ひととせの差
「六年の実習に着いていく?」
驚きの声を漏らしたのは竹谷だった。けれどそれは他の三人も同じで。驚きの目を向けられた当の本人である兵助は平然と頷いて見せる。
「ああ」
「なんでまた、」
「こないだの実技試験あっただろ?あれの結果が一番良かったからだってさ」
そう言えば四人は思い出すように先日行われた五年合同実技試験を思い出した。そこで鉢屋が眉を寄せた。
「そういう結果が付いてくるならもう少し真面目にやれば良かった」
「いつでも真面目にしてたらいいのに」
「で、兵助。その実習はいつからなの?」
「明日」
「へえ、頑張れよ」
「兵助なら大丈夫だろうけどな」
「ああ、」
頑張るよ、と言って級友たちと別れて支度するために部屋へと戻った。
自負があったわけじゃない。それでも、六年生に着いていく自信はあった。そんな思いを打ち砕かれたのは実習が始まってすぐのことで、その実習が終わった時には彼らと自分との大きな差を突きつけられた。
たかが一年の差。
されど、一年。
帰路。
ふらり、と思わず足取りが歪んだ。するとすぐさまくいっと肩を抱かれて支えられる。見上げれば小平太がいつもと変わらない瞳でこちらを伺っていた。
「大丈夫か、久々知」
「…平気です」
「顔色が悪いぞ」
「問題ありません」
じっと真っ直ぐに目を見つめられ、思わず視線を逸らした。彼のこの目が苦手だった。平気ですから、と歩き出そうとするが小平太の手は兵助を捕えたままで。しかしそれが無かったとしても平然と歩ける余裕が兵助には無かった。けれどそれを先輩たちに悟られたくない。きっと、小平太は気付いてしまっているだろうが。
「おい、何やってるんだ」
着いてきていない二人を不審に思ったようで、前方から食満の呼び声が聞こえた。やばい、と兵助が思った矢先。くるりと小平太が彼らに向き、叫んだ。
「団子が食いたい!」
と。
「…はあ?」
当然ながら先行く彼らは素っ頓狂な声を上げた。小平太は更に続ける。
「峠を下りたところに茶屋があったはずだろう?一服しよう!」
「……、たく。仕方ねえなあ」
そう言ってまた彼らは歩き出す。小平太の大きな体に隠されて兵助の様子は分からなかっただろうが、恐らく彼らも気付いたのだろう。後輩の様子に。それに触れなかったのは彼らの優しさだろうが、その優しさすら痛かった。
「さ、行こう久々知」
「…ッ…」
「よし、いけいけどんどーん!」
「え!?…うわっ!!」
突然小平太が兵助を抱え上げダッと走り出した。一瞬で先を歩く彼らに追いついたかと思えばすぐさま追い越す。そして振り返りざまに叫ぶのだ。
「茶屋まで競争しよう!負けたやつの奢りだ!」
「何ィ!!?」
驚きの声を上げる者もいたが、仙蔵は直後走り出した。文次郎や食満が反論を唱えようとしたが、長次と伊作も続いて走り出したため慌てて彼らの後を追いかける。
結局最後に到着したのは、ちょっとした事故に合い遅れを取った伊作だったわけだが。ちなみに小平太は兵助を抱えていたにも関わらず一番乗りで到着した。
兵助は茶屋で団子を食いながら、まるで忍の卵とは思えないほどの間の抜けた会話を交わす六年たちをただ見つめる。(忍者とバレてはいけないから当然の会話なのかもしれないが)その余裕さが残る彼らを見れば、更に己が虚しく感じるのだ。
「ん、久々知どこ行くんだ」
「…厠です」
情けない話立った瞬間立ちくらみをしたが、なんとか店の裏まで歩いて行った。別に厠に行きたかったわけでは無かったのだが。裏の井戸から水を汲み、顔を洗う。桶の水に写った自分の顔を見ていたら、不意に別の人物の顔が写った。
「っ、立花先輩…」
「何をそんなに気負う」
気配無く兵助に近寄り、仙蔵はどこか気の抜けた笑みを浮かべる。
「…別に、」
「我らと自分との差を目の当たりにして、自分を情けなく思ったか」
「ッ」
「己の力を過信していた、と」
「…そうですよ、俺はまだまだ未熟な卵です」
「それは我らとて同じだ」
「…」
「それにな、久々知。お前のそれは過信ではない」
「え…」
仙蔵が笑みをより一層深める。
「お前は優秀な卵だ。五年の中でも特に、な」
「…そんなことありません。もし、この実習に三郎が来ていたら、俺みたいにはならなかったでしょうし、他の奴らだって」
「いいや、鉢屋が来ていようが不和が来ていようが、他の奴らでも、結果は同じだったさ」
仙蔵の表情から笑みが消える。
「一年の重みは軽くはないぞ、久々知」
「…!」
「学園に入れば一年が過ぎるのは容易く早い。しかしプロの世界に入ってみればどうだ。――嗚呼一年を生き延びれた、と安堵するのだろう。その酷く長い一年を越えられたことに」
な、と今度はどこか儚げに仙蔵は笑った。
「今は多いにもがけ。今日からお前にとっての1日が変わるだろう。心して生きるがいい、後一年だ。後一年で、お前らを、私たちを護る庇護は消える」
ぽん、と優しく頭を撫でられる。目頭が熱い。涙が溢れそうになるのをじっと堪えた。
「…やっぱり、過信です」
「ん?」
「俺の覚悟は、まだ甘い」
「…さあな、覚悟とは人によって違う。普通はしない覚悟を持つ奴もいる、伊作がいい例だ」
「…」
「あれは生き抜く覚悟と守り抜く覚悟、その二つの矛盾した覚悟を持っている。それらを抱えているくせに、ぶれない。故に、強い」
全身の、鳥肌がたった。そして理解した、あの人が忍びに向かないと言われる理由を。そんな簡単な話ではないのだ。
「では、立花先輩は」
「……さあて、」
なんだろうね、と笑い、どこか遠くを見つめた。
「……忘れないこと、だろうか」
ぽつりと呟いたのだ。聞こえるか聞こえないか程の声だったのに、いやにハッキリとに耳入ってきた。
「さあ、戻ろうか」
「…はい」
強くなるだけじゃない。色んな想いを越えて、あそこに立つんだ。
その厳しく悲しい世界の目前に立つ彼らは、泣きたくなるほどに優しい。