森で見つけたビスケット





「...あのー・・・」
「はい、?」


いつものように居酒屋で晩酌をしていると、後ろから突然話し掛けられた。

私はこの人を、知っている。
この人は私を、知らない。


「相席、いいっすか?」


ぐるりと店内を見渡すと、どこもかしこも席が埋まっていた。

なまえちゃん!ごめんね!悪いけど、頼むよっ!
カウンターの向こうから大将がはにかみながらそう言ったのだ。


「えぇ、どうぞ。」


任務で培った余所行きの笑顔と共に、椅子に置いていた自分の荷物を膝の上に移動した。


「邪魔しちまって、わりぃな」


無愛想ながらも礼儀を知っているその人は、口元に光るものをそっと仕舞った。

流石にお酒の席で千本は邪魔でしょう、不知火ゲンマさん。


「邪魔だなんて、とんでもない。」
「じゃ、遠慮なく。」


空けられた席に腰を下ろし、がやがやとする店内にも関わらず、少し低めの声がカウンターを越えた。


「大将、熱燗ひとつ」


あいよっ!と、大将の元気な返事が店内に響き渡る。
イメージを壊さぬその注文に、自然と口から言葉がこぼれ落ちた。


「今夜は、冷えますもんね」
「...お猪口ふたつで」
「?」
「まぁ、袖触れ合うも何とやら。
ちょっと付き合いませんか。」


顔をこちらに向けた彼は、まだ酔ってはいないはずなのに、どことなく頬が赤かった。





ちょっと。
彼はそう言ったはずだった。


「大将、もう一本」
「ゲンマさん、飲み過ぎじゃないですか?」
「うるせぇ」


明らかに頬を赤く染め、目が座り始めている。そして何よりも、距離が近い。ずいっと効果音が付きそうな程に前のめりで距離を縮めてくる彼の反対側は、惜しくも角席の為壁である。

距離感を詰められては逃げることもできず、至近距離で、まじまじと、見つめ合うことになってしまう。


「近く、ありませんか?」
「もっと近寄ってもいいんだけど?」


額がくっつきそうな程までにさらにぐっと距離を詰めてくる彼。

端正な顔立ちに、鼻を擽るアルコールの匂い。挑発的ににやりと笑う口元と、酔いで少し潤みがかっているのに真っ直ぐ鋭い目。


「その辺の小娘と、一緒にしないでください。」


カウンターの向こう側を遮るように壁につけられていたゲンマさんの右腕に自分の手を添えて、微笑みを返した。



これでも私は火影直轄の極秘諜報任務専門部隊のひとり。普段は一般人の振りをしているが、忍の端くれではある。

一筋縄ではいかない、とその挑発に乗った。




彼は一瞬驚いたような表情を見せたかと思うと、右腕を壁から離しお猪口のお酒をぐいっとひといきに煽った。

空になったお猪口と机が乾いた音を鳴らし、独り言のように彼が呟いた。


「こりゃ、口説き甲斐がありそうだな」


・・・




あれから私の晩酌に、ゲンマさんは度々現れた。偶然か、はたまた仕組まれていることか。いずれにせよ、少しばかり心躍る自分がいることも否めない。


しかし、現れたゲンマさんは私より酔いが回るのが早いようだった。彼がお酒に弱いだなんて思ってはいないが、潰れるならブレーキをかけて欲しいとは思う。

だって、


「ゲンマさん、だから近いです」
「わざとだっての」


はいはい、と口ではあしらいつつも回数を重ねる毎に期待してしまう。

それが、アルコールの力だとしても。



「しっかり歩いてください」
「酔いが足んねぇ」
「もう充分です、っ!」


ふらりと彼の重心が傾く。倒れるかと思った矢先、くるりと半回転した彼が私の真正面に現れた。




「一目惚れ、したんだよ。なまえに。」




その言葉は自分の頭の上からちらちらと降ってきた。

彼との、距離は、ゼロ。

今私の顔が熱を持っているのは、きっとアルコールのせいではないはずだ。


「か、帰ります!」




俯きがちにそそくさと歩き出した。任務でないとなると、こうも簡単に揺さぶられてしまうのか。私もまだその辺の小娘と同じなのだろうか。





「なまえ?」

足元の人影が目に入り足を止めると、ゲンマさんのではない聞き慣れた声が耳を掠めた。



「まーた飲んでんのかよ」



間延びした喋り口調に、気だるそうな態度。めんどくせぇ、と言わんばかりのその顔。



「今日は独りじゃないんスね」


彼の目が後ろのゲンマさんを捉えた。それに誘われるように振り向けば、ついさっき自分がされたことを思い出し、また顔が熱くなった。



「も、もう、帰るところ」
「んじゃあ、送ってく」


ゲンマさんのことを見て、俺家近いんで、そう付け加えた。


「なまえ、続きはまた今度な」



にやりと口元を歪ませて、ゲンマさんは背中を向けて歩き出した。さっきまでの千鳥足が嘘のように、右手をひらひらとなびかせてその場を立ち去った。


・・・




「...気があるんスか?」
「は?」
「道端で、よくもまぁ堂々と」


どこから見られていたのか。

別に咎められることではないけれど、掻き乱されている私は恥ずかしさでいっぱいだった。


「そんなんじゃ、ない」
「だったらっ、」


両手を頭の後ろで組み、ひとつ伸びをした後に彼は足を止めた。



「俺にしとけば?」

「シカマル、あんた何言ってんの?」
「なまえ、あんたが好きみてーなんだわ」


さらさらと夜風が木々を揺らし、ぼんやりと月明かりが私たちを照らしていた。ぽかんとする私にシカマルは言葉を続けた。


「近所のねーちゃんだと思ってた。けどよ、いつの間にか忍としてあんたの背中を追っ掛けてた。」


目線をあちこちに移しながら言葉を紡いでいく。照れくさくなると右手がうなじを触るんじゃないかと思っていたらビンゴだった。


「追いついたら、言おうって思ってたんスけどね。その頃にはあんた、いなくなっちまってた。」


正確にはいなくなってないけどね、なんて伝えることができるはずもなく、彼の言葉に耳を傾け続けた。忍であることは、隠し通さなければならないのだ。


「気が付いたらあんたのことばっか考えてるし、さっきみたいなもん見るとちっと腹が立つし、俺の隣で笑ってくれてりゃいいなって、思うんスよ」

「シカマル、」



ざあぁっと風が強く吹いた。乱れた前髪を整えて、すぅっと息を吸い込んだら、少し冷たかった。



「憧れと、恋を、混同しちゃいけないよ」



シカマルが自分に憧れを抱いていた?それ自体が私にはおかしな話に思えた。ただ数年、先に生まれただけで、秀でた能力があるわけでもなく、一族の血継限界忍術があるわけでもない。

シカマルより早く生まれたから、その分早く忍になった。本当に、ただ、それだけのことだった。



雲が月を覆い、明るさを失ってしまったら、彼の表情を読み取ることは難しかったが、はぁと小さくため息が聞こえてきた。

つかつかと歩み寄ってきた彼の右手が私の左手を掴んだかと思うと、そのまま彼の胸へと押し当てられた。


「んなもん俺が決めんだよ。」


押し当てられた左手からは、とくりとくりと彼の心拍が流れ込むようだった。あたたかく、それでいて、何故か懐かしいような心地いいリズムが。
シカマルの左手が私の背中へと回り、一層距離が縮まった。私の左手を掴んでいるその手にきゅっと力が加わった。



「好きなんスよ、なまえが」


切れ長なその視線の先は真っ直ぐに私を捉えている。さっきまで月明かりを遮っていた雲が流れ、それはスポットライトのように辺りを明るくさせた。

身体中の血液が顔に集まるような感覚に陥った。これはお酒のせいか、何なのか。


「っ、!からかう、のも、いい加減にしなさいよ!」


掴まれた左手を解いて、私は帰路を走り出した。


「...マジだっつーの...」


シカマルの言葉がなまえの耳に届くことはなく、夜の闇へと吸い込まれていった。


・・・



何なんだ、何なんだ、何なんだ。
一体全体、どうしたっていうのだ。
ぱたん、と玄関の扉を閉め、荒くなった呼吸を整えた。

そのままへなへなとその場へ座り込んでしまうと、足が少しひんやりとして、火照った身体を冷ましていった。



平凡な家に生まれ、周りに流されるがまま忍になり、その平凡さが買われ極秘諜報任務専門部隊に配属された。本当にただそれだけだった。目立つことがないことは、諜報任務には持ってこいだと、怪しまれることも噂が立つこともないのだと、そう説明を受けた。火影様が、私の平凡さに太鼓判を押したのだ。



なのに、


「なんてこった...」



一日のうちに二人の男から言い寄られるだなんて、平凡を逸脱している。

負けん気で受けたゲンマさんの挑発も、間違いを正すように諭したはずのシカマルの告白も、私の頭を悩ませるには充分だった。


深いため息が、自分の部屋を侵食していった。


・・・



それからというもの、私の平凡はがらがらと音を立てて崩れていった。


「ったく、ガキのままごとに付き合ってねーで俺にしとけって」
「よく知りもしねーオッサンなんか見てねーで俺にしとけよ」


火影様へ昼食を届ける、という名目で報告業務に火影邸へと足を運んだ帰りに、ばったりと例のふたりに出くわしてしまったのだ。
ばちばちと見えない火花を私の頭の上で散らすふたりを止めるには、私が答えを出す他なさそうである。


「で、どっちにすんだ?」


両脇から顔を覗き込まれ、逃げ道を塞がれる。ふたりして凄みの利いた声で、迫ってくるのは少し怖い。


「えっと...、」






・・・






ぽかぽかとした陽射しが窓から射し込み、ふわりとカーテンを揺らす風が心地良い。少し膨らみを持った自分のお腹を撫でながら、そんなこともあったな、なんて昔のことを思い出していた。


「出来れば、パパに似ていてね」


私みたいな平凡な人間ではなく、彼のような立派な人間に。立派な忍に。

そんなことを考えていたら程なくして、玄関の扉がこんこんと軽快な音を立てた。



「ただいま」
「おかえりなさい、 」



慈しみを込めて、彼の名前を呟いた。



What is your choice?
その名前は、





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