「駄目だ」 夕食後、のんびりと食休みをとっていたイナズマジャパンの面々のなか、綱海が突然そんなことを口走った。ぽつりと呟かれた言葉だったが、なぜ皆がそちらに注目したのかといえば、直後に彼が勢いよく立ち上がったためであった。 「綱海?どうしたんだ」 円堂が声をかけるのにも応じず、ただある人物の座る席に向かい、ずかずかと歩み行く。そこにいたのは、 「立向居!ちょっと付き合え!」 控えのゴールキーパーとして代表入りを果たした後輩であった。「えっ、は、はい!」立向居は反射のようにすっくと立ち上がり、先に部屋を出た綱海を追って駆けていく。一見するとそれは所謂、不穏な意味での「先輩からの呼び出し」のようにも見えたので、なんだなんだ、と不思議などよめきが食堂には残った。 「ここまで来れば大丈夫か」 星空の下、広がる砂浜を踏み締めて二人は歩いていた。円堂が練習に使っているタイヤは通り越してきた。そろそろ宿舎が目に入らなくなる。すでに夜であったし、どこまで行くのかと立向居が不安になる頃、綱海は立ち止まった。 「立向居」 前を歩いていた綱海がくるりと振り返る。その目は真っ直ぐに立向居を見つめていたので、立向居は無意識に背筋を伸ばした。月明かりは逆光となっている。綱海の表情は見えない。 もしかしたら、本当に説教かもしれない。綱海は説教自体あまりしない人柄であったし、仮に何か思うところがあったとすればその時その場所で言ってくれる。だから、そんな綱海でさえ見かねることを、立向居はやらかして、そう、わざわざ呼び出さねばならないほどの何かを───などと考えて、立向居は軽く畏縮していたのだった。 が。 ふわ、と小さな風が起こったかと思えば、月明かりで妖しく光る珊瑚色が、立向居の肩口に埋められていた。首筋にあたる息遣い。背中に回された掌。すぐ近くで響く互いの鼓動。耳元で低く名を呼ばれて、ぞくっと身体が震えて、やっと気付いた。 自分は今、抱きしめられているのだ。 「………えっ、え!? っ、綱海さ、」 久しく感じていなかった綱海の体温が嬉しい反面、妙に緊張してしまったのもあるが、立向居は何故このような状況になるのか分からず慌てふためいていた。そんな立向居を余所に、綱海はその姿勢のままで深く息をつく。首筋に触れる微かな風が擽ったい。 落ち着いている。どこかそわそわと歩き続けていた綱海が、恐らく、立向居を抱きしめていることで。立向居は、自分に合わせて屈んでくれている綱海の背中に腕を回しながら、「なにか、あったんですか」と尋ねた。 「いや、まあ」 「練習のことですか?」 「ん、ああ、いや」 「………綱海さん?」 やたらと言葉を濁す綱海に若干の不安を感じ、顔を覗き込んでみた。 「……ッ、ああくそ、おまえ不足だったんだよ!立向居!」 言わすな!と顔を真っ赤に染めあげた綱海に、立向居はぽかんとした表情を浮かべてしまっていたのかもしれない。それが気まずかったのか照れ隠しなのか、綱海は再び強く立向居を抱きしめる。だが立向居からすれば、そんな綱海が不思議でならなかった。だって、だって。そんなこと。 「……、言ってくれなきゃ、わかりませんよ、綱海さん」 そっと、少しだけ身体を離して、視線を合わせた。自然に頬が緩んでしまう。 「言ってくれれば、いくらでも、俺から行きます」 俺だって、綱海さんに触れたかったです。 そう言うと、綱海がくしゃりと照れ臭そうに笑った。いつもの表情だった。今度は立向居から力を込めて抱きしめる。少しだけ冷たさを帯びていた夜風が、もう全く気にならなかった。立向居が、綱海が、互いがそれぞれそこに存在しているだけ。体温を感じることができるだけ。それで、十分だった。 ふと、空を仰ぐ。きらきらと瞬く星々が散らばる、微かな群青を含んだ黒がいっぱいに広がっていた。故郷から遠く離れたこの島では見慣れた星座は見えないけれど、星のもつ妙な美しさは同じだった。目線をどこへ動かしても、見えるのはこの煌びやかな光たちだけだ。空の広さを感じて、どうしたって自分の存在の小ささを感じてしまって。己に触れているもうひとつの体温をより強く抱きしめる。ん、と綱海が返事のような声を発したので、それに対して返事をするように、立向居は綱海の唇にキスをした。一瞬だけ触れて顔を離すと、綱海は頬をほんの微かに赤く染めながら、嬉しそうに笑う。その表情がたまらなく愛しくて、どうにかなりそうで。とりあえず部屋に戻らないと、と立向居は思うのだった。 誘惑オリオン /110105 (title:ミシェル) |