がれる


上級生の中でも変姿の術を得意とする三郎は自分の変装力に多少なりとも自負を持っていた。それは三禁と呼ばれるものなのかもしれないが、周りの者も納得するほどの出来なので指摘されることはない。彼の実力を持ってすれば一部の上級生を騙すことも可能だろう。同級生以下に至ってはほとんどの者が三郎を見破れない。けれど、

「あ、いた。三郎」

長屋の廊下を歩いていた時、後ろから飛んできた呼び声。雷蔵の姿を借りている自分に疑いも無く「三郎」とその声は呼んだ。
久々知兵助、そいつは一度たりとも三郎の変装に騙されたことがない。

「さっき勘ちゃんが探してたぞ、お前また委員会サボって…て、どうかしたのか人の顔じっと見て」
「…いや、」

なぜ兵助は自分のことを三郎、と疑いもなく呼ぶのだろうか。雷蔵の時だけではない。それが竹谷だろうが勘右衛門だろうが、上級生や先生に変装している時もだ。それどころか兵助の知らないまったくの別人になっていても兵助は三郎のことをすぐに見抜いた。

「兵助、ずばり私の変装の欠点とはなんだ」
「は?」

兵助は目を丸くして小首を傾げた。その突拍子もない話題はどこから来たのだ、と頭を回転させる。

「三郎の変装の欠点…?」

兵助はずいっと三郎に顔を寄せ、至近距離でまじまじと三郎の顔を眺めた。その至近距離に思わず身じろいだが、三郎は何も言わず、ただ視線を兵助から少し逸らす。それでも兵助の大きな瞳は三郎からぶれることなく、瞬きもなしに三郎を見つめ続けた。それに耐えかねた三郎が思わず口を開いた。

「な、何かあるか?」
「んー、特に思い当たらないな」
「……」
「今の三郎はどこからどう見ても雷蔵だし、お前の変装は完璧だと思うよ」
「…だったら何故、お前は私を見破る」
「え?」

きょとん、と兵助は三郎から身を離してまた首を傾げる。ゆらりと揺れた黒髪を目で追いながら三郎はどこか悔しげだ。

「私の変装が完璧だというのなら、それを見破るお前は、」
「ああ、なんだ。俺の話か」
「は…」
「俺がなんで三郎が三郎だって分かるかって話?」
「ああ、そうだ」
「その理由は至って簡単だろう」

そう言った兵助に「なぜだ」と再び三郎が問えば、兵助は平然と一言、

「俺が三郎のこと好きだから」

と。躊躇うことも恥じらうこともせずにそう言った。一瞬、三郎の思考が停止した。その言葉は理解に苦しんだ、なんせ言葉の意図がハッキリしていない。その言葉の意味を理解せねば追求することも受け流すこともできやしない。

「何…?」
「だから、俺が三郎のこと好きでよく見てるからお前のこと見破れるんじゃないかって」
「いや、その好きってのは…?」
「ん?なんだ、三郎俺の事嫌いなのか」
「違う違う、そうじゃない。その好きは、どういう好きだ」
「?好きは好きだろ?」

友人としての好きという意味ならば、兵助が三郎を好きだから変装を見破れるという理由はぶれてくる。なんせそういった理由ならば雷蔵や竹谷、勘右衛門だって三郎のことを見破るはずだ。自惚れではなくきっと彼らも自分を友人として認めてくれているであろうから。

「その好きは、雷蔵たちに対するものと同じ好きか?」
「は?三郎さっきから何言って…。そりゃ雷蔵たちだって好きだ…けど、…あれ?」
「なんだ、どうした」

途中で言葉に詰まり、俯いて何かを考えだした兵助の顔を三郎が覗き込む。すると兵助は顔を上げ、三郎を再び見つめた。

「三郎だけは、雷蔵たちの好きと何か違う」
「…」
「こう、好きなものって無意識に考えてしまうだろ、豆腐のこととか…」
「…」
「それと同じで三郎のことは普段なんとなしに考えてしまうんだけど、雷蔵たちのことはそういうのないし」
「…」
「三郎と話したいって思うんだ。お前の顔が見れただけでなんか、こう、嬉しいっていうか…」
「…」
「…なんでだと思う?」
「ッ」

じっと真っ直ぐに目を見られ、逸らしたいと思うのに目を離せられなかった。なんせ兵助が言っていることは、つまり。

「三郎?」
「ッ私が知るわけないだろう」

くるりと兵助から背を向けてまた廊下を歩いて行く。後ろから「委員会行けよー」と普段通りの声が聞こえてきて、ああ、こんなにも調子を狂わされるなんて!
無自覚なところがまたたちがわるい、と三郎は廊下の先で頭を抱えた。