「…もとき、」

目の前に大好きな人がいて、一緒の空間にいて、互いに視線を合わせて。なんてことはない、寧ろ幸せな時間を過ごしているはずなのに、おかしいな。なぜか彼が遠くにいるように感じて仕方がない。

そこにいるのだと存在を確かめたくて、彼の大事な大事な左手の、その薬指をそっと、でも込める力は入れて、ぎゅっと握ってみた。そこから微かに感じる体温は自分を安心させてくれるのに、心が奈落の底に落ちたようにどこにあるか不確かで、彼が本当にそこにいるのか分からなくて、不安が胸中の全体を圧迫して目の前が真っ暗に見える。

霞みがかる視界でゆらゆらと影が蠢き、どうしたのだとあたしに尋ねた。このどうしようもない、怯えにも似た感情を払拭して欲しかったが、自分でも分からないものを彼に押し付けたくなくて、力なく首を横に振ることしかできなかった。

「好き、好きだよ。元希が好きで仕方がないの」

自分自身でその感情を確かめたくなり、声にして口から出した。自分の体ががわなわなと震えるのを止められなくて、掴む手をまた握りなおす。強張る背中にそっと大きな手が回り、大好きな匂いが鼻腔を擽った。すぐに温かな体温があたしを包み込み、触れ合う場所からとくとくと心臓の音を感じる。

「オレも、愛してる」

そういって、抱きしめられる力が増し、苦しいのにどこか幸せを感じられる…はずだった。でも、そう感じられないのだ。あたしの司る五感全てが機能をなくし、急激に体温が冷めていくのをまざまざと感じる。かけられる言葉も、目の前に存在する彼も、なにもかもが形をなくして崩れていく。

元希は確かにそこに存在し、あたしに触れ、愛を囁くのに、そこにはなんの誠意も希望も見いだせなくなったのだ。





スプートニクの墜落
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20101217

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