れ合い


社会人になってから毎日帰りが遅くなる。というのも会社の先輩が無類の酒好きで飲み会好き。週末なんかは毎週のように飲みに連れていかれる。新人の頃上手く断れなかったのをいいことに今でも当然のように引っ張っていかれるため今更引っ込みがつかなくなったわけだが。普通に終電を逃して朝帰り、なんてことも少なくない。

三郎はちらり、と腕時計を確認する。日付は越えているとはいえ今日は朝帰りをせずにすんだ、と電車に揺られながら息を吐き出した。彼は疲れた体をドアに凭れかける。そして家で待っているであろう同居人の顔を思い浮かべた。学生時代から付き合っていて、社会人になると同時に同居し始めた恋人。最近いつも帰りが遅くなって中々顔を合わせられずにいたため、今日は終電とはいえ帰れることが嬉しかった。いつも週末は三郎からの連絡を待って起きてくれている、けれど。

携帯を確認するが恋人からの返信は無い。「終電に乗れそうだから帰る」と連絡を入れて随分経つが…。最近帰れることがなかったから寝てしまったのだろうか。まあ鍵は持っているから平気だろう、むしろ毎週待たせてしまうのが申し訳なく思っていたから良かったのかもしれない。そう思って帰路に急いだ。

だが、しかし。




「……………え?」

マンションに辿りついてエレベーターに乗り込み、部屋の前まで辿りついた。そこで鍵を差し込んでガチャリと鍵を開け部屋に入る、はずだったのだが。

「…あれ?え?ちょ…」

鍵が鍵穴に刺さらない。思わず部屋を確認するが、自分たちの部屋に間違いない。けれど鍵は一向に刺さらない。いや、まさか、そんなはず。一つの可能性が頭に浮かんだがそれだけはあって欲しくないと頭を振る。もしかしたら俺は酔っているのではないか?鍵間違えとかそんなオチだろう、と手の中にある鍵を見るがまず間違いなく家の鍵だ。

「いやいやいや…いや?」

片手でガシガシと頭を掻き、そろりと目の前のドアを見つめる。

「…兵助、鍵変えた…?」

そう理解した(正確には認めた)瞬間、一気に酔いが覚めた。
…冗談キツイぜ、マジで。確かにここ最近どころか数年、俺の帰宅ペースはこんな感じだったが、謝罪はちゃんと入れていたし兵助も理解してくれていたはずだ。今日の朝だって断りを入れた。兵助だって普通だった。何故、突然。

ポケットから携帯を出して恐る恐る兵助に電話をかける。けれど通話が繋がることはなく虚しい電子音が響いた。一度息を吐き出し、携帯をポケットに戻すと今度はインターホンを押してみる。が、こちらも通話が繋がることはない。仕方ない、これで無理だったら今日のところは諦めて八左のとこにでも泊めて貰おう、とドンドンとドアを叩いた。

「兵助ー俺だーただいまー」

そうやって声をかけたが、返事は返ってこなかった。ただ、

「!」

ドアの向こうに、人の気配。兵助がドア越しに立った、と気配だけで分かった。

「兵助、開けてくれ」
「………嫌だ」
「……」

今度は返事が返ってきた事に安心しつつ、その返事に落胆する。

「ねえ、何で鍵変えたの。俺何かした?」
「…分かってんだろ」
「毎週飲みに行ってるから?でもちゃんと断り入れてるし、金だって自分の使ってるし…」
「黙れ馬鹿」
「ばっ…!?」

突然吐き出された暴言に思わずむせ返る。

「何、そんなに怒ってんの…」
「分からないならいい、お前なんかのたれ死ね」
「……」

どうやら相当ご立腹のようだ。ハア、と先ほどとは別の意味で息を吐き出しそっとドアに手を添える。本当はなんとなく分かってた。

「兵助を一人にしたから?」
「…」
「兵助を放って遊びに行ってたから?本当は行って欲しくないって思ってた兵助に気付かなかったから?…兵助を寂しい気持ちにさせたから」

返事は無かった。でも合ってる自信はある。ただ初めから分かっていたわけじゃない、今この兵助を見て(実際はドアで見れて無いが)気付いた。初めから気付いていたら毎週毎週遊びに行ったりなんてしなかった。兵助の傍にいたさ。気付けなかったのはきっと慣れてしまったからだろう、我慢してしまう兵助に。まだ大丈夫だ、兵助はまだ我慢できると勝手に決めつけた。本当に、俺は馬鹿だな。

よいしょ、とその場に腰を下ろす。こりゃ鍵変えられても仕方ない。俺が悪いね。でもここで八左のとこに転がり込もうものならそれこそ俺は最低だ。そろそろ暖かくなってきたし一晩くらいここで寝たって大丈夫だろう。(ただ 願うのはお隣さん方に見られないことだ)

「兵助ごめんな、一晩ここで反省するから、そしたら家に入れてね」
「…」
「おやすみ兵助、愛してる」

そう言ってドアに背を預けようとした、瞬間。

バンッど勢いよくドアがこちらに開いて後頭部を強打した。

「いッ…!?…兵助」

振り返って見上げれば、くしゃっと顔を歪めた兵助が俺を睨んでいた。今にも泣きだしそうなのを我慢してるように見えて、思わず立ち上がってその頬に触れる。ふり払われはしなかったけど、相変わらず刺すような目でこちらを見た。

「…ずるい、」
「え?」
「三郎はずるい。ずるいずるいずるい」
「…ああ、俺はずるいよ」
「そうやって、全部分かってる癖に、」
「うん」
「俺の気持ち知ってる癖に」
「うん」
「ホントむかつく、むかつくのに」
「…」
「どう足掻いたって嫌いになれねえんだよ…」

そう言った兵助からついに溢れた涙を見ないようにその小さな体を抱きしめた。

「うん、知ってる」

全部知ってる。

「俺が悪かったよ、兵助」
「…当たり前だろ…ばかやろう」

俺にしがみ付いて身体を震わせる恋人を強く抱きしめ、思わず口元に笑みを浮かべた。とりあえず、これからは人付き合いもほどほどにしようと心に誓う。愛しい恋人のために。