「あ、」

グラウンドのフェンスをぐるっと回っていると、黄色い小さな花を見つけた。その瞬間に自分の胸に芽ぐんだ小さい興奮を抑え、ゆっくり一歩ずつ近づくとそこには案の定たんぽぽが可愛らしく咲いている。しかもそれは一つだけではなく、視界を少しでも横にずらせば、まばらにだがたんぽぽが少しでも存在を主張するようにたくさん咲いていた。風に揺られても凛としている姿はどこか儚げで、風の出先を追うようにふと視界を前に戻すと、今度は桜の木々たちがが瞳に映し出されていく。

季節はもう暦上でも明らかに春で、だが既に桜が徐々に散ってしまっていた。未だに吹く風は冷たくて勢いがあるが、どこか春の匂いを芳している。風で桜の花びらが舞う様は妖艶で、なぜか目が離せない。徐に腰を下ろしてぼうっとその光景を見ていると頭に衝撃を受けた。力はそれほどでもないが、地味に痛くヒリヒリしている。なんだ誰だと後ろを振り向くと、そこには榛名がいた。そうして、あたしは今自分が何をしなくてはいけないかを思い出したのである。

「てめぇボール拾いはどうした」
「あっはははは…」

返す言葉が見つからない。ギギギッとロボットのように視線を逸らした。依然として鋭い目線を感じるが真っ向から見つめ返すこともできず、取り敢えず立ち上がって土や草を払う。

「え、えと、なんで榛名はこんなとこにいるの?帰ったんじゃなかったっけ?」
「一人で雑務してる奴を遅くまで残らせるわけにはいかねーだろ」
「…えぇー」

アンタがボール拾いしとけって言ったんじゃん!そんでそのまま勝手に姿を消したんじゃん!
なんて面と向かって言えるはずもなく、一応キャプテンである榛名でも責任は感じるのかなぁと思うことにした。今年から最高学年としてみんなを引っ張っていくのは大変だろうし、ピッチャーとしの練習も欠かせないだから雑用を押し付けられるのは仕方ないと思ってたんだけど…意外と良い奴なのかな。二年の秋という中途半端な時期からマネージャーになったばかりなので、まだ榛名元希という人物をよく分かっていない。

「で、お前は何してたの」
「んー榛名からしたら実に下らないことのように思うだろうけど、桜を見てた」
「はぁ?」
「あ、その前はたんぽぽ見てた」
「…お前マジなにしてんの」
「だって綺麗だったんだもん」

男の人、まして榛名みたいな奴は花より団子なんだろう。あたしだって団子の方が好きだ。でも、たんぽぽの色が夏に咲くひまわりに似ているように見えて。桜がすぐに葉桜になって夏が来るのだろうと思ったら目が離せなかった。

去年の地区予選、野球にはさほど興味のなかったあたしは野次馬魂で準決勝を観に行った。そこで本気で野球に臨む彼らの姿を観ていてもたってもいられず、敗戦した次の日にすぐ入部届を出しに行ったのは今でも鮮明に覚えている。その時のマネージャーが一人しかいなくて夏に引退、また人手が足りないという理由ですぐに練習に参加するようになった。

もうすぐ、その夏が来る。まだ気持ちとしては早すぎるのかもしれないけど、あたしはその夏をずっと、去年の夏からずっと今年の夏を待っていた。それはきっと榛名も、榛名以外の部員みんなが同じことを思っていることだろう。

「…ねー榛名」
「あんだよ」
「ボール拾いは一応全部見て回ったし、サボってたわけではないんだよ」
「いーよ、今更言い訳なんて」
「だからさ、」
「聞けよ」
「キャッチボールしよう!」
「…は?」

ポカンと、間抜け面も甚だしいくらいの顔で口をだらしなく空けた榛名の顔は笑いを取るものでしかなかった。こんなに阿呆面の榛名を見るのは初めてかもしれない。せっかく整った顔が台無しだ。

「キャッチボールだよキャッチボーールーーー!」
「いや、それくらい分かるっつの!なんなんだよ突然突拍子もなく。意味分かんねぇ」
「いや、ほら、あれだよ。榛名くんの練習後のロードワークといいますか、肩慣らしといいますか」
「ロードワークはとっくに終わってるし、肩慣らしはする意味がねぇだろ」
「まーまーそんなカタいこと言わずにさ!取り合えずあたし部室から適当にグローブとボール持ってくんね!」
「お前は人の話を聞け!そして勝手に話を進めんな!」

うがー!と地団駄を踏みそうな勢いで怒られたが、時既に遅し。あたしはとっくのとうに部室の中へと入って行った。そうして適当に人様の中から漁って見つけたグローブと、そこら辺に転がっていたボールを二、三個引っ掴んでグラウンドへと戻る。不機嫌を露わにした巨体が仁王立ちで立っていて怖かったが、その手には律儀にグローブを持ってくれていたので頬が緩んでしまった。

「10分だけだかんな!」
「なにそれ短っ!せめて30分はやろーよ!!」
「練習でも30分はやらねーよ!!」
「うっそだー!いつも榛名一人でそんくらいやってんじゃん!」
「ありゃ投げ込んでんだよバカかお前は!そんくらい分かれ!!」

実はこうやって言い合ってる間にキャッチボールはスタートしていたり。剛速球を投げることで有名な榛名だが、さすがに相手が女でしかもマネージャーなら手加減はするのだろう。パシン、と小気味の良い音がグラウンドに小さく響く。投げ合ってるうちに自然と無言になってしまったが、別段気まずいわけではない。寧ろ今この瞬間の空気が心地よかった。

暫く無言で投げ合ったまま数分が過ぎた。あたし達の投げる間隔やタイミングは変わることなく、たまにあたしがグローブからずれたところに投げてしまうくらいで。パシン、パシンという音が続く中、榛名が切り出すかのように口を開く。

「お前ってさ、」
「なに?」
「ほんっとよく分かんねー奴だよな」
「えぇ、なにそれ」
「突拍子もなく変なこと言うし、的外れな意見ばっか言うし。そのくせ仕事だけはもともにできるのかと思ったら、今日みたいにサボったりしてさ」
「サボってないってば」
「まあ仮にそうだとしても、中途半端な時期に入部しときながら周りの視線にもめげずに一生懸命マネージャー業こなしてさ。そもそもなんでお前、そんな時期に入部してきたわけ?」
「それは…」

入部届を出しに行ったときは、みんなの反応が印象的だったのもそうだけど、勢い込んで行ったからよく覚えてる。涼音さんは自分のことのように嬉しそうに笑ってくれて、香具山さんや町田さんは心から歓迎してくれて、大河さんは少し訝しげな顔をしてたけど監督がOKしたから渋々苦笑して頷いてた感じだった。他の部員も普通に歓迎してくれたけど、唯一榛名だけはあたしを一瞥しただけでなんの反応も見せなかった。その後も特になんのアクションも見せることなく、三年生が引退してからみんなを率先してまとめるようになったくらい。そして、人一倍今まで以上に練習に取り組むようになった。キャプテンとしての威厳というかなんというか、その姿がなんだか目が離せなくて。あたしは裏からフォローする形でずっと榛名を、他のみんなも応援してきたつもりだ。

そう、あたしは去年のあの夏の試合を見て、この人たちのためになにかしたいと思った。なんでもいいから、この人たちと一緒に頑張りたいと思った。悔し涙を流す姿が、脳裏からなかなか離れなかった。今度は、あたしもそこに混ざって甲子園に行きたいと強く、強く思った。

「ねぇ、榛名。あたしね、あたし、応援してるから」
「あ?」
「今年は絶対に甲子園に行けるって、信じてるから」
「…お前、オレの質問に答えてねぇだろ」
「答えてるよ。だから今年こそ地区予選勝ち進んで、甲子園の土を踏みしめようね」
「…おー」

なんだか釈然としないような表情だが、あたしの真剣な眼差しを受けて破顔していた。しょうがないなコイツ、みたいな苦笑だった。あたしはこの笑顔を、もっと最上級の笑った顔を、夏に見れると信じたい。いや、寧ろ信じてる。昨年の悔しさに涙を滲ませた顔ではなく、勝利に打ち震え両手を高々と上げて笑う姿を。マウンドで咆哮する彼の雄姿を。仲間に囲まれ笑った顔が溢れるのを。

「榛名、最高のピッチングを楽しみにしてるね」

最後にパシン、と。榛名のグローブに向かってボールを投げた。それを受け止め、グローブを顔の前にかざした彼の顔を、あたしはこの先一生忘れることはないだろう。自身にみなぎった、彼の自信満々な笑顔を。





ダンデライオンの軌跡
--------------------
20110414

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -