すれ違い | ナノ


「三之助は、何も分かってない」

そう言った君は泣きそうに眉を寄せて、俺に背を向けて歩いて行った。彼の長い髪を揺らした冷たい風が俺の頬を叩く。






「藤内と喧嘩した?」

屋根に上って長屋の修繕に勤しんでいた、用具委員長である作兵衛の目の端に級友の次屋三之助が通りかかるのが見えた。何気なく姿を捕えただけだったが思わず引き留めたのがついさきほどのことである(放っておいて迷子になられても困るからと)。共に屋根に座り何気ない会話を交わしていたら三之助から発せられた言葉。彼と恋仲にある同じく級友の浦風藤内。どうやら二人が喧嘩をしたというのだが…。

「別段珍しくもないな」

作兵衛は屋根の修繕を再開しつつそう言った。なにせ二人が付き合い始めてから喧嘩をすることは少なくない。大体の喧嘩の理由は三之助のルーズな性格と藤内の沸点の低さにあるのだが。けれど最近問題に思うのは学年が上がるごとに互いに忙しくなり、組も違う二人の接点は少なく仲直りに時間を要することが増えたということだ。
けれど目の前の男は焦った様子も見せずぼんやりと空を眺めている。

「でも確かに最近お前ら二人でいるとこ見かけねえな…。いつから喧嘩してんの?」
「二週間前」
「は…そらまた長えこって」
「うん」

焦った様子は無いものの、気にはしているのが見て取れた。三之助は掴めない、何を考えているのか分からない。それでも藤内のことが大好きなのは周りからも丸分かりだった。そんな彼らが喧嘩をした時はいつだって三之助が藤内に付きまとって謝り倒し、藤内が折れるというのが常だったが、今回はえらく長引いているらしい。

「藤内には会ってんの?」
「いや」
「はあ?いつもみたいに謝ってねえの?今回俺は悪くない、とかか?てか今回はなんで喧嘩したんだよ」
「作」
「何でい」
「……」

名前を呼ばれたものの、いつまで経っても何も発さない三之助に作兵衛は修繕の手を止めて彼を振り返った。三之助は屋根に寝ころび、まぶしそうに空を見上げたまま。


『――藤内って本当に俺の事好きなの』




「それ、三之助が言ったの?」

換気のために開けていた襖を閉めて数馬は部屋の中を振り返った。藤内が明らかに三之助を避けているのが見て取れて、喧嘩したんだろうなとただ思っていた数馬だったが、あまりにもそれが長いため見兼ねて話を振ってみた。すると藤内はそっと目を伏せて先ほどの台詞を呟いたのだ。誰が言った、とは言わなかったがすぐに三之助が言ったのだと気付いた。けれど確認のために聞き返したのが上記の台詞だ。

「うん」
「それは、またなんとも」

馬鹿野郎が、と数馬は内心で吐き出した。

「三之助は馬鹿だ」

まるで心を読んだかのような藤内の台詞。悔しそうに、歯痒そうに藤内はぎゅうと膝小僧を抱える。

「三之助は何も分かってないよ。昔から、俺のこと好きだっていつも言ってる癖に」

好きじゃないわけない。確かに言葉にすることは無いけれど、それでも伝わっていると思っていた。それなのに面と向かってあんなことを言われれば、どうしていいか分からない。こればかりは予習復習でどうにかなるものではない。

藤内だって三之助が好きだ。そうでなければ男同士で付き合ったりなんてしてない。自分は好きでもない奴と付き合ってやるほど優しくない。三之助が自分を愛してくれるのを気恥ずかしさを覚えながらも応えているつもりだ。照れることなく告げられる言葉にも、自分を求める腕にも。それらを拒んだことはないのに、どうして。

「言葉足らずだね、藤内たちは」

数馬を見れば優しく笑っていた。

「君たちはお互いに、想いは勝手に伝わるものだと思ってる。確かに人の行動を読むのは僕たち忍びに必要なことかもしれないけど、恋慕はそうはいかないよ」
「別に、そこまで深い話をしてるわけじゃない」
「うん、そうだね」

それでも、君が彼に想いを伝えたいと言うのなら。

「言葉にしてみるのもいいかもしれないね、って話だよ」
「…」
「ねえ、藤内。僕たちに残された時間は少ないんだ」
「分かってる、分かってるよ」

だから怖いのだと藤内は思う。このままでは、三之助は何も言わず自分の元から消えていくのではないかと。けれどその不安を抱えているのは藤内だけにあらず、三之助もまた然り。





ガツン、と重たい拳がおでこに振ってきた。三之助は思わず蹲る。彼を殴った張本人である作兵衛はけろりとした顔をしていた。

「お前、馬鹿だろ」
「…横暴だ。殴られた上に馬鹿だと言われた」
「馬鹿は馬鹿だ」

作兵衛は金槌を手に作業を再開させた。アレで殴られなくて良かった、とぼんやり考える。

「なんで、藤内がお前を好いてないって思ったんだ」

コンコン、とリズム良く釘を打つ音がその場に響く。んー、と三之助は額を擦りながらごろんとまた仰向けになった。

「藤内に俺は必要なのかなって考えて。俺が求めたことがあっても藤内から求められたことはないし、藤内から気持ちを伝えられたこともない。最近は、怒らせてばっかだしな」
「今更だろ、それでも上手くいってんじゃん」
「ああ。ああ、そうだ。だからただ、俺が我儘になっていっただけ」

貰っても貰っても、欲しい欲しいと思ってしまうのだ。

「だったら強請ればいいだろ」
「ねだる?」
「ああ、欲しいなら欲しいって言え。俺たち人間には口がある言葉がある、言いたい事言えるのは俺たち人間の特権だ」
「…」
「図体でかいくせに、ちっせえことで悩んでんじゃねえよ」

小さくない、俺にとっては大きいことだと思ったが口にはしなかった。作兵衛の言う通りだ。今言わなければ、一生言えなくなる。春が来る前に伝えなければいけないことがある。

むくり、と体を起こして屋根の上に立ち上がった。良い天気だ、伸びをすれば気持ちが良い。

「作」
「ん?」
「…昨日裏の壁壊した」
「なっ…テメエ!」

本当に金槌が飛んでくる前に、三之助はひらりと屋根から飛び降りた。後ろから何か作兵衛の叫び声が聞こえたが耳には入らなかった。そうだ、可愛いあいつに会いに行こう。





次の予算会議に出す予算案を組もうと作法室に向かっていた藤内を発見したのは、その半刻後。いつものように髪を揺らしながら姿勢正しく歩く後ろ姿を見つけ、名を呼んだ。

「藤内!」
「ッ」

一瞬だけびくり、と肩を跳ね上げくるりと振り返った藤内。目が合い、もう一度名を呼ぼうとした、ら。

「…!」
「あ、」

ダッと走って、藤内が逃げた。そんなあからさまな、と思ったけれど。

「面白い、俺と鬼ごとしようってのか」

何回も体育委員を経験した現役体育委員長から逃げられるとでも思っているのか。三之助もまた、藤内を追って走り出した。

ただ走っているだけだが、六年同士の追いかけっことなればそれなりに凄い。六年間で鍛えた俊敏さと力でありとあらゆるところを逃げ惑う藤内とそれを追う三之助。けれどその追いかけっこも長くは続かない。姿を隠してしまえば方向音痴の三之助が自分を追うことはないと考え撒こうと思ったのか、裏山へ逃げ込んだのが運のつきだったのだろう。裏山は体育委員会の庭だ。

「藤内!」

がしり、と掴まれた腕。捕まってしまえば抵抗しないのか、ぴたりと藤内は動きを止めた。ぐいっと腕を引っ張って振り向かせると、これまた不機嫌そうな顔がこちらを向く。

「なんで逃げんの」
「…うるさい」

多少疲れを見せる自分に対し、息一つ乱していない三之助が少し憎らしかった。

「まだ怒ってる?」
「…お前は、なんで俺が怒ってんのか分かってんの?」
「分かんねえ」
「テメ、ッ!?」

掴んだ腕を引っ張って、その華奢な体を包み込んだ。ぎゅう、と抱きしめる。走った後の体は温かく心地よい。

「藤内」
「な、なんだよ」
「藤内、好きだ」
「は、」
「好きなんだ」

縋るように、藤内を抱く腕に力が入る。少し苦しい、と思いながらも嫌ではなかった。ただ、きっと三之助は分かってない、何も。だって、

「藤内は、」

俺の事好き?…なんて聞くんだから、やっぱり分かってない。


「三之助はなにも分かってない」

喧嘩の発端になった時にも同じことを言われた。藤内にくいっと胸を押され、顔が見える位置まで離れた。見えた藤内の表情は、また悲しげに歪んでいて。


「俺がどんなに、お前のことが、」

言葉に出来なかった。恥ずかしいとかじゃなくて、伝えてしまえば意味がない気がして。自分に言葉が足りてないのは分かってる。けれどどうしても言葉になってくれないのだ。
しかし今回はいつもと違った。そんな藤内の気持ちが伝わったのか、三之助は再び強く藤内を抱きしめる。

「藤内、ごめん」
「ッ二度と、俺を疑うな」
「うん、藤内。好きだ」
「知ってる、」
「じゃ、言わない方がいい?」
「…てめえ…」

意地悪に呟かれた台詞。

「嘘だよ。もし藤内が要らないっていっても俺は言うよ。言える内は、ずっと」
「ああ」
「うん」
「俺も同じだから。お前の言葉は、俺の言葉だから」
「うん、藤内。…なあ、」
「何だよ」

三之助が笑ったのが、気配で分かった。

「卒業しても、俺の気持ちは変わらないから、だからずっと一緒にいよう」

まるでプロポーズだ。けれど実質そうなのだろう。春が来る前に伝えようとしていた。このまま学園を卒業して、連絡も取れないままに離れ離れ、とまではいかないだろうが中々会えなくなるなど考えただけでも耐えられなかった。だから、

「いいよ」

藤内もまた、笑う。

「俺もそのつもりだったから」

そう言って三之助の背中に手を回した。嗚呼、本当に俺たちって、

(言葉足らずで、)
(馬鹿だなあ)








了.




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鈴さんリクエストありがとうございました!
次浦+三年のはずが、左門と孫兵消えましたすみません…!
真面目な内容になってしまったのでなるべく甘く終わらせようとしたのですが消沈したような気がします。場面コロコロ入れ替わって読みにくいですよねこれもごめんなさい!
鈴さんのみお持ち帰りOKです!