「…え?」



あまりにも非日常的な言葉が耳に入ってきたため思わず聞き返す。歩みを進めていた足も自然と立ち止まり、後ろを振り返った。そこには真剣な面持ちをした元希が依然として立っている。夕闇を背に凛としたその出で立ちは、彼の屈強な体と相俟って迫力があり、なんとも言えない雰囲気に目眩を覚えた。



「…お前な、人の話聞いてただろ」
「だ、だって…あんまりにも突然というか、縁がないものと思ってたから、」
「…もう1回いうから、今度はちゃんと聞いてろ」



それから一息ついた元希は、あたしと空いた距離を詰めて近付く。一歩一歩縮まるあわいに、もどかしい気持ちと、今まで感じたことのないくらいに早鐘をうつ心臓に、いろんな感情が混在して気絶しそうだ。

ふっと視界の目の前に現れた元希はゆっくりと左手を上げ、あたしの頬にそっと触れる。骨ばった手で慈しむように撫でられ、背筋が震えた。元希の射るような視線と何かなしの擽ぐったい行為に、柄にもなく顔に熱が集まる。空いた右手でそっと体を引き寄せられ、道の真ん中にも関わらず抱き締められた。慣れない空気に触発され、力の抜けたあたしは持っていた袋を足元に落とす。それと重なるように元希の手からも袋が滑り落ち、その瞬間に掻き抱くように力の入る両腕。ばくばくと鳴り響く心臓の音は、果たしてあたしのものか元希のものか。幸い人通りの少ないここは、良くも悪くも二人だけの空間を更に強調させる。すぐ傍にある元希の髪が視界を遮っており、相手の顔を窺えないのが少しじれったい。体をちょっぴり動かせば、ますます強く抱き締められる。一瞬、息の詰まったようにみえた元希の身体が震えた。



「オレと、結婚して」










そうだ、今日はいつものようにただ買い物をしていただけなのだ。窓から見える、田舎景色だけどそれがいつもすごく綺麗で、窓から一望できるマンションの一室。冷蔵庫で冷えたミネラルウォーターを飲みながらテレビで料理番組をやっていた。それを見てお互いに食べたいご飯が一致し、手を繋いで近くのスーパーまで買い物に行く。カートを引いて、今晩使う食材や買い置きするものも選び、たまには寄り道しようってなってぶらぶらと河川敷を並んで歩いた。スーパーの袋を意味もなくゆらゆらとさせて、笑いながら他愛もない話をして。それがどこをどうしたらあんな話になったのだろう。なんの前触れもなく、自然の流れのように元希の口から紡がれた科白。



「結婚すっか」



その言葉の破壊力は、あたしの理性を破壊するには充分すぎた。










「…う、そ」
「嘘じゃねぇよ」
「だっ、て、そんな素振りなかったじゃん」
「…タイミングを図ってたんだ」



更に強まって抱き締められる身体が自分のように感じられなくて、なにも考えられなくて頭が真っ白だ。それでも直接触れ合う元希の体温は確かに感じられて。





あたし、今、プロポーズされたんだよね?自惚れでも勘違いでもないんだよ、ね?





働かない思考。動かない身体。目尻に溜まる水分。背中に感じる元希の腕は、嘘なのではないと証明してくれるようで。微かに震えだすあたしの身体を、今度は優しく抱いてくれる。脳内でリピートされる元希の言葉に、勢いに任せぎゅっと腕を回した。元希の背中は大きくて、めいいっぱい手を伸ばしても回り切らないあたしの両腕だけど、それに負けないように力を込めて抱き締め返す。



「タイミングって、なによバカ」
「うるせぇ」
「もうちょっとムード考えてよね」
「悪かったな」
「…言うの遅いよ」
「…ごめん」
「どうしよう…すごく、嬉しっ、い…っ」



とうとう瞳から涙が零れた。徐々に元希の肩を濡らしていく傍ら、嬉しさと幸せに包まれて身体が火照ってゆく。可愛くないことばかり口で言ってしまったが、最後の言葉は嘘ではない。本当に嬉しいんだ。付き合ってもうそれなりに経つのに、なかなかそんな雰囲気がなくて、元希からもそれが感じられなくて。ずっと不安だった。だからと言って自分から話題を振るのは嫌で、そんな押し付けがましい女になりたくなくて。素直になれない自分と、怖くて聞けない自分に、ずっと不満だった。



「…なあ、」



ただただ静かに涙を流す身体をあやすように背中をぽんぽんと撫でてくれていた手はそのまま、いつまでも泣き止まないあたしを見兼ねたのかそっと声を掛けられる。あたしは返事をしない代わりに、鼻水が出ているであろう鼻を啜った。



「オレさ、自分で言うのもあれだけど我儘だし、プライド高いし、バカだし、理不尽なこと言って今までお前と喧嘩したり、傷つけたりした。それはこの先もあっかもしれねえけど…つか、多分オレの性格考えると絶対ぇあると思うけど、それでもこんなオレを今まで支えてくれたのはお前だし、プロになって辛いときもいつも傍に居てくれた。なにかあってもすぐに気付いてくれたし、変な意地が邪魔して素直に言えないときは聞き出したりしないで背中を押してくれた。おまえにとっては些細なことでも、オレにとってはそれが何倍も力をくれた。だから恩返しってわけじゃねえけど、お前もなんだかんだいって頑固だし、なかなか甘えてこねし、陰でこっそり泣いたりしてあんまり頼ってくれねえのは気に入らねえけど、でもそんなお前をオレが守ってやりたいって思うし、そんなお前が無性にかわいくってオレが傍にいてやりたい、支えてやりたいって思った」



耳が焼けるように熱い。横から間近に紡がれる言葉の数々に胸が張り裂けそうだ。嬉しい気持ちと恥ずかしい気持ちで今すぐ逃げ出してしまいたい。だけど、そんなあたしの性格を熟知してる元希はどこにもいかないようにと、決して離してはくれない。あやすように抱いてくれているのに、その優しさが身体を蝕むようで痛い。でも不思議と嫌だとは思わなくて、寧ろその痛みに幸せを感じている。あたしはそっと、元希の背中にある指に力を込めた。



「だからオレはこの先お前を手離すことは有り得ないし、お前が離れることも認めねえ。嫌だといっても離さねえし、オレの傍からいなくなることは絶対にない。何度だって捕まえてやるし、ずっとオレと一緒にいるべきなんだよお前は」



…後半は俺様精神がハンパない科白ばかりだが、そうじゃなきゃ元希じゃないと思った。微かに身体を震わせ笑いを堪えるあたしに気付いた元希は両肩に手を置き、体をそっと離される。まあ、あれだけ密着していたのだから気付かない方がおかしい。少しの隙間を作って、額と額を合わせられた。間近に見える真剣な双眸を捉え、その瞳に映る自分を見やった。赤くなった顔は変わらず、でもそこには幸せを全面に浮かべた表情をした自分がいた。元希の顔も微かに赤くなっていて、どことなく少年らしさを残した顔にますます笑みが収まらない。痺れを切らしたのか、再度その口から言葉が零れる。



「…返事は」



YES以外の返答は認めないくせに聞いてくる元希がおかしかった。その上で、あたしの返事が1つしかないことを分かってるのに律儀に問う彼は、今まで見てきた中で最高の男である。愛しい愛しい愛しい。目の前にいるこの男が大好きで堪らない。あたしの身体中から元希を好きだという気持ちが溢れ出て世界を侵食してしまそうだ。彼という一個人の存在を形成する一つ一つのパーツ全てに愛を感じる。あたしは静かに自分の唇を相手のそれに重ね、触れるか触れないかの距離で離れた口から答えを出した。





「もう一度言って」





彼はその返答に自信満々の笑みを浮かべる。





「オレと、結婚しろ」










橙光
あたしを好いてくれてありがとう。あたしを愛してくれてありがとう。あたしとずっと一緒に居てくれてありがとう。あたしに好かせてくれてありがとう。あたしに愛させてくれてありがとう。ありがとうありがとうありがとう………

あたしを必要としてくれて
ありがとう

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20101017
企画「Marryにキスして」さまに提出。
遅くなってしまい大変申し訳ありませんでした。


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