1「序章」

それはまさに、いつも在り来たりな日々を暮らしていた俺にとっては晴天の霹靂だった。

まだ夏の残る暖かな風の中、駅へと向かう住宅街の脇を必死に走っていた。革の素材で出来たサンダルなので少し走りにくい。茶色よりやや薄い髪を太陽に照らされながら、無駄に襟足が長い髪を小さくなびかせて駅前に続く曲がり角を曲がった。二時間の寝坊にきっと今日のデートの相手は怒りに満ちているだろう。行きたくない気もするが、仕方がないと行き足を急ぐ。
その時だ。

「うわぁッ!」

その声と共に、後ろからキキーッと言う金属音が空に響き、気付けば地面に伏せていた。何が何だか判らない状態のまま、体を起き上がらせようとするが、動かない。

「いてて‥わ!すみません!」
「いいから、早くどけよ‥」
「すっすみません!よそ見していて!」

あぁ、後ろから自転車に体当たりされたのか。車輪がカラカラと回る倒れた自転車を見て冷静に理解した。
立ち上がり服を叩く。
にしても、どこも痛くないとか、かなり頑丈だな俺は。いや、少し手のひらを擦り剥いたか。

「いや、いいよ。俺もいきなり飛び出して悪かったし‥。じゃあ、」

とりあえず急いでいた為、すぐにでもその場を離れたかった俺は、再度身を起こそうとする、が。

「まっ、待って下さい!」

ぐいっ

「ぐえっ!服引っ張るな!」
「ああ!すすみませんっ」

あーめんどくさい。早く去りたい…。
徐に掴まれた襟首に閉められ何とも間抜けな声が出てしまい、眉間に皺を寄せたまま掴まれた襟首を正しては、気恥ずかしさを誤魔化すように溜め息を吐いた。嫌な奴だと思われようが関係ない、もう二度と会う事もないだろうから。

「あの、お名前を!お詫びをしたいので」
「いやー…いいよ。俺急いでるし、」

これ以上関わりたくない、待ち合わせの時間をゆうに越えてしまった時計をちらりと確認してから、俺はまだ見ぬ突っ込んで来た奴…この場合加害者か、に、苦手な笑顔を引き吊らせながら振り向いた。

「───!」

急ぎ起つ体の動きが止まり、思考までが停止する。まさにその時の俺の感情を表しているかのようだった。
栗色の優しい色のショートヘアーに、まん丸瞳にぷるるん唇。身長は160センチはないな。有り得ないくらいの美人だった。生まれて初めて目にした美しさ!そう言っても不思議ではない程に、俺は目を奪われ言葉を失った。そんな俺に相手は、眉を潜めている。

「あのー‥‥?」

美女は小首を傾げて、俺を覗き込んだ。その視線には不安が入り混じっている。

なんて、可愛いんだ…

そう呟きかけて、ハッと我に返った俺は、「大丈夫だから大丈夫だから」と言いながら、その場をそそくさと去ってしまった。



はぁ はぁ はぁ…───

駅の郊外まで、走り続けて行き、ようやく立ち止まった。息があがる。走ったからか、それとも…。
先程の美女が脳裏に浮かび上がる。
何とも言えぬ程の可愛さと美しさだった。あの付近に住んでいるのだろ言うか?彼氏は?関わったあの一瞬で俺はあの美女に囚われてしまったようだ。
住宅街から抜けた駅の線路沿いにあるフェンス越しに、まだ若干息を上げながら見つめる。また会いたい、会いたい。
しかしそこで、俺は重要な事に気付いてしまった。

「名前言えば良かった…」

この出会いが、後に俺の運命を変えるとも知らずに。


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