祖父が喋れなくなったらしい、とは聞いていた。手術のために喉に穴を開けた、と。頻繁に顔を見せてはいたが、一緒に住んでいた訳ではなかったし、ふうん、大変だね、としかその時は思わなかった。薄情な孫である。近くの病院に入院しているらしいので、家族で見舞いに行ってきた。

「じいちゃん、じいちゃん」
補聴器の、きいん、とした音が聞こえる。その耳元に口を寄せて、母が懸命に話しかけた。入れ歯が入っておらず、陥没したような祖父の口元がぱくぱくと動く。何か話したいらしい、が、声が出ないのだ。細い喉から、太い管が生えている。ひゅーひゅーと息が抜ける音すら、その管に飲み込まれていく。
「分かる? 皆で来たんだよ」
母が私の事を指差して、私の名を教える。祖父がちらと視線を送ってきたので、手を振っておいた。隣にいた姉にも同じようにして、再び「分かる?」と問うと、首が横に振られるのだった。世話に来ている伯母は、最近いつもこうなの、と悲しげに笑っていた。祖父と暮らしていたはずの従兄弟すら、「誰だ」と言われてしまうらしい。

少しすると、私を指差して祖父が何か言おうとしている。けれど祖父の口では、読唇もできないのだ。母も伯母も顔を寄せて、なあに、と言葉を拾おうとするのだが、やはり何を訴えたいのか判断することができない。分からないね、と母たちは顔を見合わせてくすくすと笑っていたけれど、私は涙を堪えるので精一杯だった。思いのほか、体が何本もの管で繋がれた祖父の姿がショックだったのかもしれない。ベッドの側に立ち尽くして、すでに九十近い老体でも農作業までこなしていた、最後に会った祖父の姿を思い出す。骨と皮と化した手足、始まりかけている認知症、体から伸びた管。あの頃の面影は、どこにも見当たらない。
祖父の容態を、私は軽視していたのだ。飲み物を買いに行くふりをして、病室を出ると、大粒の水滴が頬を伝った。死なないで、死なないで、死なないで。ただひたすらに、そう願った。





老いてゆく /100106

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