あ、落ちる───


そう思ったときにはもう遅かった。気がつけば俺は深い穴に落ちていた。忍術学園の敷地内にこれほどの深い穴。想像すべき人物は一人しかいない。そんなことを考えていると、穴の入り口から声が降ってきた。


「おやまあ、だぁいせーいこーう」

やっぱり、綾部の仕業か……。
穴の縁から覗いているのは想像通りの人物で、ピースサインなんかしてそんな事を言う。相変わらず綾部の思考は読めない。さっきから何で俺のことじーっと見てるんだろう…。というか、そろそろ穴から出たい。

「…穴から出るの、手伝ってくれないか?」
「蛸壺です」
「ああ、ごめんごめん。それで綾部、出してくれるか?」

五年にもなって手を借りないと蛸壺から出られないのは情けないが、こと落とし穴に関しては綾部の右に出る者はいないのだ。忍具でも持っていればどうにかなったかもしれないが、生憎今は持っていない。しかし返ってきた言葉に俺はずっこけた。

「いやです」

「いや、綾部…俺は今から授業があるんだよ。綾部だって行かないとまずいだろ?」
「私は行かなくていいんです」
「ほら、滝夜叉丸だって心配するんじゃないか?」
「滝なんてほっといて大丈夫です」

滝夜叉丸も大変だな…。綾部はいったい何を考えているんだろうか。それとなく説得してみるものの、会話は微妙に成立していない気がする。一人でボールを投げ続けている気分だ…。


「久々知先輩は、蛸壺の中は嫌ですか?」
「そりゃあまあ、そろそろ出たいけど」

やっと分かってくれたのか、と俺の心に光が差したのも束の間。またもや綾部の返答にずっこけた。

「じゃあ、助けてあげますから明日も蛸壺に落ちてください」
「……え?いやいや綾部、もしかして俺に恨みでもあるのか…?」

そう言えばここ最近、五年長屋とか硝煙蔵の周りに集中して穴が掘ってあった気がする。綾部とはあんまり接点ないはずなんだけど、もしかして何かしたんだろうか。全然思い当たらないんだけどな…。


「だって久々知先輩がかまってくれませんから」

ん…?どういうことだ?俺にかまって欲しいから…ってことは、つまり憶測が当たっていれば、


「えっと…、つまり綾部は俺にかまって欲しかったから蛸壺に落としたっていうことか?」
「そういうことです」

さも当然だと言うように答える綾部に、俺はがっくりと肩を落とした。読めない奴だとは思ってたけど、何も意思表示まで蛸壺でやらなくても…。それに綾部は後輩なんだし、言われれば話すぐらいするのに。でも、どうして。どうしても頭に浮かぶ疑問が一つ。


「なんで俺なんだ?」
「久々知先輩だからです」

間髪入れずに答えられれば返す言葉が見つからない。でも、この感情の読めない後輩に気に入られるということは、光栄なことなのかもな。


「なんで俺のことが気になるのかは分からないけどさ、話ぐらいならいつでも聞くよ。だからもう蛸壺に落とすのはやめてくれ」

「おや、そうですか」

最後のは一応冗談めかして言ったけど、綾部ならやりかねないからな…。綾部は満足そうに頷いて、それから手際よく俺を引き揚げてくれた。


「久々知先輩、さっきの言葉忘れないでくださいね」
「ああ、わかってるよ」

「じゃあ明日から毎日、先輩の部屋に伺いますね」
「え…、毎日か?」
「おや、駄目ですか?」
「いや駄目な訳じゃないけど、なにもすることないぞ?」
「それでもいいんです」

そう言った綾部の表情が、なんだか笑ってる気がして、

「…綾部がそれでいいなら来てもいいけど」
「ありがとうございます」


なんだか上手く丸め込まれた気がするな…。


思えば蛸壺の中に落ちたあの時から、
こうなることは決まってたのかもしれない。


でも、
綾部のことはあまり知らないけど
不思議と気は重くない。

さて、明日から何を話そうか───



***

秘かに好きな組合わせ。
でも綾久々なのか、それともここから久々綾が始まるのか、+なのか
私にもわかりません。

2011/7/24



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