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◇◆◇


トゥルルルル───


「虎くーん、携帯鳴ってるよー」

汚れた手で眼鏡を持ち上げた守道は、衣服の上で鳴り続ける携帯の持ち主に声をかけた。
レジで接客を済ませた虎が、少しして作業場へと顔を出す。

「あぁ、すみません。」

そう言って、画面を確認する事もなく電源を切り、携帯を衣服の上に戻した。
そんな一連の動作を脇目で見ていた守道は、さほど気にもせず作業へと戻る。すると、コーヒーメーカーの前で湯が湧くのを待つミモリが、背中越しに虎に話しかけた。

「電話出てもいいわよー」
「いえ、大丈夫です。」

ミモリの気遣いをあっさりと返し、虎はそのままカウンターへと戻っていった。
ミモリは過ぎた虎の背中を眺めて眉をひそめ、注いだ珈琲を守道の作業机に置く。

「ねえ、まだ昨日のやっぱり怒ってるのかな。」

図案を広げている守道に耳打ちすると、ミモリは手に持つ自身のマグカップを口に運んだ。守道は図案から目を離さずに、返事をする。

「まあ、そりゃあねえ……。」
「ちょっとちゃんと考えてるの?」

ミモリの威圧感を感じて、守道は慌てて「え?」と、机の横に立つスレンダーな美女に目線を上げた。

「だからー、昨日騙して連れて行った事、怒ってるのかなって。」
「あ、いやあまあ、普通は怒るでしょう…。」

そう言って一息付いてから守道は、でも、と言葉を繋げた。

「彼の虫の居所は他にあるんじゃないのかな?」

チラッと、虎のすっかり静まった携帯を見て、ミモリは思い出したかのように「なるほど」と頷いた。
先程覗いたディスプレイに映った『茜』と言う文字に、昨日の光景が目に浮かぶ。
彼、すなわち虎に終始まとわりついていた彼女、茜。
正直、ミモリは彼女に余り好印象を抱けなかったらしく、コーヒーを口に付けながら眉を潜めている。

「うーん、やっぱり断れば良かったのかも。嫌な思いさせちゃったなあー」
「今更言っても遅いよ。虎くんだって嫌々ながらも引き受けてくれたんだから、感謝しないと。」

そう返すと、守道は席を外し、ファイルが陳列されている棚の前で、ファイルと図案を眺めながら仕事に戻った。
ミモリは不服な面持ちで、コーヒーを口にする。

「砂糖入れすぎた…。」




◇◆◇





「あ、居たー!」

仕事を終えてシャッターを降ろし、今から遥を迎えに行こうと自転車に跨った時、大きな声が背後からした。
なんとなく自分に発せられた声だと分かっていたが、振り向きもせず足早にこの場から去ろうとペダルに脚をかける。
しかし、声の方が早かったらしく、ずしんとした重みが背中に纏わりついた。
関わりたくない。だが……どうしようもない。

「……なんか用かよ。」
「ずっと電話してたのにぃー、携帯出ないじゃん。だから来たのー」

昨日散々聞いた甘ったるい声が、脳髄に響き、虎の眉間がイラっと疼いた。
回された腕を離し、茜は横に立つ。

「お前帰れ。」
「やーん冷たーい。ね、ご飯行こうよ!」

聞いてない……。頭が痛くなる思いに、虎は溜息さえも勿体なくて、頭を掻いた。
今からバイト終わりの遥と会うのに、正直も何も凄く邪魔だ。
すると、横断歩道の青信号が点滅しているのが目に入り、慌ててペダルを漕ぎ反対車線へと渡った。
取り残された茜は何か文句を言っているが、行き交う車の音で何も聞こえない。
ホッと胸を撫で下ろし、遥のバイト先にまで行くと、丁度出てきた遥と合流した。

「あ、虎さん」
「行くぞ。」

信号が変わりあいつが来る前にと、遥の手を引き夜の駅前を後にした。

それから5分程度、入り組んだ路を選んで走ったおかげか、背後には誰も付いてきているような気配は無かった。
ビルの合間の路で、一旦立ち止まり呼吸を戻す。いきなり走り出されただけに、遥は結構苦しそうに肩を揺らしていた。

「ごめん、遥。」
「い、いえ。……どうしたんですか?」

遥の大きな瞳と視線が合う。

「ああ……、あいつが来て。」

あいつ…。
虎の言葉に、遥の脳裏には1人の人物が横切った。

「あ、……茜さん?」
「うんそう。勝手に来やがって、誰が飯なんか行くかよ。」

遥はやはり茜なのだと不安になったが、虎の否定的な発言に少しほっとする。
そのまま並んで歩き進め、いつもの帰宅コースへと出た。
会話もいつもと変わらず、仕事やバイト、学校の事などたわいもない話をした。人通りが少ない場所に来ると、手をつなぎ、少し肩が触れ合う程の距離にまで近付く。いつもと変わらない、恋人同士の時間。
だが、遥の心の底では、言い知れぬ恐怖感や不安が蠢いていた。
笑顔を見せる虎の本心には、何を描いているのだろう。
結構な遊び人だった噂だって知っている。なのに、自分とはキス以上をしない。もしかしたら、本当は飽きられているのかもしれない。
そんな事ばかりが、この夜の暗闇に溶け込むように次々と溢れ出してきて、無意識だったのだろう。歩みを止めた虎に振り返った遥の瞳の中で、虎が眉間を寄せていた。

「遥?どうしたんだ?」
「え?」

不意に問いかけられ、遥は小首を傾げた。握られた手を更にギュッと握りしめ、虎は自分の服の裾を遥の顔にあてがう。
その行為に、遥は自身の瞳から滴が溢れかけていた事に気付いた。

「す、すみません!あれ、なんで?あれ?」

ごしごしと目をこすり、濡れそぼった睫を拭く。

「俺なんかした?」

目の前に立つ虎が不安そうに、問い掛けた。

「いえ、違います。自分でもその、分からなくって……。」

分からない訳がない。でも、その真意なんて、とても遥には言えなかった。


(30/30p)
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