勘違いエレジー





「わたし、おおきくなったら、ネジくんのおよめさんになりたいな!」




幼き日の純真無垢な私は何も知らなかった。それが恋だということも、叶わないということも、住む世界が違い過ぎるということも。

遠き日のその夢を見る度に自分の中に黒い影が広がっていくような感覚に襲われる。返事をしない彼は、どんな顔をしていたのだろう。

私の初恋は呆気なく幕を閉じたのだった。






ぽつりぽつりと降り始めた雨が、窓を地面をじわじわと濡らしていく。薄暗い空を見上げては此処から出られない自分の運命を嘆いてみた。


貴方様が私をかって下さったらどんなに幸せなことか、などと有りもしない戯言を小さく呟いたところで部屋の襖が開けられた。



「なまえ様、お支度の時間にございます。」



まだ幼い禿かむろが襖の間からそう告げた。この娘もまた、私と同じ籠の中の鳥。唯一の救いはまだ水揚げを迎えていないことくらいであろうか。一度見世に並んでしまえば、我々遊女はただの商品としてのモノでしかなくなるのだから。



「すぐ向かう」

「承知致しました。」




齢には似つかわしくない言葉を扱う少女はぱたぱたと小さな音を立てながら部屋を後にした。歩く時には音を立てるなと、後で教えてやらねばならないな。



・・・





真紅や銀朱、小紫や藤色の艶やかな着物に身を包んだ遊女が並ぶ見世の中、紺桔梗色に身を包んだ私はその色と同様の空気を纏っていたのやもしれない。


通りを行き来する殿方は、ひとりまたひとりと煌びやかに着飾った遊女を引き連れて妓楼の奥へと姿を消していく。



先程よりも少し強くなった雨足が、通りを行き交う人の声を掻き消していく中、ひとつの会話が私の脳を刺激した。



「ネジ、どの女が好みだ?」
「俺は付き合いませんよ」
「まぁそう堅いこと言うなよ」
「俺を巻き込まないでください」





聞こえてきた名前に顔を上げると、少し向こうに見えたのは、夢にまで見た彼の姿だった。

艶やかな漆黒の髪、白菫色の美しい瞳、あの日よりも随分と逞しく凛々しくなった立ち姿。

この姿を知られたくない、けれど私に気付いて欲しい。そんな矛盾だらけの感情に押し潰されそうになりながら、私はただこの格子の中に座っていることしか出来ないのだった。




「あの妓楼にしよう、俺は決めた。ネジ、お前も見繕え。」
「だから、俺は、っ」



少しばかりお酒を嗜んでいる様子の殿方が指差したその先に視線を向けた彼と視線が重なった気がした。この格子に目を向けたのだから私である確証はどこにもないのだけれど。


ふらりと近付いてくる殿方二人に、色のある視線を送る遊女達と、旦那様方はお目が高い!と胡麻を擦る見世番。





「手前の深緑色の着物の娘、俺と来い」
「仰せのままに」



深々と頭を垂れた遊女が、格子の外へまたひとり消えていく。

目の前にひとり残された彼は、ぐるりと辺りを見回して小さくため息を漏らした。不本意に連れて来られたのが理解出来ない程私も馬鹿ではない。



「旦那様は如何がなさいますか?」



見世番に迫られて、彼が重たい口を開いた。






「...奥の、紺色の彼女を、」


「仰せのままに」



先程の遊女同様、その場で深く頭を垂れた。もしかして、なんて淡い期待と、どうか気付かないで忘れていて、という息苦しさを胸に、彼の後を追った。





通された部屋には当たり前のように鎮座する真白の寝具。それの存在感が此処がどう云う所であるかを物語っている。

襖一枚で隔てられた向こう側では言葉巧みに行為を誘う色気ある殿方の声や、遊女の奏でる吐息交じりの五十音。囁かに聞こえてくる物音と甘い男女の声がなければ、今自分が置かれている場所を勘違いするところだった。




私は遊女で、彼はお客様だ。





「如何が致しましょう」





お客様のご要望にお応えし、受け入れるのが私の仕事であり、商品価値。

いつもと変わらない素振り、いつもと同じ様に三つ指をついて下から殿方を覗き込めば、殿方の支配欲と独占欲、その他諸々を掻き立てられるのだとか何とか。




「いつからここにいる」



「っ、何故、その様な、ことを?」




投げ掛けた質問とは噛み合わない答えが返ってきたことに驚き、言葉が詰まった。加えて、此処ではその手の話は禁忌とされている。自分の生まれ、育ち、此処へ来た経緯、その様な物を身に纏っていては楽しい夢は見られない。

部屋の外には複数の若い者がおり、会話すらも監視下に置かれている為、下手な発言は命取りにもなるのだ。



両親の作った借金の為にこの身を売られて此処へ来たなどと口が裂けても言える状況ではない。




「悪かった、そんな顔をするな」



果たして私はどんな顔を向けていたのでしょうか。話したがらない私に彼はゆるりと近付いて私の顔を上げるように顎に指を添えた。

今も変わらぬその美しい瞳で見つめられ、頬に熱が集まるのを感じ、触れたい、と本能が叫びを上げた。彼の頬に手を添えると伝わってきた温もりに自然と笑みが零れた。



「一夜限りやもしれませぬが、私を愛してはくださいませんか」

「... 、お前、まさか...っん、」



彼が全てを言い切る前に紅を引いたそれを彼の口に重ねた。彼の項に腕を回して縋るように続きを求める姿は何と破廉恥なことであろうか。小さな吐息と荒くなり始める呼吸に脳が刺激され始めていく。




「何方様を、重ねておられるのですか」

「俺の...初恋だ、」



よく似ている、そう苦しげに笑う彼に期待は膨らむばかりだ。


彼と想いが通じ合ったところで私が此処から自由を手に入れる術など無いのに。仄かな落胆を背負いつつも求められずにはいられない。




「ならばその名でお呼びになってください」


「...なまえっ、」



ぐらりと視界が廻り、彼越しに見慣れた天井が姿を現した。いつもと同じであるはずなのに、いつもとは何かが違う今宵の恋人ごっこは聞き慣れた自分の名前をも甘美なる刺激へと変えていく。


見つめ合えばあの日に戻ったようで、夢を見ているのは私の方やもしれない。


どうか私をかって頂けないでしょうか、
その想いが強くなるばかりです。





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