怒号のような人の声。兵器が軋み動く音、硝煙、血の匂い。悪天候も相まってか、戦場の風はそれらを孕んで、重たく吹き付けていた。
潮騒などとは程遠い、無数の醜いざわめき。胸の中心からそわりとたきつけられ、いずれは全身にも行き渡る高揚を、ナインは今確かに感じている。
いや、それしかないのだ。それだけ、唯一そのことだけに神経を研ぎ澄まし、戦場を疾駆する。それしかないはずだ。
いくつも連なって耳朶を叩く通信の音を掻き消して、何度も銃声と悲鳴がループしていた。身体で切り裂く空気が生温く湿るのにも構わず、構えた槍を振るい、切っ先を向ける。いつものことだ。殺される前に殺す。当たり前のことだ。
こんなにも息苦しい。
まさかクイーンやトレイのように、難しいことを考える頭もなければ、考えようという気持ちすらも、ナインには持ち合わせがなかった。だのに、なぜこんな息苦しさを感じねばならぬというのか。
槍の先端を兵士の腹部に埋め込み、すぐに引き抜く。何度かのたうった末に短く痙攣するのを見届けてから、身体を大きく振って、背後の兵士にも同じように槍を向けた。血飛沫が一瞬、紅い花びらのように舞って、白いスラックスを汚す。
クラサメのせいだ。
死なないでくれ、と懇願するでもなく、生きろ、と切望するでもなく、ただ「死ぬな」と一言だけナインの鼓膜においてゆく。耳底にこびりついては、離れようとせず、ナインの神経に雑念をさしていた。
当たり前だ、言われるまでもねえ。
靴の裏が血溜まりに埋まり、勢いよく泥土を跳ね上げた。このあたりはひどくぬかるんでいて、下手に身動きはとれない。つまり最小限の動きで、敵を仕留めなければいけない。
そしてナインには、考える頭などない。
もちろん、そこまで気は回らなかった。先ほどと変わらぬ動きで、群になる兵を一蹴し、ぬかるみの中に伏す。最後の一人に突きを見舞った際に、ナインも足を滑らせて地面に倒れたが、上出来だったと言えるだろう。このエリアの敵はおそらくもういない。
ざまあみろ、クラサメ。
圧力をかけているつもりだろうが、けれどいつも通りの戦果を上げることができた。ナインは背中からじわじわと染み込んでくる泥水の冷たさを感じて、身体を起こそうと肘をつく。緩慢と上半身を持ち上げる。
――銃口と対峙した。
ぎくりと心臓が音を立てて硬直するのはかろうじてわかった。が、しまった、や、まずい、などとは思わなかった。トリガーを引き絞らんとする指先が見える。仕留め損ねていた。その後悔だけが、ナインの胸中からせり上がって、外へ飛び出さんとばかりに心臓を脈打たせるだけだった。
あまり得意ではないが、魔法を放てば、今度こそ終わりだ。槍を握っているのとは逆の手のひらを翳す。「死ぬな」とクラサメの言葉がリフレーンする。払拭できない。目の前の出来事に、集中できない。
トリガーにかかった指先が、震えながら力を孕んでゆく。はやくしろ、はやくしろ。そう気持ちばかり急くが、鈍器で後頭部を殴られているような頭痛に、太刀打ちする術もなかった。目を閉じてはいけない、わかっているのに、死の淵で人間はこうも脆弱になれる。
それでも確かに覚悟した死は、ナインには訪れなかった。かわりに冷たい空気が背筋をさらりと撫でて、全身が小さく震えた。恐怖ゆえのものではなかった。現に目の前の兵士は、銃を構えたまま地に横たわり、すでに動かぬものとなっている。
ナインは喉に取っ掛かっていた呼吸を飲み下して、緩慢と顔を上げた。
「……クラサメ、」
掠れた声に覇気はなく、どれだけ自分が切羽詰まっていたのかを思い知らされる。あまりの悔しさに、我知らず奥歯を噛み締めた。
なにがざまあみろだ。助けられてやがる。ざまあねえのは、俺だ。
「怪我はないか」
振り返ったクラサメが、腰をついたままのナインに向けて、右手を差し出した。乱雑に払いのけ、槍を地面に突き立てて立ち上がる。とてもじゃないが、今はクラサメの顔など見たくはない。
「誰が助けろって言ったよオイ。ナメてんのかてめえ」
「助けるなと言われた覚えもないな」
情けない姿を目撃されたうえに、身体中にびっしりとこびりついた泥で、苛立ちは募るばかりだ。ナインは小さく舌打ちして、苦々しく、クソ、と吐き捨てた。
悔しい。そればかりが十割方脳みそをしめている。
「死ぬなって言ったよな。俺は死なねえって返した。ふざけんなよ。……ふざけんな」
顔を俯けたまま、小さな悪態だけが次から次へと唇から漏れだす。クラサメにつかみ掛かって、その頬を強く張れたらどれだけマシだったか。顔を見たくない。見れない。
「信じていなかったんじゃない」
「あ?」
顔を見ていてもわからない表情なのでなおさらわからないが、クラサメの声はいつも通り淡々とナインに降り注いだ。馬鹿にするでもなく、叱咤するでもないその態度が、余計に苛立たしい。

「けれど、お前が馬鹿で良かった」
ふ、と笑う気配がした。どういう意味だ。気にかかってつい顔を上げたが、既にクラサメは背を向けて歩き出していた。行くぞ、と促されて、ナインは渋々その背中に追従する。
どういう意味だ。
口中に反芻すれば、「死ぬな」と言ったクラサメの声が鼓膜の奥の方で小さく響いた。そうだ。これのせいで、ずっと息苦しくてたまらなかったのに。
「てめえが言うほど馬鹿じゃねえんだよ、バーカ」





/201111080218 3sen req thx!
ひみつを守れないくちびる






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