瞼が重い、というか全身が重い。押さえつけられているようなそれではなくて、宙に浮いているような感覚があるのに身体を動かそうとしても電気信号が末端まで伝わっていないような、味わったことのない不思議な感覚。
「くそ、」
すうっと耳に入ってきたその声は顔を見なくても誰だか分かった。でもどうしてそんな悲しそうな声色なのだろう。
じわりと伝わってきた温かさはシカマルの体温なのだろうか。左手がぎゅっと握られているような気がした。その瞬間、あれ程にも気だるかった身体がふっと軽くなった。
薄く開いた瞼が外の光を集めてくる。なんて眩しいんだろう。
少しすると目が慣れて見知らぬ天井と対面した。右に視線をずらせば青い空が窓枠から切り取って見え、その手前にはガラスの花瓶にポピーが色彩豊かに揺れていた。左に目線をずらすと先程の声の主が私の左手を握り、額をくつっつけている様が目に映った。
「...しかま、る、」
白い天井に白い壁、白いシーツと白いカーテン。説明なんていらないくらいに分かりやすくここが病院だと示された空間で、私はその人の名前を呼んだ。
「なまえ...」
シカマルとようやく目が合い、大丈夫と口にするつもりだったが、その赤い目に涙をたっぷりと浮かべ、決して流すまいと口を固く結んだ彼の表情に、開いた口が塞がらず、言葉は声にならなかった。
「シカマル」
「んだよ、」
「ちょっとはあんたも休んだ方がいいわよ」
「...わーってるよ」
小さな扉の音と共に現れたイノちゃんは、いつもの明るい声でシカマルに声を掛けた。疲れきったシカマルの表情を見なくても分かりきっている様子でその手に持った花を花瓶に差し替えていた。
「なまえが起きた時、あんたがそんな顔じゃあの子も心配するでしょ」
「分かってるって言ってんだろっ」
ガタン、と大きな音を立ててシカマルが座っていた丸椅子が倒れた。時間が止まったようにシカマルもイノちゃんも止まってしまった。
「わりぃ、外の空気吸ってくる...」
先に口を開いたのはシカマルの方で、重い足取りで部屋の外へと姿を消した。
倒れたままだった丸椅子をイノちゃんが直し、そのまま腰掛けて小さな溜息を吐いた。
「あんたもあんたよ...ほんと無茶ばっかりして...」
「、いのちゃ...わたし、」
イノちゃんの細い指が私の頬を撫ぜた。その手の奥に見える表情はシカマルのそれと似ていて、私を酷く困惑させた。
返事のない呼びかけ、室内に居座る重たい空気感、添えられた花、二人のやりとり。
私の言葉は一つも、誰にも届いていなくて、ただ二人の落胆を生み出しているだけだったのだと気付いてしまった。気付いてしまっても成す術なんかなくて、じわじわと感染するように私にも落胆を運んできた。
そんな顔させたかった訳じゃない。大事な人を、大事な仲間を、大事な里を守りたかった。ただそれだけだった。でもそんなものはただのエゴに過ぎなくて、目の前に広がる現実は思い描いた理想とは掛け離れていることに変わりはない。
届かないとは分かっていても、溢れてくる言葉はただひとつで。
「ごめ、ん...な、さい...」
「なまえっ!うそ...シカマル!ちょっと!」
さっきまで何一つ届かなかったことがまるで嘘のようで、シカマルみたいにガタンと音を立てて丸椅子を倒したまま、バタバタと部屋を後にしたイノちゃんが、軽く息の上がったシカマルを連れて来るまでそう時間は掛からなかった。
「なまえっ...」
少し震えたシカマルの両腕が温かくて優しくて、少し痛かった。
「ごめんね、シカマル...心配、かけて、」
「ほんっと、お前って奴は...」
その先の言葉が続かなくても、ぎゅうぎゅうと力の入るシカマルの両腕が語る想いを身体で感じることができた。
ごめん。そう何度も何度も口にする私にシカマルはその度に優しい言葉を返してくれたり、大きな手で私の頭を撫でてくれた。
「ありがとう、シカマル」
「んだよ急に」
右手が項に回って視線が逸らされた。それは彼の自覚のない照れ隠しそのもので、私を安心させた。痒くもないくせに力任せに後頭部をがしがしと掻いた後、無造作な私の前髪がふわりとかきあげられた。
「まだ伝えてねーことが山程あるんスよ」
思いもよらないシカマルとの距離感に心臓が脈打った。一瞬のことだったかもしれないけれど、妙に時間が流れるのか遅くて、じりじりと距離が縮まっていくにつれて自然に目を閉じてしまった。シカマルの息遣いが額で感じられたその時、扉の向こうからがやがやと騒がしい声が聞こえてきた。
「続きはよくなったらっスね」
驚きと恥ずかしさと嬉しさと、色んな感情がごちゃ混ぜになって身体中の熱が顔に集まるような感覚だった。
けど、顔を背けて俯いたのは私だけじゃない。
「なまえの意識戻ったって?!...?なんで額なんか抑えてんの。痛むの?」
「いや...なんでも!ない!だ、だいじょぶ!」