「はづき〜」
なにが一番恐怖かって、この人に好かれた理由がわからない所だ。
机の下って狭いんやなぁ…。少し傷のついている机の脚を無心で見つめた。
大きい足が、視界の左から右へ歩いて見えなくなると、また右から左へと見えなくなる。わたしは広間のちゃぶ台の下に隠れて彼が諦めて去るのを待とうとしたのだが残念。あの手この手でわたしをおびき寄せようと考えているらしく、さっきからかれこれ30分くらいうろついてて、もちろんその間わたしも隠れている。そろそろ限界だ。足痺れてきた。
「はづき〜、カツ丼だよ〜ほら〜」
あの人ぜったいわたしのこと舐め腐っとるやろ…。ホカホカのカツ丼を片手に歩いているのかいい香りが鼻腔をくすぐる。犬か何かだと思っているのだろうか。チッチッチなんて言い始める始末だ。あんのやろう…マッカチンにだってあんな態度とらんやろうが…握りこぶしをつくる。
しかし。
しかしである。わたしはつくった握りこぶしを腹へ持っていく。そしてそのまま力を込めてグリグリと押した。
腹ぁ…減ったんですね。
お腹減って下へフラフラおりて来て、なんか食べよおもたらあのビクトルキスマジスキーだかなんだか知らんけれども、おもしろびっくり外国人(勇利くん曰くお色気ガッパ)がうろついてて危険を察知して机の下に隠れてしまったんですね。めちゃくちゃお腹減ったんですね。
だってつい昨日、ここにいきなり住み込んで勇利くんのコーチします!とか言い始めてそれを快諾してまうおじさんおばさんもすごいけど、わたしの隣の部屋しか空いてないからってそこに住まわすんはおかしくないか?いやわたし嫁入り前やで?わたしがおかしいんか?まって、勇利くんもビックリしてたからおかしないはずや。
「はづきってばぁ〜」
低くて甘い声がわたしの名前を呼ぶ。それがまた昨日の夜のことをフラッシュバックさせた。
あああああむりむりむり!わたしは頭を抱え込む。キスされたキスされたキスされた!しかもなんか、なんか、ハードル高いやつやったむり!勇利くんに外国の人って初対面からああいうキスをぶちかますんが普通なん?ってきいたら、なわけないびゃん!ってご丁寧に盛大に噛みながら否定してくれたので多分本当にあの人の頭がどうかしとるんや。
あの後他に空いてる部屋もなくて、結局お隣さんになってしまって気が気じゃなかった。しかも柔らかな彼の唇の感覚が脳裏から離れなくて何度寝返りを打ったことか。おかげさまで寝不足である。今日お昼からのお手伝いでよかった…。眠りについたのはあたりが明るくなってからだった。
しかもしかもその30分後くらいに顔の近くに何かを感じてバッチリ目を開けるとヴィクトルさんの顔が間近にあって、まさにマジでキスされる5秒前だった。ものすごい勢いで顔を避けた。ドキドキと違う意味で激しく打つ心臓を抑えて彼を見ると、もーなんで避けるの!ジャパニーズはイッテラッシャイのチューは普通って聞いたよ?なんて口を尖らせていて訳が分からなかった。もう、なに、も、全て理解が出来なかった。すべて。彼はその後わたしの頬に触れるだけのキスを残すとまた昼に帰ってくるよ!とウィンクして去って行った。わたしは寝た。とにかく寝た。
もう無理わからん…勇利くん助けて…。
「何してんのヴィクトル…」
ゆ、勇利くーーーーん!!
昨日、唯一の救いだったのが勇利くんも一緒に慌ててくれたことだった。他がイレギュラーに対しての順応力が高すぎるのだ。おばさんに至ってはウッキウキだったし真利姉ちゃんもそんなに気にしてる様子はなかった。もうわたしには勇利くんだけだ。
勇利くんの足らしきものは真っ直ぐにこちらへ向かってくる。よし。そのまま。そのままこっち来てどうにかこうにかしてわたしを助けてください。
そう祈るとまるで誘われるかのように、迷いなくわたしの元へ、というかわたしが隠れている机に歩いて来てくれた。よーしよし、神はわたしの味方だったのだ。勇利くんになんとかしてもらおう。撒いてもらおう。
「はづきはづきって朝からそんなに騒ぎ立てたら怯えて出てこないに決まってるだ、…………ろ?」
あ、これぜったい間違えた。
そう思った頃にはもう遅い。
「はづきちゃん!?」
ビックリしたことは、ビックリするくらい素直にポーンと口から飛び出していくのはやはり従兄妹同士でも通ずるのだろう。勇利くんは声高々にわたしの名前を叫んだ。
ああああやっばい。また頭を抱える。そんなわたしを見た勇利くんは状況を全て察したのか目に見えて、しまった!という顔をした。違う、勇利くんが悪いわけではない。こんなところに身を潜めてしまったわたしが悪いのだ。
「はづき、みーーーーつっけた」
「ひ、」
違うぜったいこのキスマジスキー大帝が悪い。