これの続き

しい終わりなど




「…三、郎」

ドアを開いて出てきた兵助は俺を見るなりその大きな瞳を目一杯開いて見せた。

「自分から呼んでおいて何をそんなに驚く」
「…来ないと思った」
「…何故?」

笑顔で問い返せば兵助は苦笑を洩らす。

「相変わらず意地が悪い」

そう言って兵助は俺を控室へと招き入れた。中には兵助以外誰もいない。ソファに腰掛けた兵助の前に同じように腰を下ろす。こうして顔を合わせるのは五年ぶりだ、話す内容も話したいこともたくさんある。元気にしてたか?仕事はどうだ?俺なんか順調すぎて夢見心地だぜ。そういや竹谷たちはどうしてる?家族も息災か?…結婚相手と知り合ったのはいつ?彼女のどこに惚れた?何故結婚しようと思った?彼女が好きか?……俺のことは、いつ忘れた。

どの質問も馬鹿げてる。口に出すつもりなど一切ないけれど。

しばらく無言の空間が漂う。こうしていても何もないだろう、きっと兵助だって何も言葉にできずにいるのだ。このまま兵助を困らせるのもいいけれど、俺にはやることがあってここに来た。

「今日は、」

口にすればびくりと兵助の肩が跳ねる。それに気付かなかった振りをして顔をあげた兵助と目を合わせた。

「お前に返して貰いに来た」
「…何、を」

表情に不安を見せたままの兵助にふと笑いかける。そうしてポケットに突っこんでいた自身の左手を出した。

「これ」

手の甲を見せるように掲げれば兵助の目がまた大きく開かれる。俺の手の薬指に光るシルバーリング。お互い派手なものを嫌い、ごくシンプルなデザインのそれ。紛れもない、付き合っていた当時に買ったペアリングだ。兵助は表情を落ち着かせ、口を開く。

「…捨てた」
「嘘だね」
「嘘じゃない」
「いいや、嘘だ」

確信なんてなかったけど、分かり切っていた。

「お前が捨てられるはずがない。今も、持ってるんだろう?」

あんまり俺を惨めにしないでくれ。溜め息と一緒に吐き出せば、兵助は唇を噛み、立ちあがって自身のコートを手に取った。そのコートの内ポケットの中。そこから取り出された俺の指にあるこれと同じ指輪。ほうら、やっぱり。

「結婚式当日だってのに、元恋人との指輪持ってきてるとか…呆れるぜ」
「指にはめてきたお前には言われたくない」
「それはもう俺だけのものだ」

すっと手を出して指輪をこちらに渡すように促す。けれどそれは未だに兵助の手の中で。

「…渡さないと駄目か」
「分かってんだろ」
「これは俺のだ」
「…」
「俺が三郎から貰った、」
「兵助」

優しく、あの頃のように名を呼ぶ。

「兵助」

もう一度呼べば、兵助はすっと掌を俺に差出し、ころりと指輪は俺の手に収まった。ああ、帰ってきた。


「何で来たんだよ」

しっかりとした声音で吐き出された言葉。

「絶対来ないと思って、嫌味で出した招待状だったのに、今まで連絡一つ寄越さなかったくせに、今更、なんで、」
「……あの日、」

別れたあの日。

「またな、って言っただろ」
「ッ!」
「それが今日だ」

兵助の瞳が大きく揺れる。

「後もう一つ、兵助に渡すものがあって」
「え?」

揺れる兵助の瞳を、真っ直ぐに見詰めた。目を見て言わないと駄目なんだろう。

「好きだ、兵助」

それと、

「ありがとう」

きっと俺は笑えただろう。兵助の表情が泣きそうに歪んだのだから、まず間違いない。最期の最期に、酷い男だ俺は。



「…さぶ、」

兵助が俺を呼ぶ声は部屋をノックする音にかき消された。続いて「兵助くんそろそろ」と外から声がかかる。兵助は言葉を呑み、「はい」と震える声で返事を返した。

「……もう、行かないと」
「ああ」
「三郎、お前もそろそろ」
「俺はもう帰るよ」
「え、」
「…見れると、思うか?」
「ッ」

お前が、俺以外の奴と結ばれるところなんて。だから、おめでとうなんて言わない。言ってやらねえ。言えるわけがねえ。
兵助がぎゅっと手を握り締める。それから、今までの不安定な表情とは裏腹に、俺に向かって笑った。

「三郎、俺からも、有難う」

そして、と。

「さよなら」

俺に背を向けて入口まで歩いていく。ドアを開き、一瞬の内にその姿は扉の向こうへ消えた。俺はまたその背を見つめることしか出来なかった。出来ることなら、


「お前は俺が幸せにしてやりたかったよ、…兵助」