※報われない二人

わりを告げる音




毎日の日課である郵便物の確認をするためにポストを開き、広告等に紛れたそれを見つけた時は一瞬息が止まった気がした。


あいつと初めて出会ったのは高校の時だった。同じ学年で隣のクラス、喋るようになったのは一年が終わる頃だったが奴の名前は知っていた。なにせ毎回試験の度に首位を獲得していたのだから、知らない奴などいないだろう。そこでどんな奴なのか気になって見に行ってみれば、きっちり着こなされた制服に、校則の緩いとこにも関わらず真っ黒の髪に短い前髪。ピンと背筋を伸ばして椅子に座って本に目を落とすその姿、優等生の見本のような男だった。
さして面白みもなかったはずなのにそいつのことが妙に頭から離れず、どうにかして近づきたいと思った。だから一年最後の期末試験、普段なら半分答案を埋めたら机に突っ伏して眠りに就くそれを最後まで解き切った。そうしたら俺の点数は狙い通り、否、それ以上の結果を生みだしたのだ。なんとまあ、全教科満点という素晴らしさ。いつも授業ですら真面目に受けないこの俺が、と驚いてみせた教師陣の顔を今でも俺は忘れない。

張り出された期末結果に誰しもが驚き、それはあいつも例外じゃなかったらしくて。結果を見に来たのであろうそいつを見かけ足を止めれば、タイミング良くそいつが振り返った。パッと目が合うとそいつは俺の元へと駆け寄ってくる。
俺の前で立ち止まり、そいつはじっと俺の顔を見上げた。なんだ、悔しがるかと口を閉じてそいつが何か言うのを待っていれば、ふっと目の前のそいつは顔を綻ばせた。

「凄いな、お前」

そうやって笑ったお前の表情に、俺はきっと射抜かれていたのだ。ぽかんとそいつの顔を見ていたら「あ」と申し訳なさそうに再び口を開く。

「俺、1組の久々知兵助」

俺が知らない奴に話しかけられて困っているのだと判断したのか、そう自己紹介をしてきた。お前のことなら知っている、と出しかけた言葉を飲み込んだ。兵助は「全教科満点なんて稀らしいぜ」とか「なんで今までお前の名前が出てこなかったのか不思議だ」とか嬉々として話す。

その日から何度か顔を合わせると挨拶をするようになり、しばらくすると立ち止まって話すようになった。それから一緒に勉強したり遊びにも行くようになって、三年になれば一緒にいるのが当たり前になっていた。
上の大学を目指すつもりはなかったが、先生に勧められたのと、何より兵助がそこに行くというのを聞いて受験を決めた。なんとも単純な理由だと思う。多分、この頃にはもう、いいやとっくの昔に…俺は兵助に惚れていたんだ。
もし大学に俺も兵助も受かったら、この想いを伝えようと決めた。一人で始めた賭けだった。だからそれ以降兵助の模試の結果を聞くのを止めた。聞かない限り兵助は自分から言ってくることはなかったから。

そして、冬。
受験の時と同じように一緒に遠い大学まで足を運び、入試結果を見に行った。…まあ見事に二人とも合格だったわけで。正直俺は受かる自信があった。兵助も同じだったのか、はたまた元からリアクションの薄い兵助だ、自分の受験番号を見つけた時あまり周りの奴らみたいにはしゃいだりはしなかった。二人で「やったな」と笑いあって帰路に着く。

受かったのだ。そう、俺の賭けは当たってしまった。いや、しまったってなんだ、伝えたくないみたいじゃないか。…それはそうか、こんなの伝えたところで何になる。俺たちは親友、きっとあっちもそう思っているだろう。ましてや男に告白されるなど、人生の汚点と取れないこともない。俺は伝えてスッキリするだろうが、兵助からしてみればどうだ?この気持ちは、一生自分の中に終いこむべきじゃあねえのか。
そんなことを悶々と考えているうちに地元に辿り着き、駅からは別々の方向だ。

「じゃあ、三郎」
「ああ」
「また学校で」
「ああ」

寒そうにマフラーを鼻先まで押し上げて、兵助は俺に手を振って背を向ける。ここでこのまま言わなければ、一生言う機会なんてないだろう。このまま、ずっと隣で笑っていたいのなら言うべきではない。お互いのためだ、このまま、親友のまま、


いられたのなら、こんなにも悩んでなんかないだろうが。


走って、兵助の腕を掴んだ。驚いたように振り返った兵助の肩を掴む。

「三郎、どうし」
「好きだ」
「…え」
「兵助が、好きなんだ」

ああ情けない、手が、足が震える、まともに兵助の顔が見れない。これで終わるのだろうか、俺たちの関係は。柄にもなく怖くて、俯いたまま兵助が何か言うのを待っていたら、突然ひやりとしたものが俺の顔を包み込んだ。

「ッ!!?」

あまりの冷たさに驚いて顔をあげれば、どうやらそれは兵助の手で、じっと俺を見る兵助と目が合った。

「兵、」
「そういうことは、ちゃんと人の目を見て言えよ」
「は、」
「お前が、目を逸らしてどうすんだよ…。ちゃんと、聞くから、」
「兵助」

目の前で兵助の瞳が揺れる。引き結ばれた唇が震える。その赤く膨れた唇に触れたいと思った。

「兵助が、好き……です」
「ぶはっ何で敬語だよ、格好悪いなあ」
「…うるせえよ」
「はは」
「兵助は?」

問えば、大きく目を開いた後、今度はそれを細めて笑った。眉を寄せて、どこか困ったような、何かを諦めたような笑顔で。

「俺も三郎が好き」

泣きそうだったのは、兵助か、それとも俺か。

「兵助、ちゅーしてい?」

そう口にして、兵助の返事を聞く前にその唇を塞いだ。肌に突き刺さる痛いほどの冷たさに相対して、酷く温かかった。


そうして俺たちは付き合い始めた。後から聞いた話、兵助は俺が奴を意識する前から気にしてくれていたようで、確かによく考えてみれば初めて言葉を交わした時、俺は一度も名乗っていないのにあいつは俺を鉢屋三郎だと認識していた。それは酷く嬉しいことで、聞いた時は思わずにやけた。
付き合い始めてからは幸せだった。大学生活も充実したし、三年からは一緒にも住み始めた。ずっとこうやって二人で生きていきたい。いつしかペアリングなんか買って一緒に左手薬指につけて、友人らに冷やかされたりもした。けど周りの世間体など関係ない、俺がいてお前がいたらそれでいい。そう思っていたけれど、永遠なんてものはこの世には存在しなかった。
大学生活も無事に終え、兵助も俺も別々に就職を決めた。そうやって社会に出て一年が経った頃、俺たちは終末を迎えたのだ。大きな理由なんてない。そう、本当に終わりがきただけだった。その時だって俺は兵助が大好きだったし、兵助だってきっとそうだっただろう。それでも駄目だったのだ、離れることしか俺たちに選択肢はなかった。

最後に交わした言葉は「またな」だった。本当にまた、なんてあるのかなんて分からないのに。あの冬、俺が兵助に想いを告げた日のように、去っていく彼の背中を追いかけ腕を掴むことができたのならどれだけ良かっただろうか。何もできないまま、兵助の姿が見えなくなるまでそこに立ちつくすことしかあの日の俺にはできなかった。



その後兵助と連絡を取ることはなく、気がつけば5年という歳月が流れていた。そんな今、目を疑うような知らせが届く。彼、兵助から届いたのは一枚の封筒。その中には「結婚します」という言葉と一緒に添えられた写真と、一枚の招待状。中睦まじく寄り添う二人に、眩暈を覚えた。