彼は多くを語らない。決して、そんな人ではなかった筈なのに。
皆に優しく、才に愛され、驕ることなく、よく笑う人だった。
家の扉が軽快な音を奏でた。ノックの数は5回、それが彼だと指し示す回数だった。
「すまない、遅くなった」
扉を開けると民間人に扮した彼がそこに立っていて、姿も声も違うけれども私を安堵させるには充分だった。
「おかえりなさい、無事で何よりです」
「詫びと言っては何だが、甘味でもどうだ」
人は見掛けによらないとは言うけれど、彼と居るとそれ実感させられることが多かった。勇ましい見た目とは裏腹に甘味に目がないところなんて、それはもう。
私が民間人に扮するのをはにかみながら待っている様はまるで、散歩に出掛ける前の飼い犬の様で、くすりと笑みが零れた。
「好きですね、本当に」
私との時間が心待ちなのか、甘味が心待ちなのか、前者だと嬉しいのだけれど。
好きだとか、愛しているだとか、恋愛のテンプレートのような言葉を互いに交わしたことがない。だから私たちは世間でいうところの " カップル " であるのかすら定かではない。
けれども私は彼の隣に居たくて居て、彼は私の隣を歩いている。言葉での約束を交わさないのは、死と隣り合わせな私たちには丁度いいのかもしれない。
甘味処で新作と謳われるぱるふぇなるものを口に運ぶと、真白いクリームの優しい甘さと果実の僅かな酸味が口の中に広がった。
これは、おいしい。
目の前に座る彼も口元を緩ませ、そのぱるふぇの虜になっていた。
彼が二口目を口に運ぼうとしたその時、がやがやとした店内で私は小さく言葉を零した。
「行ってしまうんですよね、イタチさん」
「何だ、急に」
元々あまり大きくはないその目をさらに細めて、口へ運ぶはずだったスプーンを器に戻し微笑んだその表情は、少し困った様でもあり、どこか憂いを含んでいる様にも見えた。
「サスケくんのこととなればどんなことでも天秤にかけるまでもないですもんね」
「...なんのことだ」
「一族の一掃だなんてこれほどに酷な任務は私、聞いたことがありません」
「お見通しという訳か、」
うちはに伝わるという紅い目をして、そして微かに哀しみを含ませた顔をして、彼は私の目を真っ直ぐに捉えた。
私の、紅い目を。
「だから私、この目嫌いなんですよ」
自分のことを嘲笑う様に呟いたその言葉に嘘は一つもなかった。
うちはの写輪眼の様に優れた特異体質でもなければ、日向の白眼の様な血継瞳術でもない。一族の中でも私にだけ現れた云わば突然変異。
見たくないものだらけの世界の文字通り " 何でも " 見通せてしまった。
才に愛されると言えば聞こえは良いが、それは脅威と紙一重。私が暗部に属しているのも半分は監視の為だということだって知っている。
俯いた私をいつの間にかぱるふぇを食べ終えたイタチさんが呼んだ。顔を上げると、そのまま右手を引かれた。
「帰ろうか、なまえ」
優しく囁かれた自分の名前に返事をするように小さく頷くと、ふっと笑って私の右手に力を入れたイタチさん。
その手を繋いだまま里を歩いたことがどれほど嬉しかったか。
この時間が今日で最後なのだと見えてしまったことがどれほど悲しかったか。
あっという間に家に着き、玄関の扉が閉まった瞬間に変化を解いた音が二人分重なった。
「なまえ、」
「分かってます」
「...なまえ、サスケを頼む」
「表立っては何も出来ませんよ」
「なまえ、」
今にも泣き出しそうな子供の様な、何かに縋り付いている様な、そんな様子を滲ませながら私の名前を何度も何度も口にした。その度に返事をしてみたり、手を握ってみたりしたけれど、一向にその先が続かないようだった。
「イタチさん、」
ゆっくりと彼との距離を縮めていき、大きな背中に手を回した。じわりじわりとその腕に力がこもってしまい、感情がだだ漏れになっていくのが、止められない。
先程まで力なく垂れ下がっていたイタチさんの腕が私の背中に回ってきて、大きな掌が優しく私を宥めた。
「なまえ...」
「生まれ変わったら...恋人に、して、くれます、か...」
捻り出した言葉はとてつもなく陳腐だったけれど、私が今イタチさんに言えることは、行かないで、でもなく、連れて行って、でもなく、このくらいしかなかった。
握り締めたイタチさんの服を離したくなかったのだけれど、イタチさんの手が私の肩に乗り、ぐいっと引き離された。
小刻みに震える私にイタチさんは少し屈んで笑って見せた。
「生まれ変わったなら、結婚しよう」
今まで口にしなかった五文字を、示し合わせもなく言葉が重なった。お互いの紅い目に吸い込まれるように顔が近づいて、初めてキスをした。
First and Last .
さよなら、愛してる。