残り香の誘惑





薄暗い部屋に足を踏み入れ、まず確認することは壁に掛けられたカレンダーの今日の日付だ。赤い丸が付いていることを期待するが、それも虚しく黒で時刻が記載されていた。

今日も任務か。

ほんの少しの落胆を背負い、なまえの眠る寝室へと向かった。部屋の扉から漏れた灯りが細く廊下に浮かび上がっている。



「ただいま」


布団に丸くなり、まるで子供のように静かに眠るなまえの頬に自分の手をあてがうと、温かく小さな手がその上に重なった。



「おかえり、ねじ」


眠っているのか、起きたのか分からない程ふにゃりとした声が耳を擽る。緩く口角が上がり微笑んだかのように見せるなまえと、出来ることならこのまま一緒に眠りつきたい。



「なまえ、そろそろ起きる時間だ」



夜中が朝に変わる頃、普段ならまだ寝かせてやれるのだが今日はそうはいかない。カレンダーに書かれた時刻に間に合うようにと起こさなければならない。



「...やだ、」



駄々を捏ねるようにむくれながら重ねられている手が握られ、弱々しい力でありながらぐいぐいと布団の中に引き摺られていく。

無意識か、計画的犯行か。

いずれにせよなまえのその行動は俺の本能を掻き立てるには充分過ぎることであるに変わりはないが、ちっぽけな理性が必死になってそれにブレーキを掛ける。




まだネジと居たい。

そう思わせる言動に、甘い言葉が注がれるのではと勘ぐってしまう俺を、即座に否定するかのようになまえが口を開いた。



「さむい...ふとんから、でたく、ない」


もぞもぞと掛け布団を抱え込みながら、いとも簡単に俺の期待を打ちのめしてくれる。

俺の脳味噌はいつからこんなに少女漫画のようなことを考えるようになったのだ。自分に呆れ、ため息を一つ漏らした。



「いい加減、起きろなまえ、遅刻するぞ」
「はぁぁあああ...」


わざとらしい大きなため息と次から次へと零れる小言。絵に書いたような寝起きの機嫌の悪さに少し頬が緩んだ。



「コーヒー淹れるけど飲む?」
「...あぁ、」
「砂糖入れてあげるよ」



飲めないくせに無理しちゃって、と楽しそうななまえに何も言い返せないままふわりと湯気の立つマグカップを受け取った。


毎朝のルーティンの如く、温かいコーヒーを飲み切るとなまえのスイッチが入る。まるでぱちんと音が聞こえてきそうな程明確に。




「行ってくるね」
「気を付けろよ」
「はーい」



扉が閉まり、かちゃりと鍵が掛けられる。その場で欠伸をするとドタバタと足音が大きくなり先程閉められた扉が勢いよく開いた。



「、どうした」
「忘れ物!」



欠伸のせいで間抜けな面で出迎えた俺になまえの顔が近付いた。
冷たいのに温かい、柔らかな唇が俺の頬に当てられた。



「なっ、!」
「おやすみ、ネジ」



俺の少女漫画的思考は、なまえのこういうところからやってきたものなのかもしれないと、合致がいったはいいものの、眠りにつくまでにはもう少し時間がかかりそうだ。



Seduced by scent.





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