31
それから数日、いつもの放課後。
屋上に向かう階段を登り、寒空の中寝そべる俺に光は駆け寄る。
「終わったぞ」
上から覗き込み、温かいペットボトルのお茶をおでこに乗せた。
「んー…ぁあ…」
ペットボトルを落とさないように取り、ゆっくりと体を起こす。寒い中寝ていたせいか体がすっかり冷え切っている。
「お前よくこんな寒い所で寝られるな。二時間は寝てたぞ」
「そんなにかー」
「授業またサボリかって森先キレてたぞ〜明日呼び出しだな、ひひ」
キュッと蓋を開けて、暖かい飲み物を一気に喉を潤す。光も横に座り一口貰った。
…しばしの無言。
ブブーブブーブブー
無機質なバイブ音がコンクリートの屋上に鳴り響く。
「遥ちゃん?」
「んー…そう」
「なんて?」
「今学校終わりましたーって、」
「まるで恋人同士だな」
そう光が言うと、俺はペットボトルの口を歯で遊びながら呟いた。
「だったらいいのになー」
その言葉は、寒空の中更に凍えるような寂しい気持ちにさせる。
「…もうどれくらいだ?」
「三週間…、一ヵ月近くかな」
それは、あのテーマパーク以降遥に会わずにいる期間であった。既に季節は十二月半ばを過ぎ、二学期が終わり冬休みが始まる時である。
誰でも好きな人に会えないと辛いもの。ただでさえこうやってメールと言う電波だけの繋がりだけのせいか、更に「会いたい」なんて到底言える訳もなくやり場のない気持ちばかりが浮き足立っていた。
「美咲ちゃんに黙って会えばいいじゃん」
良之助は以前こう言った。確かにそうだ。
だが俺の律儀な性格も相成ってか、俺から守ろうと必死な美咲の気持ちを、踏みにじる事なんて出来なかった。
それは、俺が愛する遥は美咲が愛する遥でもあるからだ。
遥自身も「会おう」なんて言わないのは、きっと美咲を思っての事なんだろうし。それを潰す程、俺は廃れちゃいない。
『俺も今終わった。もうすぐ帰る』
そう、軽快に文面を作ると送信ボタンを押す。たわいもない会話、ほぼ途切れる事のないやり取り。
会えない今、これだけが俺の唯一の救いだっのかもしれない。
しかし、それは長くは続かなかった。
翌日。
それは忘れもしない日になる。
俺はいつものように終業のチャイムを聞ききながら屋上で寝そべっていた。
そして毎度放課後の訪れを知らせに光が来る…が、今日は良之助達と共に合コンへと行く為寂しく放課後の屋上で呆け中。俺も誘われたが、行く気が全く沸かなかった。
"キミの傍を離れたくないー"
iPodのイヤホンから、メロディーが流れる。どんな歌詞も今の俺には骨まで染みる台詞だ。
終業のチャイムが鳴って一時間程経ったか、音楽を止めるとグランドからは部活をする生徒達の声が聞こえる。演劇部か、発声練習をする大きな声が響いてきた。
この屋上に来た時の静かだった昼下がりは、いつしかざわつく放課後になっていて心が落ち着かない。
「…帰ろっと」
立ち上がり財布と携帯をポケットに入れて階段を降っていく。靴を履き替え帰る人波に紛れて門へと向かう。
ザワザワザワ
「?」
すると、門を過ぎる生徒達が仕切りにざわめき立っていた。ざわめくは何故か男ばかり。
「おい、あれ天高だよな」
「なんでここに」
「めっちゃ可愛いんだけど」
口々に聞こえる声に、俺は脚を止める。
天高…?
もしかして…遥…?
一歩、一歩と歩きを速め、男達を掻き分けて視線の先へと一直線に向かう。
「遥…?」
隠しきれず緩む表情を見せながら、勢いよく身を乗り出した。
「!」
遥思しき人は、俺を見るやいなや驚く。しかし、俺もその人物を確認すると表情を曇らせてしまった。
「…美咲ちゃん」
その人物は遥ではなく…美咲だった。
ぺこりと会釈をする美咲はどこか遥に似ていて嫌な気分になった。
しかし、なぜまた美咲がここにいるのだろう。誰かを待っているのか?
そんな事を一応考えたが大体待ち人の検討などついている。きっと…俺だ。
そんな分かりきった質問などせず、「俺に何の用か」とそれだけを視線の先に無言で問い掛ける。
「あ…あの」
美咲は何だか話にくそうに口を開いたが、すぐにどもってしまう。
──ザワザワザワ
そんな俺達を、奇怪な目で通り過ぎる生徒達が見つめる。あぁ、これじゃあ話にくい訳だ。
「場所、移動するか」
「…はい。」
俺の後を三歩程距離を開け美咲は付いて歩く。しばらく行くと遥と初めて訪れたあの公園へと辿り着く。近くて余り人目に付かない場所となると、ここしか浮かばなかった。まさか、遥との思い出の場所にこの子と来る羽目になるとは…嫌な偶然だ。
近くのベンチに腰掛ける。これまたお互い端と端に座るという、二人の距離を表していた。
俺は両手をスラックスのポケットトに入れたままグテッとだらしなく座り、美咲は天高の学生鞄を膝に抱え座っている。
──チリン
ふと、耳に鈴の音が聞こえ視線を美咲に向けた。美咲は学生鞄に付けられた何かを仕切りに握りしめている。手の中にはどこか見覚えのあるもの。
「……その人形」
「え?」
それは以前遥がUFOキャッチャーで取ったピンクのうさぎの人形だった。
「遥がくれたの」
指で優しく撫でながら愛おしいそうに両手で包む。
そうか、…あの人形は美咲ちゃんの為だったんだなぁー…
毎度の事ながら、遥には美咲がいると思い知らされる度に心が締め付けられ苦しくなる。
ズキン
ズキン
胸の痛みは仕切りに胸をえぐるように突き刺す。早くこの場から去りたい…。
「…あの、虎さん」
「ん。」
すると美咲はいきなり立ち上がり、俺の前へと立ちだした。
「?」
ぐっと拳を握る美咲を見て、「殴られる!?」と身構える。女にはしょっちゅう殴られていたから、それなりの心構えはあったりするんだが。
しかし、予想とは裏腹に美咲は大きく頭を下げだしたのだ。
「お願い!もう遥とは会わないでっ!」
──え?
頭を深く下げたまま、美咲は声を上げて話続ける。
「私には遥が必要なの!」
「ど、どうゆう…事」
混乱する頭を必死に整理するが、追いつかない。
「虎さんが遥を好きなのは知ってる、でも遥は私の大事な彼氏なの恋人なの」
──ズキ。
以前、光が美咲は気付いているとは言っていたが、本人から言われれば思考が追い付く筈もない。そんな心構えなんてしていなかった。
「私達を引き裂かないで!」
「引き裂くって…俺は別に」
そんなつもりはない、そう言おうとしか矢先、下げていた頭をあげ大きな瞳で捕らえられる。その瞳からは、堪えきれない涙がこぼれ落ちていた。
今まで女の涙は腐る程見てきた。だが、こんなに苦しくなる涙は初めてだ。
「お願いします!もう遥とは会わないで下さい!お願いします!」
必死の願い。きっと美咲は苦しんでいたんだろうと伝わった。
だが、遥と会わないで欲しいという願いだけは受け入れたくない。俺だって遥が好きなんだ。
「あ、のさ、俺が好きなだけで…遥は俺をただの友達って思ってるんだけど、なんで会わないで欲しいってなるんだ?」
「そ…それは…」
美咲は急に勢いを落とし、視線を泳がせ始めた。
ただ会わないで欲しいだけじゃわからない。遥からすれば、友達が消えてしまうのと一緒なんだから。
「…このままじゃ、遥をいっぱい傷つけてしまうの」
「それって、俺が原因…で?」
こくり。美咲は小さく頷いた。
「遥を傷つけてる…」
俺が好きなせいで…?
「私達は昔からずっと変わらず一緒だったのに、あなたが現れてから遥がどんどん離れて行ってしまうの!お願い、私から遥を奪わないで…っ」
…遥が、虎に気持ちが向き始めているなんて口が裂けても言えない。遥は昔も今もこれからも…ずっと一緒なの。
「俺がー…消えたら、遥は傷つかないのか?」
美咲は戸惑う表情を見せたが、そのまま小さく頷いた。
「そっか…」
フッと緩い笑いを見せ、深呼吸をし立ち上がる。
「いいよ、消えるもう会わない。だいたい男の遥を好きでいてもしょうがないしな。……迷惑かけて悪かったな」
ポンッと、美咲の肩を軽く叩いて背中を向け歩き出す。
「え、た…虎さん」
…願っていた通りになった、だけど虎も傷つけた。人を傷つけてまで、自分の幸せを守ろうとしている自分。
それでいいの?って、何度も問い掛けたけど、私が遥を諦めるなんて絶対にしたくない。その導いた結果が…
美咲は止まらない涙を流しながら、一人ベンチに残り人形を抱きしめた。
俺はまっすぐに公園を抜けて自宅へ向かう道を歩いていく。途中道端に転がっていた空き缶にも気付かず、蹴ってしまった事にも気付かない。
ただ、心が無だった。
どうして会わないって言ったんだ?なんであんな約束をした?
だって、知らない所で遥を傷つけていると知った。俺のせいで傷つく遥を見たくない。
それに、彼女をあんなにも苦しめていた…
何度も何度も同じ言葉が脳裏に巡る。
会わない。
もう、会わない。
もう、会えない…
目頭が熱くなるのを感じるが、ぐっと堪えて歩みを強める。
俺は自ら断ち切ったのだ。
恋も遥も…。
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