「…こん、左近!」
「!?」

名前を呼ばれてはっとする。気が付いたら目の前には保健委員長、善法寺伊作の姿。心配そうな顔で左近を覗きこんでいる。

「…あ、はい。何ですか?」
「今日はここまでにしようか」
「え、でもまだ終わってませんよ」
「明日にするよ、僕疲れちゃった。一緒に残ってくれて有り難う」
「…いえ」

もう時間は真夜中。しかし今日は徹夜して仕事をするつもりだった。伊作先輩だってそのつもりだったはずだ。


(…熱っぽい。伊作先輩に見抜かれたかな)

医務室を後にして暫く歩き、ふらりと眩暈がして額に手を当てればほんのり熱い。あの人は人の体調や怪我に敏感だから、と左近は部屋に向かいながら思った。
頭がくらくらする。これは本当に熱があるかもしれない。左近はふらつく足で壁をつたって部屋までたどり着いた。

三郎次は寝ているだろうからと静かに扉を開けて中に入った。中には布団がきちんと二枚敷いてあり、規則正しい寝息が聞こえる。

(…着替えないと)

左近はふらふらと寝間着の置いてある場所まで行き、震える手でなんとか着替えた。

(も、休みたい…)

視界までぼやけてきた。
左近は近くの布団にどさりと倒れ込んだ。しかしそこには人の感覚。どうやら三郎次が寝ている布団だったようだ。

「…重、あー左近、帰ってきたのか…」
「……」
「つーか布団間違ってんなよ。…左近?」

目が覚めた三郎次が、左近の様子に違和感を覚える。

「左近…?おい、どうした!?」

がばっと起き上がり、自分にもたれかかる左近を抱き抱えた。身体が熱い。

「ん…だるい……」
「そりゃこんだけ熱けりゃ」

三郎次が左近の額に手を当てて驚く。

「たく、どこから風邪なんか貰ってきやがったんだ」
「ご、めん」

相当辛いのか、左近が表情を歪めながら言う。いや、それ以前に左近が素直に謝ったことに三郎次は驚きだった(別に左近が悪いわけでもないのに)。普段なら屁理屈の一つや二つ切り返してくるのに。

「お前、本当に大丈夫か?」
「…平気」
「嘘付け。待ってろ、善法寺先輩呼んでくる」

三郎次は左近を布団に寝かすと立ち上がろうとした。しかし、左近に袖を引っ張られてそれを制される。

「…左近?」
「……く、な」
「え?」
「行くな…」

三郎次は耳を疑った。あの左近が弱気で、すがるような瞳で自分を見ている。

「いや、でもお前」
「…伊作先輩に…迷惑かけたくない」
「っ」

こんな状況でも、先輩を気遣う左近に苛立ちを覚えた。そんなに大切なのか、と。しかし次の瞬間そんな思考は吹っ飛ばされる。

「それに…」
「…左近?」
「…傍に、いて欲しい」
「っ!?」

ぎゅっと袖を握られれば堪ったもんじゃない。三郎次は思わず左近を抱きしめた。

「…三郎次?」
「っ馬鹿野郎…」

こんな時に可愛いなどと思っている自分は不謹慎なのだろうか。三郎次は内心ため息を吐き出す。

しばらく心地よさそうに目を瞑っていた左近だが、不意に三郎次の胸板を押した。

「左近?」
「…離れろ……うつるだろ」

こんな時でも他人を心配するなんて、左近らしいと小さく笑った。

「何笑ってんだ…」
「別に」
「…意味分かんね…うわっ」

突然三郎次が左近を抱いたまま布団に倒れこんだ。

「何やって…」
「今日はこのまま寝る」
「…はぁ!?」

左近が声を張り上げた。だんだん理性を取り戻してきたのだろう。

「駄目だ、うつる…から…離れろって」
「優しいなー、左近」
「べ、別にお前を心配してるんじゃないっ…治療するのは僕らなんだぞ…!」
「はいはい」

そう言ってまた三郎次は笑う。

「今日は俺の我が侭聞けって」
「…お前はいつも我が侭だろ」
「左近だって」

そう言うと二人の目があった。左近はふいっと目を逸らす。その顔がほんのり赤いのは熱のせいもあるだろうか。

「おやすみ、左近」
「…うん」
「明日薬貰えよ」
「分かってるよ」

そう呟いた左近を抱きしめる腕に少し力を加え、三郎次は瞳を閉じた。朝が、来なければいいのに。