小説 | ナノ

Requiem

「天草さん、お疲れ様です。こちら、天草さんへのファンレターです。それと昨日はお疲れのようだったので……」

HE★VENSに加入して間もない頃からレイジング事務所の事務員としてその業務を全うしている苗字名前。
天草のことを気遣ってか、彼女はしばしば、きっかけを作っては、話しかけてくる。
最初こそHE★VENS以外の者と仲睦まじくする気はなく、天草は彼女に対し、心の防壁を作っていた。素っ気ない態度をとっても、彼女は妥協することはなかった。

今からそう遠くない過去、ジリジリと太陽が容赦なく自身を照りつける夏の日、天草は、事務所の屋上で振り付けの自主練をしていた。

「天草さん!」

彼女は、天草の存在を見つけるや否や、パタパタと駆け寄ってきた。その表情は少し焦っていたように見えた。

「天草さん、顔色優れませんが…」
「……暁の炎が、天草の身体を無情にも焼き尽くす…」
「熱中症ですね、大変だわ。急いで室内に戻りましょう、塩分入りのドリンク飲んでください。すぐ、冷蔵庫から持ってきますから…」

そう言って、名前は天草を事務所の室内に連れてゆき、室内の台所からスポーツドリンク、氷枕とタオルを持ってきた。

「もう大丈夫ですよ。身体、楽にしてください…」
柔らかい声が天草の身体に浸透する。同時に身体に籠った熱が徐々に抜けていく感覚を覚える。氷枕で全身を冷やしてくれている。

天草が助けて欲しいと願う時に、名前はそばにいて、いつも救ってくれた。

次第に、彼女との交流が悪くないと思うようになって、いつしか、柔らかな微笑み、透き通った声、ふとした瞬間に鼻をくすぐる鈴蘭のような芳香。
天草は苗字名前そのものを悪くないと思うようになっていた。

「天草さん。昨日はよく眠れましたか?」

秋が終わり、冬の訪れを感じさせる今日この日。いつものように、彼女は天草に気にかけて話しかけてくる。しかし、いつもとその様子が異なっていた。

「名前…そなたから快活の波動が全く感じない…」
「え、そ、そうでしょうか…」
「無理を、控えてくれ…」
「……天草さんから体調心配されるなんて、なんだか、不思議です。」

くすっと指先を口もとにあて、少しだけ頬を赤らめて微笑む。いつもならその仕草に胸が高鳴るはずなのに、何故だか今日に限っては、異なる感情、焦燥感に似た何かを抱く。

「あ、天草は、真剣に…」
「大丈夫ですよ。ちょっと、夜更かしして寝不足なだけです。…心配してくれてありがとうございます。」

手をヒラヒラと、振りながら、彼女は天草がいる部屋から退室した。
表現し難い、この焦りは何だろうか。身体が感情に押しつぶされそうになる。締切に追われてるはずの作詞作業に全く神経を集中させることができなかったほどに。

「シオン、シオン、どこにいる?」
「瑛一、天草はここにいる」

数時間後、瑛一が天草を呼びながら、部屋に勢いよく入ってきた。
腰掛けていたソファから徐に立ち上がり、応答する。瑛一の顔は未だかつて無いほど深刻そうだった。ドクンと、心臓が脈をうった。冬なのに寒いはずなのに、夏のあの日と同じように、じわっと全身から汗が吹き出す。

「シオン、お前にこのことを伝えるのは気が引けるが、どうか、落ち着いて聞いてくれ。」

自身の鼓動の音で、天草は支配された。

「……苗字名前が、倒れて病院に運ばれた」

不幸を告げる鐘の音が鳴り響きわたる。

「う、嘘を告げないでくれ、」
「冗談でこのようなことは言わない…。名前は、駅前の大学病院に緊急搬送されている。」
「…っ!」
「おい、シオン!」

自我を忘れ、無我夢中に走り出す。途中でメンバーの何人かとすれ違ったが、目もくれず、駆け抜けてゆく。
慣れない全力疾走に、息が上がる。足がもつれる。視界が歪む。しかし、それになりふり構っていられなかった。我を忘れ、ただひたすら目的地へと走ることしか出来なかった。

転がるように、名前が搬送された病院へかけこんだ。受付の者は、天草を見て目を見開いていた。変装もしてないこの状態、突然アイドルが病院に現れれば混乱に陥ることは容易に想像つく。それでもかまわず、受付に向かった。彼女の現状を知るために。

名前は現在集中治療室にいるが、面会は謝絶状態であるとのことだった。会わせてくれと何度も頭を下げても、容態が落ち着くまでは面会できないと一点張りだった。仕方なく待合室のソファに腰掛け、その時が来るまで待つことにした。無事を祈るように身体を折る。
周囲のキビキビした足音が嫌に耳につく。病院独特の匂いが天草の身体を侵食するようだった。

どれほどの時間が経ったのだろう。待合室内の人は疎らになり、静寂が訪れた。太陽はいつの間にか地平線の下へと潜り込み、あたりは暗闇に包まれていた。

「苗字名前さんの、ご親族の方ですか。」

不意に落ち着いた低い声が耳に届いた。声の発生元は、白衣に身を包んだ中年男性だった。おそらく、医師だろう。

「いえ、同じ事務所に所属せし者…」
「…わかりました。………苗字名前さんですが、現時点の容態はなんとか安定しました。」

全身の力が抜けていく気がした。
名前は、無事。身体の至る所から吹き出た汗が一気に乾いた気がした。

「ただ、しばらく入院になりますね。」
「…何故(なにゆえ)か」
「苗字さんの親族でない方に、あまり病状については詳しくお話することは出来ません。ただ、しばらくはあなたの事務所で働くことは厳しいでしょう。」

先程覚えた安堵は束の間のものだった。名前の身体は未だに深刻な事態から脱却しきっていないのだ。

「……名前を、どうか救ってくれぬか。」

今日の面会可能時間はもう終了するとの事で、天草は病院から出ることにした。
足取りは鉛のように恐ろしく重く、先程の全力疾走が嘘のようだった。冷たい夜風が容赦なく天草を刺す。このまま心臓が貫かれそうだった。

集中治療室で眠る名前の様子は天草の心を締め付けて離さない。ただただ、快復を、祈るばかりだった。

***

翌日、再び病院を訪れる。名前はすでに、病室の一室へと移動していた。看護師から場所を聞き、急ぎ足で向かえば、そこには、すでに目を覚ました名前がいた。

「名前、名前!」
「天草さん、来てくれたんですね」

リズミカルに滴る点滴、赤みのない顔色、青色の病院用の寝間着、ついこの間まで、激務とも言える事務所での業務を全うしていたとは到底思えないほど、今の彼女は見るに痛々しい。

「…心配かけてごめんなさい。お仕事もあったのに…」
「そなたが気にする事はない。天草が、来たいから、来ているのだ。」

しばらく静寂が続く。テレビもなにも付けていないこの部屋、廊下から看護師がキビキビと歩く音が聞こえる。

「………私。昔から心臓に疾患があったんです。」

沈黙を斬ったのは、名前だった。ぽつりぽつりと、彼女自身のことを話し始めた。

「昔は、激しい運動なんてだめで、学生の時、体育の授業はずっと見学でした。自由に校庭を駆け回るクラスメイトが羨ましくて仕方がなかったんです。…大人になって、身体は前よりはよくなったから、憧れだった芸能事務所で働けるようになったんです。」

突然の名前の告白に動揺が隠せなかった。今までの業務は、心臓の疾病に侵されながらも、こなしていたというのか。
それなのに、天草の体調等を常に気を使っていたというのか。

「しばらく、入院となります。すみません。お仕事の方、お休みしてしまって……」
「名前、名前が謝ることではない。天草が、そなたの支えとなろう。」


その後、天草は仕事の合間を縫い、毎日のように名前の病室を訪れた。時に、HE★VENSのメンバーと共にすることもあった。
名前は、こんな天草に「無理して来ることないですのに」と、述べていたが、その表情はどこか照れくさそうで、嬉しそうだった。

今日の仕事での出来事、瑛二が育てた花のこと、レイジング鳳が、また無理難題なプロジェクトを始動しようとしていることなど、病室でかわす、他愛のない話。仕事場での事務的なものではなく、まるで、家族や恋人と会話するよう。皮肉にも、この時間が酷く愛しかった。


こうして、何日か見舞いの日々を送っていた或る日、天草が病室を訪れると、そこには異様な光景が広がっていた。
尖った看護師の声、ガラガラと運ばれていく寝台。その上に、苦しそうに喘ぐ、名前。
血の気がサッと引いた気がした。視界が黒に染まりかける。

「名前、名前…!!」

兎にも角にも、天草は運ばれる彼女を必死に追いかける。

「天草さん、きてくれたんだ、」

うすらと彼女は目を開け、笑みを浮かべる。

「……わたし、歌を…作ってた…天草さんへの感謝の歌……」
「名前、もういい、名前…!」

彼女の口から、紡がれるハミング。初めて聞く彼女の歌。騒々しい廊下、なのにハッキリと耳に届く。優しく透き通った歌声、柔らかな旋律。
刹那、胸の奥からポツポツと、湧き出る幾許かの言の葉。歌詞だ、今名前から紡がれた曲の。天草は、無意識のちに、生まれたばかりの旋律に、言ノ葉を載せて、歌った。

「……わぁ、天草さんの、歌…へへ、独り占めしちゃった、うれしい、この曲、天草さんに歌って…欲しいです……」

胸に秘める想いを、歌に変えて、そなたのために。

緊急治療室へを運ばれる彼女を見送り、付近のソファへと重々しく腰掛ける。天草の口からはずっと歌が紡がれている。そして、頬を伝う、温かい雫、涙。名前の無事を祈り、ただ、ひたすら、歌う。

だが。

その祈りの歌も虚しく、名前はそのまま帰らぬ人となった。

医師から彼女の死を告げられたその瞬間、天草の世界は反転した。重力へ逆らうことを諦めた身体が、病室の床へと、吸い込まれてゆく。
そして、かつてないほどの、慟哭に震えた。

***

名前の葬儀が終わり、それから数日経った現在。
天草は新曲の作成に精を出していた。
新曲といっても、世間に発表するものではなく。
あの日、彼女が死んだ日、彼女が紡いだ初めてで最後の歌。この曲を、天草に歌って欲しいと願いながら、天へと羽ばたいた彼女のため。

「シオン、あまり無理をするな」

瑛一は、名前の死後、より一層天草に気をかけるようになった。

「無論、天草は、平気だ。心配は無用だ。」

ただただ、五線譜に音符を落とし込む。記憶をたよりに、彼女の紡いだ音楽を。作曲家でもない彼女らしく、シンプルで、万人にも歌いやすいフレーズ。

「ありがとう」

これに、天草の言葉を、添えて。


「そなたに…優しく贈ろう。」

秘める想いを伝えることが叶わなかった。だが、歌として、そなたに伝え続けることは出来よう。

天草は、静かに歌った。

愛と感謝の鎮魂歌を。

fin

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -