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「こっち終わりました。」
材料が入ったバットをクーラーボックスに仕舞って、遥は団扇で自身を仰ぐ良之助に告げた。火起こしも既に完了していた良之助は、日差しとコンロの火でだれたようで離れた場所で涼しんでいた。清涼飲料を片手に良之助の横に腰を降ろし、遥も一息入れる。
「あー、ごめん。煙草取ってもらっていい?」
「、はい。」
遥の背後に置いていた荷物から良之助の煙草とライターを取り出し手渡す。ゆらゆらと消えていく副流煙を眺めながら、遥はじっと前方に広がる風景を眺めた。終始無言状態が続き気まずさが出てきた時、ふと良之助が口を開く。
「遥ちゃんさ、虎のドコ好き?」
「え!?」
前触れもない直接的な質問に体を硬直させて、呑気に欠伸をする良之助を見る。そんな遥に「はは、ごめんいきなり聞かれてもね〜」と、へらりと笑ってまた一つ欠伸を洩らした。
「どこ、どこって…うーん…、全部?」
「へえ、そっかあ。なんか遥ちゃん達見てたら有りかなーとも思えるよねー…」
「…?そうですね…」
途中から聞き取れ無かったが、どこか遠くを見つめる良之助の伏せた違和感から遥は視線を外して、地平線をぼんやりと見つめた。
「良之助さんは、好きな人いないんですか?」
暫く一緒に居るせいかお付き合いをしている面影が無かったのは判るので、質問返しにとさっきの事も気になったので聞いて見る。
「んー。いないような要るような、いないような?」
「え、どっちなんですか」
帰ってきた答えはどっち付かずの曖昧なもの。にへらと笑って答えた良之助に、遥は眉尻を下げて小さく笑った。
良之助自身にもまだはっきりとは判らない感情を遥達が知るのは、また別の話だ。
そうこうしている内に、虎達が出発してから1時間半ばかり経っている事に気が付いた。釣り自体にどれ程の時間を有するのかも判らない為もう暫く待つべきなのかもしれないが、すっかり昼時も過ぎてしまったので、遥は一度様子を見に行こうと腰をあげる。
「ちょっと様子見てきます。海辺を真っ直ぐに行けばいいんですよね?」
「そう、だけど。俺も一緒に行こうか?」
「大丈夫ですよ。良之助さんは食材を一旦冷蔵庫に移してきてもらえますか?そろそろ保冷剤が溶けてきているようなので」
「おーけー分かった。」
サンダルを履き、サラサラの砂にかかとを沈めながら虎達が消えて行った道へと向かう。良之助は丁度素潜り漁から帰ってきた泰司にコンロを任せ、クーラーボックスをソリに乗せてコテージに向かった。
海辺の脇を通り抜け、目の前に岩山が見えてきた。所々丁度いい頃あいの溝があるので順調に登り周囲を確認する。すると少し先に目的の人物達が目に入った。
「虎さーん!」
名を呼ばれた本人はぐるぐると周りを大袈裟に見渡して遥の姿を見つけると、釣竿を地面に置いて立ちあがった。「そこにいろ!」と大声が聞こえてきたが、遥は少しでも早く側に行こうと足を進める。
「遥待てって!そこ岩目裂けてるから止まれ!」
そう言われ、ハッと足元を見ると確かに裂け目があった。だが70センチ程度だしこれぐらいの幅なら跨ぐだけで大丈夫なのにと、遥は苦笑を洩らした。
「遥」
駆け足で側に来た虎は、裂け目を挟んで目の前にいる遥に手を差しのばした。
「これぐらい大丈夫ですよ、」
「ダメ。落ちたら洒落ならん」
心配性だなぁと遥は眉尻を下げて笑い、差し出された手を重ねて一歩前に出る。
その時、突如現れた発色の綺麗な蝶が遥の目の前を掠めた。
「うわっ」
咄嗟に目を瞑り、手で蝶を振り払う。
ずるっ、
「───っあ!」
「遥ッ」
なにが起きたのか分からなかった。
気付いた時には斜め上と言う不自然な方向に虎の表情が一瞬見え、それから視界が真っ暗になる。
ズザザザザザ
「───ッツ!!」
──ザバァン
自身達を取り巻く冷たい感触に方向感覚を失ない、呼吸が出来ない。
海に落ちた。
パニックになる思考の中で僅かにそれだけが木霊する。苦しい息ができない、苦しい。
そして、プツンと記憶が途切るー……
「え…?お、おいっまじかよ!?」
先程居たはずの遥と虎の姿が、少しの声と共に行き成り忽然と消えた。
さざ波の激しい音と、そこに確かに混ざった何かが落ちた音に光は青褪める。
釣り竿を投げ飛ばし海水が入ったバケツも蹴散らして、その場所に向かう。裂け目を覗き込むが二人の姿は確認できない。ただ、四足のビーチサンダルが海面に浮かんだり沈んだりしていて、頭に過るは夢であって欲しい恐怖だけ。
「うそだろ…っりょ、良之助ー!!」
光はもつれる脚を必死に踏ん張り、急いで良之助達の元へ駆け出した。
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