桜の花弁を追い駆けた





好きなあの人の隣にいられるのに、鋭い視線のその先には私じゃない誰かを見据えていて、そんな事気付きたくなかった。私はもっと馬鹿でいたかった。

「おかえり、サスケ」
「あぁ」

いつもの短い返事。いつもと同じように靴を脱ぎながら締めたネクタイを緩める。その仕草がたまらなく好きで、仕事で疲れていると頭では分かっていても、受け取った鞄を床に置き飛びついてしまう。

いつもと同じ、ふぅっと吐息で笑うサスケの頬に口付ける。全てがいつもと同じだったはずなのに、ちくりと胸を刺すこの痛みは何なんだろう。

「サスケ、嬉しくなさそうだね」

離れ際に口から零れたのは、私の胸に感じた小さな痛みを具現化した言葉だった。それを八つ当たりの様にサスケに投げつけた。

何も返事がないことがどれほど胸を締め付けるのか、きっとあなたには分からないと高を括って背を向けた。知ってる、あなたが誰を想っているだなんて。それでも良いと、私は彼の隣に立つことを選んだはずだったのにこんなにも苦しくなるだなんて思ってもみなかった。

だって、その人は、もうこの世には、いないのだから。だからきっと時間が解決してくれるだろうという希望的観測と、無駄にポジティブな楽観的思考がそうさせた。

「ご飯?お風呂?」

くるりと振り返り張り付けた笑顔でまたいつも通りに戻ろうとした私と、ぽつんと取り残されたサスケの間にはひんやりとした空気が流れていた。あぁ、もういつも通りには戻れないのかもしれない。

私が投げつけた言葉は小さなヒビに留まる事はなく、サスケからしたら今までの二人で過ごした時間の中で蓄積していた何かの引き金を引いたのかもしれない。

「お前は、」
「え?」
「お前はどちらがいい」
「何が?」

どくり、心臓が跳ね上がった。

主語の無い質問が私の身体の中心の揺さぶる。少しの間が永遠に感じる程に時間がゆっくりと沈黙が流れる。

脈打つ心臓の音が彼にも届いてしまうのではないかと思ったその時、いつも通りに戻ろうとする私が顔を覗かせた。

「...お風呂、かな、?」

サスケがすぅっと息を吸い込む音が聞こえて、またいつも通りの短い返事かと思えばその後に思いもよらない言葉が続いた。

「行くぞ、風呂」
「え?ちょっと、サスケ!」

聞こえている筈の私の言葉を無視して決して広くはない家の中を歩き出す。握られた左手首にちくりと痛みが伴い、彼が握る力を強めたのだと感じた。

ねぇ、今、何を考えているの?

傷付くのが怖くて踏み込んでこなかったところに、自分から飛び込んだのにまだ怖気付いているらしい。

足早に到着した脱衣所で、サスケは掴んでいた私の手を離すと同時に眉間に皺を寄せた。

「そんなに恥ずかしがることか」
「え?そ、そういうことじゃなくて...」

思っていたよりも素頓狂な言葉に、勘繰っていたのは私だけだったかもしれないという少しの安堵に包まれた。

「ちょ、っと!やめ!」

サスケが少し屈んだかと思うと、私のことを抱きかかえた。それは俗に言うお姫様抱っこというやつで。

「ちゃんと食べてるのか」
「...た、食べてるわよ」

自然と両手がサスケの首に回り、距離がぐっと近くなった。両手が塞がっているはずのサスケは器用に浴室のドアを開け、湯船の中に私をゆっくりと下ろした。密着していたのはほんの少しの時間なのに離れるのが惜しくてサスケの服を手放せなかった。ぐっと力を入れる程にシワの寄るシャツの袖がじとりと湿り気を帯びていく。

「随分と積極的だな」

人の羞恥心を逆撫でする物言いは健在。目を細めて口角だけで笑みを見せるこの表情はきっと私だけしか知らない表情であってほしい。

「サスケ、好き」

ほくほくと上がる湯気の漂う浴室の中で、ぼんやりと反響したその言葉に嘘はない。ただ、私もサスケの一番でいたいなんておこがましい欲が前へ前へとしゃしゃり出てきてしまった。

握り締めたシャツの袖を離して両手の平を彼の頬に添えた。誰かと私を重ねないで、私を見て欲しかった。

「なまえが思ってるより、俺はお前のこと好きだと認識してるんだが」

私の思ってることを察知したかのような返事が返ってきてぎょっとした。真っ直ぐ見つめられているのは重ねた誰かじゃなくて私だったことに今更気が付いた。

狭い浴槽の中に身体を捩じ込むようにサスケが侵入してきて、器用に私の身体を支えたかと思えば唐突に口を塞がれた。

「、んっ」
「あまり動くな、溺れるぞ」

彼の前髪が私の頬を掠めた。身体が動く度にちゃぷりとお湯が音を立て、口元で鳴る音を掻き消していく。酸欠になりそうな程息が苦しく感じるのは、浴室を漂う湯気のせいかそれとも口付けの激しさのせいか。

「少しは分かったか」

可愛げの含まれたリップ音と共に離された距離に淋しさを覚えつつも、空気を胸いっぱいに吸い込んだ。上がった呼吸を整えていると、サスケの右手が私の前髪を撫で上げた。

「湯冷めするぞ、続きは後だ」

少し微笑んで音もなく額に口付けが降ってきた。照れ隠しなのかそのまま顔をふいっと背け、蛇口に手を伸ばした。

勢いのある高い音が鳴り響いてざぁぁとシャワーからお湯が降り注いだ。


ノックアウト5秒前





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