を纏う


今日のろ組の授業は昼までで、午後丸々時間が出来た。雷蔵は委員会に行くと言ってでかけてしまったし、恐らく八左も飼育小屋にでも行っているのだろう。い組は朝から実習らしく学園で見かけない。

暇を持て余した三郎は一人あても無く町へ出かけることにした。

そういや美味い団子屋が新しく出来たとか聞いた、雷蔵たちに買って行ってやろう。そんなことを思いながら町をぶらぶらと歩いていたら、ふと先にいる一人の女が目に入った。真っ黒な長い癖のある髪はどこかあいつを彷彿とさせる。
じっとその女を見つめていたら、不意にその女が振り返った。女は三郎と目が合うと少し目を丸くして、その後ふわりと微笑んだ。

「ッ…」
何故かどきりと胸が爆ぜ、しかしはてと思い止まった。女はくるりと方向を変えると前の家に入っていく。いや、待てよ。
三郎は女の入って行った家の前まで行く。どうやら庄屋のようだ。三郎は少し離れたところまで行くと、庄屋を見張るように壁に凭れる。しばらくすると先ほどの女が出てきた。それを見て三郎は女を追いかける。

早歩きで女を追い抜き、その進路の前に立ちはだかる。女は三郎によって行く手を阻まれ、驚いたように瞬きを一つ。どこか、焦った表情で。そして三郎は「やっぱり」と呟いて女を指差した。

「兵助?」

三郎が名を呼んだ瞬間、女もとい兵助はぐいっと三郎の腕を掴んで路地裏まで引っ張った。


「お前、馬鹿!なんで声かけるんだよ!」

人目が付かないところまで行くと兵助は声を抑えてながらしかし怒ったようにそう言った。

「だってお前、私に笑いかけただろう?」
「こっち来んなって意味合いだったんだよ」
「それは気付かんかった」
「たく…こっちは実習中だってのに」
「ああ、」

なるほど、と三郎が呟く。それならば確かに声をかけたのは不味かった。

「悪かった」
「…はあ、いいよもう。多分先生たちにも見られてないだろうし」
「それにしても上手く化けたな、本当に女にしか見えん」
「ッ!」

すっと三郎が兵助の頬を撫でる。今度は兵助がどきりと胸を弾ませた。近い距離でじっと顔を見つめられる。変装術に長ける三郎だ、そっちの意味で興味あるのだろうと兵助は何も言わなかった。
が、しかし。突然顔を寄せ、三郎が兵助に口付る。そっと唇が触れ、ゆっくりと離される。

「…っ、…!?」
「ああ、すまん」

目を丸くする兵助に対し三郎はさらりと謝っただけだた。

「そうだ兵助、お前の実習に私も着いて行っていいか?」
「なっ、駄目に決まってんだろ。今日は一人で動く授業だ、クラスが違えどお前も学園の…」
「学園の生徒じゃなかったらいいだろう」
「は?」

そう言って三郎は顔を全く知らない別人へと変えた。適当に作った顔だろう。

「それだけ可愛いんだ、声を掛けられても不思議じゃない。町でお前に男が声を掛け無理やり着いてきたということにすれば良い。…な?」

三郎が兵助の手を握る。しばらくぽかんと間抜け面をしていた兵助がハッと我に返った。

「ばっ、そういう問題じゃ」
「大丈夫だ、お前の授業の邪魔はしない」
「そういう問題でもない!」
「よし行こう」
「おい…!」

ぐいと兵助の手を引いて路地裏から出る。人前に出てしまえば兵助も下手に騒げまい。そう思った通り大通りに出れば兵助は大人しくなった。代わりに、仕方ないなあといった風な溜め息が聞こえたが聞かなかったことにする。

兵助に着いて回る三郎だったが、兵助の実習内容は意外と早く終わった。しかし学園に戻ろうとする兵助を引き留め、三郎はこのまま町で遊ぼうと言う。

「はあ?俺はこの後実習内容を纏めて提出しなきゃ駄目なんだぞ」
「お前なら一晩あれば十分だろう、なんなら私も手伝ってやるから」
「いらねえよ!…って、おい三郎!」

こそこそと人目を避けて言い合いとしていたが、またしも三郎が無理やり兵助を引っ張っていく。「美味い団子屋があるらしい」と笑って。意気揚々とした三郎に何を言っても無駄だと悟ったのか、兵助は苦笑を漏らしただけだった。


団子屋に向かう途中、三郎がふと足を止める。そして「少し待っていてくれ」と言い残し前の店へと入って行った。何の店だろう、と兵助が覗けばどうやら紅屋のようだ。

「何だ三郎、女でも出来たのか?」

戻ってきた三郎に問えば、いいやと頭を振った。

「兵助に」
「は…?」

三郎が買ったばかりの紅を出してほら、と見せる。

「なんで俺だよ」
「似合うと思って」
「…俺は男だぞ。女装の授業もそんな無いし、あっても学校にあるやつを使えば十分だ」
「私は化けるなら完璧にしたい。兵助にはこれが絶対合う。それに、」
「それに?」

兵助が不審げに顔を傾ければ三郎がにやりと笑う。

「直しが必要だろう、さっき口付けた時に少し落ちたようだ」
「……ッ!」

兵助の唇に三郎の指が触れ、何気に忘れていた先ほどのことを思い出した。パッと兵助の頬が赤くなる。それは照れなのか怒りなのか、前者であれば良いと三郎は思うのだが兵助の眉は吊り上る。

「お前っ、三郎…!」
「はいはい、責任とって直してやるから」

そう言うや三郎は兵助を近くの店先の椅子に座らせた。

「…ッ別に直さなくていい、団子食うならどうせまた取れる」
「そしたらまた直してやるさ」

紅を掬った三郎の薬指が、兵助に触れる。調子が狂わされっぱなしだと兵助は心中溜め息を吐き出したが、目の前の楽しそうな男を見れば何だがそれほど嫌な気分ではないと気が付いた。たまには良いかもしれない、と。

(団子を食べて、雷蔵たちにも買って帰ろう)

唇に触れる手がくすぐったく、思わず笑みを零せば三郎もまた穏やかに笑うのだった。