩でくつくつつ笑う。
僕はその姿に首をかしげながらも次のかんざしを渡すと、にいさまはくるりと首を動かして、僕を見た。
そうして、けらけらと音を立てながら、艶やかにそして大きく笑って僕の杜若色の頭を撫でた。


「そりゃあ、俺の最高が可愛いからお客さんが寄ってくるだよ」
「そ、そんなこと…」


僕は思わぬ報酬にかぁ、と頬を赤くさせて俯く。
にいさまは時折、僕を愛しそうに『俺の最高』と呼ぶ。
最高、とは僕の下の名のことである。

このにいさまの行為は、にいさまの禿、という意味を持つと僕は解釈している。
そして、充分に気に入られている、ということも充分に理解していた。

もっと喜びなよ、とにいさまはもう一度僕の頭を撫でて、また髪を結わいだす。
その動きを見て僕はこれまたべっこう色した櫛を手渡す。


「最高は準備しなくてもいいのかい?」
「僕の身支度はすぐに終わりますから。」
「そうじゃないよ。」


僕は、はい?と疑念の声を漏らして、首を傾げる。
するとにいさまは少しだけ淋しそうに笑って、上級遊女への昇格だよ、と口を開いた。

にいさまは吉原の陰間の中でも絶世の美人と呼ばれている。
卯の花色した長く艶やかな髪の毛をたゆたわせ、線の細い身体で惑わせて、欲しいと思ったお客様を逃した事は一度もない。
陰間の中でも珍しいほどの人気を誇り、お上に『傾城』とまで褒められたくらいの上級遊女である。

その上級遊女のことをここ吉原では『花魁』と呼ぶ。


僕は驚き慄き、滅相もない、と頭を大きく振るって、美味しいお話を拒否する。

きらびやかな着物も、金色のかんざしもいらない。
僕はにいさまの元にいれれば、遊女でも禿でもなんでもいいのだ。

そんな僕の挙動に気付いていたのか、別段にいさまは驚いた様子もなかった。
そうなの、とポツリと漏らして、何か考え事を始めて仕舞った。


「なぁ、最高」
「はい、にいさま」


綺麗に結われたにいさまの卯の花色が見える。
にいさまの髪の色は元々、漆黒だったのだという。
されど、たくさんの苦労と心労で衰退した時期がにいさまにも勿論あり、そのときに生気を吸うように黒が消えていったのだとか。


「君は俺についてきてくれるのかい?」
「はい。どこまでも。」


僕は訳もわからぬまま、気付けば反射で返事をしていた。
これはきっと本心なのだと、自らに気付かせるには充分だった。

僕の鶸萌黄の羽織がするり、と音を立てた。
黒紅の飴玉のようにきらきらと光る瞳が僕を真っ直ぐ射止める。


「そう。大好きだよ、俺の最高。」
「はい。僕もずっとお慕いしております。」


僕の視界一杯ににいさまの鉛丹色の羽織が揺れて映る。
そして、僕の頬をにいさまの両手が包んでいるのだとやっとのことで気付いた。

にいさまは知らない方の香りを少しだけ纏わせて、それでも愛しそうに僕だけを見て、いってくるね、と告げた。

いつもと違うにいさまの挙動に僕は少しだけ困惑した。

だけれど、にいさまの意図が分からないわけではなかった。
おそらく、一番仲の良かった方を裏切る結果になる事をにいさまは謝りにいくのだろう。
上等なものが包まれた風呂敷まで丁寧に掴み、貰い受けた分を全て返すのだ、と少しだけ嬉しそうにカラリと笑った。

にいさまはもう止まる理由がないのだと語っていたことをふと思い出す。

僕は強く頷き、襖に手をかけるにいさまの瑠璃色の帯を見つめ、瑠璃色と鉛丹色を目に焼き付ける。
そして、この光景が最後になりますやうに、と願いがけをしてから口を開く。



「いってらっしゃいませ。」





そうして、遊郭から陰間が2人ほど姿を消した。







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何プレイだこれ…
正直、自分で書いておいてなんですが、がっつり引いてます…。
ツッコミどころは満載だと思いますが、是非ともスルーの方向でお願いします。←

2012/01/16