方の隣


夢を見た。


「…おーい、義。いつまで寝てんだ」

急に日が陰ったと思って目を開けたら、こちらの顔を覗きこむ鬼蜘蛛丸の顔が目の前にあった。岩場で昼寝をしていたが、思ったよりも時間が経っていたようだ。
よいしょ、と身体を起こして伸びをする。潮の匂いが心地良い。

「ふー、よく寝た。鬼さんが来なきゃずっと寝てたなこりゃ」
「はは、しっかりしてくれよ、相棒」
「…、…」
「ん?どうした」
「いや、」

ただ、ああ、そうだ。夢を見た。

「…鬼さん、夢を見たんだ」
「夢?どんな夢だ」
「昔の夢さ」





――義丸も鬼蜘蛛丸も幼い頃から兵庫水軍に所属していた。彼らみたいに子供の頃からここにいる者は少なくないが、その中でも鬼蜘蛛丸は昔っから頭が良く、子供ながらに潮の流れや風を感じる能力に長けていた。
だから上からもとても期待され、大人たちに混ざっている光景もよく目にすることがあった。義丸からすれば、自分と同じ歳なのにとその差はひどく大きなものに感じられて。鬼蜘蛛丸の背中ばかりみているものだと思っていた。妬ましくて、羨ましくて、つまりはそう、ずっと嫉妬していたのだ。

他人より多く訓練したって、大人の力には敵わない。それでも諦めきれなくて、彼みたいに自分もと。しかしいくら訓練を積み重ねようと、本当に意味あるのかと悩みながら、不安に押し潰されながら毎日もがいていた。

兄たちに褒められても、それが子供に対する世辞に思えてしまっていた。それほどに、彼の中で鬼蜘蛛丸の存在は大きかったのだ。



「――義丸、何してんだ」

夜中、こっそりと水軍館を抜け出して少し離れた岩場に座ってたら後ろから声をかけられた。驚いて振り返ると、鬼蜘蛛丸がこちらを伺っている。

「何で、ここに」
「義丸が出てくの見えたから、どこ行くのか気になって追いかけてきた」

言いながら鬼蜘蛛丸は義丸の隣に腰掛けた。そして再び、何をしてたんだと問う。義丸は鬼蜘蛛丸から視線を逸らした。

「…海を見てた」
「海…」

鬼蜘蛛丸も同じように海を見る。薄暗い、夜の海。視覚が十分でない分、波の音がより大きく聞こえた。

「海が好きだ。飽きることがねえ。ここで、兄貴たちの役に立ちてえ」

海を見る度にそう思う。心が急く。早く、早く。早く一人前になって、そんで。

「義丸は今でもすげえじゃねえか」

不意に発せられた隣の少年の言葉に、カチンと何かが弾けた。

「ッふざけんな!!」

思わず声を荒げると、鬼蜘蛛丸は驚いた表情を見せた。それでも、止まらない。

「お前が何を知ってんだ!俺の、何が分かる!」

言葉が、次々と溢れ出てくる。言葉だけじゃ飽きたらず、鬼蜘蛛丸の胸元を乱暴に引っ付かんだ。

「今でもすげえ?簡単に言うな!何もすごくねえよ!俺なんか、何も出来ちゃいねえんだよ!お前みたいに兄貴たちから期待されることも出来ねえ!お前みたいに、元からデキの良い奴には分からねえんだよ!」

ガツン、と鈍い音がした。鬼蜘蛛丸に殴られたのだと分かったのは、岩場に倒れて込んで頬に痛みを感じてからだった。

「うお、悪い!そんな強く殴ったつもりは…ひょろっこいな、まだ」
「ああ!?」
「まだ、だって。まだ」
「は!?」
「お前だって、俺も。まだ小せえからさ。出来ることと出来ねえことは分けられちまう」
「ッ、そんなの、ただの言い訳だ」

鬼蜘蛛丸から顔を背ける。冷静な鬼蜘蛛丸に余計腹が立った。腹が立つのは、本当は分かっているからだ。こんなの、ただの八つ当たりでしかない。自分の不安を押し付けてるだけ、何も悪くない鬼蜘蛛丸にぶつけてるだけだ。分かっていても、悔しいのだ。やるせなくて、

「…怖えんだよっ」

ぼろぼろと義丸の瞳から涙が溢れ出す。それを拭うことはせず、ぼろりぼろりと流しながら肩を震わせた。

「このまま、何も力にならねえまま、時間が、経ってくみたいで…」
「……」
「兄貴たちにも、お前にも、置いてかれるんじゃねえかっ、て」
「そんなことねえよ」
「何で言い切れるんだ!」
「言い切れるんだよ!!」
「!?」

鬼蜘蛛丸はその場にしゃがみこみ、義丸の顔を両手で包む。

「何で義丸は、少しも自分を認めてやんねえんだ」
「な、」
「俺は知ってる。お前が人一倍努力してることを、体にたくさん傷を作ってまで毎日毎日訓練に励んでることを、俺ァ知ってる」

子供には似つかわしくない、傷痕が絶えない身体。それは義丸だけではなく、目の前の少年も。

「俺だって努力はしてる。別に天才ってわけじゃねえんだ。それに、期待されてるってのは分かるし、それが嬉しい反面、重くもあるんだ」
「…重、い?」

怪訝な顔をすれば、鬼蜘蛛丸は情けなさそうに笑った。

「俺も怖えんだ」

大きな、衝撃だった。だって、鬼蜘蛛丸は同じ年列の奴等の中でも頭が抜きん出ていて、皆一目置いているのに。そんな彼が、自分と同じ不安を抱えているだなどと。

「お前はさ、義丸。俺と同じ歳だし、真っ正面から向き合える奴なんだ。だから、これからも素直にぶつかってきて欲しいし、俺の支えになって欲しい。勝手だけど、お前と一緒にここを守っていきたい」

鬼蜘蛛丸が立ち上がり、義丸に手を差し出した。それをほぼ無意識に手に取り、義丸も立ち上がる。立ち上がってみれば、同じ目線がそこにはあった。


「なあ義丸、お前は必ずこの水軍を担う重要な男になる。必ずな」

そう言った少年の目は本気だった。ああ、俺は、なんて小せえ男なんだ。一気に自分が情けなくなった。そしてその瞬間からだ、この目の前に立つ彼に憧憬の念を抱き始めたのは。俺は、この人と共に、

「俺は、あんたの隣に立ちたい」
「もう立ってる」

な、と鬼蜘蛛丸は笑う。けれど義丸は頷くことが出来なかった。まだだ、あんたは遥かに大きい。

「つーわけで、よろしくな、義」
「ああ、」

(ずっとあんたと一緒に歩ませてください、宜しくお願いしますよ)
(なんだ、畏まりやがって)


照れ臭そうに笑うあんたにつられて、俺も笑ったっけ。
なあ鬼さん、―――








「――なんだ、突然笑いだして」
「いやあ、鬼さんは昔っから鬼さんだなあって」

懐かしい夢を見た。船に戻りながら思いだしたら、うっかり口角が緩んだ。

「は?ああ…で、いつの夢見てたって?」
「俺が反抗期だった頃の夢」
「…お前に反抗期とかあったか?」
「あったって。めっちゃ鬼さんに敵対心燃やしてましたもん」
「そうかあ?」

はて、と鬼蜘蛛丸は首を捻る。元から人の良い彼のことだ、当時から気付いてなかったのかもしれない。確かあの時殴られた後も自分で殴ったというのに執拗に心配してきやがった、と思い出せばまた笑いが込み上げてきた。

「いつまで笑ってんだ!」
「いて!」

そのくせ今では平気で殴る。でもちょっとやそっと殴られたぐらいじゃ、よろめきもしないくらい頑丈にはなった。

「いや〜鬼さんはやっぱでけえなあって」

近年とうとう四功の一人にまでなっちまいやがった。立派なものだ。今となっちゃ嫉妬なんかしない。むしろ誇らしい。


「お前も、」
「はい?」
「お前もでかくなったな」
「……」


お陰様で、な。にやりと義丸が笑う。

「背も鬼さん越えたしなあ」
「馬鹿野郎!ほんのちょっとの差じゃねえか!むしろその癖っ毛のボリュームじゃねえのか!?」
「んなわけねーでしょ!鬼さんは変なとこで負けず嫌いなんだよ!」
「お前に言われたくねーよ!」
「った!すぐ殴る!」
「たくっ、おら、さっさと行くぞ」
「へいへいっと」


足早に歩き出した鬼蜘蛛丸に遅れまいと並んで歩く。

なあ鬼さん、鬼さん。俺はあんたの隣にいるかい。何年、何十年先も。
あの頃から敬愛して止まない、俺の相棒。