小説 | ナノ

EPISODE.03

歌には力がある。
時に心を癒し、時に心を昂らせる。
歌がある限り、人と人は心で繋がれることが出来る。たとえ言葉が違えども。
そう思っていた。

EPISODE.03 奇跡を忘却へと

いつもと同じ時間、いつもと同じ場所。
また明日と再会を約束する、名も知らない君と。奇跡のユニゾンを経験した私たちならば、名前も住所も知らなくても、きっとまた明日が来れば会うことが出来る。
そう思って敢えてあの日、私は自分を名乗らず、君の名も訊かなかった。
今度こそ曲を完成させよう。また明日、奇跡の歌を紡げるのだから。
思いついたフレーズを鼻歌になんてしながら、高ぶる感情を抑えて、家路につく。
煩わしいと感じたセミの鳴き声すら、今は心地良い。

だが。
帰宅した私に待ち受けていたのは、荷物をまとめていた家族だった。
大きなカバンに衣類などの生活雑貨を詰め込んでいた母親が、私の姿を確認するなり、こういった。

「名前、帰ったの?!いいから早く手伝って。時間がない」
「なん・・で・・?」
「引っ越すの。今日の夜に。ほら、早くあなたも荷物まとめなさい。」
「そんな急に?なんで?今日じゃないとダメなの?明日じゃダメなの?」

明日は、大切な大切な約束の日。なのに。

「急なの。今晩じゃないとダメなの。ほら、はやく。」

ほらっといいながら、私に大き目なリュックサックを手渡す。母親の背後にはソファで項垂れている父親の姿があった。

「だめだ、もう、うちは。」
「馬鹿言ってないで、あなたも早く。今からならまだ間に合います。」

母親の言うがまま、苗字一家は、山梨県から姿を消した。
私たちは、遠く離れた、九州の地でひっそりと、暮らすこととなった。
あの約束を、果たすことができぬまま。

幼かった私には当時もちろん察することはできなかったが、今となってみればあれはいわゆる「夜逃げ」なのだろう。
父親は、甲府市内で小さな会社を経営していた。
会社の経営のためだといいながら、闇金に手を出し、大量の借金を抱えた。
結局会社事業は失敗、膨れ上がる法外な利息、遅延損害金。返済のために借金をする自転車操業。
繰り返していくうちに父親の首はすっかり回らなくなってしまい、苛烈な借金取りに追われ、冷静さを失ってしまった両親は、債務整理や自己破産という夜逃げよりも賢明な選択肢をやすやす手放してしまった。

私には大きな夢があった。私の歌を、たくさんの人に聴いてもらいたい。そのためには難関、早乙女学園に入学し、卒業オーディションで優勝する。
しかし、両親の夜逃げで、私は悲願の早乙女学園入学は絶望的となった。夜逃げ先が特定されかねないので、新天地の公立学校に通うほかなかったのだ。

未完成の奇跡の歌、夜逃げ騒動で精神的にダメージを受けた私には、フレーズが全く思いつかず、その続きが完成する見込みがない。
それでも、あの日歌を交わした少年との再会を夢見ていた。
この歌が私の胸にある限り、希望は絶えない。
歌は世界の共通言語、どれだけ離れていようとも、悠久に人と人の心は、繋がれる。
歌は、死なないのだから。
早く、大きくなって、私一人でも旅立てるようになれば、きっといつか、あの少年と出会うことができるだろう。
いつの間にか、私の心の中には、あの日の少年の存在が大きくなっていた。

新天地での生活は、家族円満というものとはかなり程遠いものだった。
冷え切った食卓に、酒におぼれ始終無言を貫く父。精鋭な経営マンと言われていた父親はもはや過去の栄光だった。
淡々と家事をこなしている母親。前向きに生きてきた温かい背中は、もはややせ細ってみすぼらしくなっている。
たまに飛び交う二人の口論では、母親の父に対する、「貴方のせいよ」と、悲痛な訴えが聞こえる。

何年ほどこの生活を続けていたのだろう。中学に入ってもなお、家庭が修復する見込みはなかった。
歌には力があると、そう信じていた私。歌があれば、きっと母と父の仲は戻るだろうと。
父親はきっと足を洗って復帰できると、そうすればいつかは、またやり直せると。
居間で飲酒をする父親、洗濯物を畳む母親、彼らの目の前に私は立ち、そして歌った。彼と交わした、あの歌を。
父も母も、目を丸くして、私を見た。歌などの芸能を嫌う父の前で歌を披露するのは初めてだった。
私の歌を聞いて、私の気持ちを聞いて。

「やかましい!!ピーピー鳥みたいに歌うな!!俺は歌が嫌いだ!!」

私の願いはむなしく、父親に一蹴されてしまった。そして、力強く地面へとたたきつけられるかのように殴られる。
母親は、「なんて愚か」とでも言いたげに私を見下ろしていた。
この日を境に、父母の関係がさらに悪化した。
まるで、今までの積年の恨みを、晴らすかのように、お互いはお互いを罵り合った。
はじめは声だけのやり取りあったのに、平然と母親に手を出すようになった。母親を殴り飽きた父は私にも拳を向けていた。

私の歌で、両親の心を救えなかった。むしろ壊してしまったのかもしれない。
私では、歌では、二人の仲をどうにもできるわけではなかった。ここまで仲が悪いなら、いっそのこと離婚すればいいのにと思った。
しかし、父親は、この借金地獄の道連れとなる母と私を手放したくないみたいで、結局離婚は決裂してしまう。
母親はすっかり怯えた目をしている。山梨で暮らしていた時のような、世話好きで明るかったときの面影はもうない。

***

高校入学を目前に控えていた時だった。
いつものように学校が終わり、自宅のアパートに入れば、やけに家の中がひんやりして、静かだった。
奥へ進んでいけば、じわっと鉄錆の臭いが鼻につく。そこで私はただならぬ違和感を察し、居間へと急行する。
そこには、異様すぎる光景が広がっていた。
床一面に広がる鮮明な血溜まり。
その血の海の上に、父親が横たわっていた。腹部から大量の血が流れており、濁った目は、もう絶命していることを物語っていた。

「名前…?」

不意に聞き覚えのあるアルトの声。
ふと見上げれば、母親が呆然と突っ立っていた。
いつも通りの不安げな瞳、ぼさぼさの髪に生気のない青白い顔。
一つだけいつもと違うのは、その手には血がべったり付着した包丁があったのだ。
それを見て、私は母親が父親を刺したのだと、殺したのだと理解した。

「もう辛いのよ、こんな生活。だから、家族みんなで終わりにしちゃおうかってお父さんと話してたの……」

「死ねば何もかもなかったことになる。借金や夫に怯える日々もなくなる。」
「だから、私と一緒に死んでちょうだい。」

やせ細った手が私の肩を突く。ろくな栄養をとれず、平均的な体型よりもやせ細ってしまった私の身体を床に倒すには十分だった。
鈍色に輝く凶器を手にして、狂気に慄える母親。

「お母さん、、お母さんは、歌、好き?」

私は、どうしていいのかわからず、とっさに出てきた疑問を、わらをつかむように、問いかけた。
なぜここでこんなばかばかしい質問ができたのだろうと思うばかりだ。

「歌なんて、大嫌い、特にあんたの歌はね・・・キラキラしてて、輝かしくて・・・」

母親が包丁を振り上げた。私には抵抗する気力はもはや残っていなく、そのままそれを受け入れることとなった。
部屋に血が飛び散る。腹部に強烈な痛みが走る。包丁が肉に突き刺さる感触がする。
張り裂けそうな叫び声を揚げ、私は意識を手放した。

***

目を開けてすぐ視界に入ったのは、三途の川でも閻魔様でもなく、知らない天井だった。
心拍を記録するベッドサイドモニタの規則的な音。
化学実験室に似た独特な薬品の香り。
私の五感が、ここは病院だと、物語っていた。

「生きてる・・・」

近くから看護士が、「目を覚ましました!先生!」と、医師を呼ぶ声が聞こえる。
そして、私が目を覚ましてすぐさまやってきたのは、警察の事情聴取。
記憶に特段の障害のない私は、ありのまますべてを供述した。そのとき、あのアパートの一室で母親も左胸に包丁が突き刺さったままの変死体で見つかったときいた。
包丁には母親の指紋しか残っていないこと、私の一連の供述を照らし合わせて、母親は自殺したと警察は決定づけた。
そして、一家心中事件として、捜査の幕は閉じた。

今後の私の生活であるが、夜逃げした身であるため、この地域に身寄りなどいない。
父親の遺したものは、住んでいたアパートの一室の賃借権と、大量の借金のみ。私は、相続を放棄し、正の財産も、負の財産もすべて白紙に戻した。
だから、すぐに住んでいたアパートを引き払わなければならなかった。
全てを忘れたくて、アパートにあった物はすべて処分した。
母親の衣類、父親のお気に入りのゴルフバッグ、家族写真。
そして、あの日完成を約束した、作りかけの楽譜。この曲を歌って私は父母の仲を悪化させたんだ。
全てすべて、消却してしまおう。すべて嫌な思い出と繋がるものでしかないから。
歌は無力だ。人の繋がりどころか決裂しか生まない、私の歌は。

まずは住むところを探さなければならない。すむところがなければ仕事すら見つからない。
しかし、私の手持ちには雀の涙ほどの現金しかなかった。これでは数日も持たない。
15歳で就ける仕事なんて限られている。飲食店など様々当たってみるも、定住所もない人を雇えるほど、余裕のある所はなかった。
運よく日雇いが見つかっても、食事と寝泊まりですぐにそこが尽きてしまう。
空腹に襲われる毎日だが、父母の怒号が聞こえないだけマシだった。
ただただ、生きるために、必死だった。

「こんどこそ、完成したこの曲を歌おう。」
「うん」

あまりの必死さゆえに、あの日の小さくて愛しい奇跡など、もうすでに忘却の彼方へとねじ込んでしまっていた。

****

奇跡の歌を紡ぎながら、俺は再び記憶の海にのまれる。
眩い光の海の中、うっすらと映る、柔い笑顔。
今とは全くの別人のよう。
しかし、よくよく彼女の歌声を聴けば、わかる事だった。俺の心を浄化するようなまっすぐな声。
年齢や経験を重ねた女性となった今でも、歌声の本質は変わってなかった。

再会したときに抱いた脳をかき乱す感覚。
それは、単なる既視感でも虚認識でもなかった。
俺の脳という脳が、彼女をとらえ、再会を喜んでいたのだ。

「お前だったのか・・・・あの場所で、あの時間に、あの奇跡を・・」

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あとがき
主人公視点ばかりで、夢にならな過ぎて無理やり最後に瑛一視点をねじ込みましたが、なんともバランスが・・
次回で完結予定です。

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