瓦落多 | ナノ



※名前変換がないので、#なまえ#さんとしています。




当て所も無くふらふら歩いていた。刺すような日差しを受け止め、暑くて暑くて死にそうだった。視界すらも揺らめいているように感じた。
気付けば目の前には廃工場のような建物があった、と認識した途端に、突然世界が回りだしたような感じがして、そのまま地面に膝を突いた。何故か地面からは何の温度も感じなかった。
軽く閉じていた目を開くと、そこには思い焦がれていた姿が在った。

笹塚さん!

と、声を出したつもりなのに、口を動かしたはずなのに、喉は震えず、音と成らなかった。

「#なまえ#」

懐かしい、柔らかいアルトが聞こえる。相変わらずわたしの喉は鳴らない。 あの五月蝿い蝉みたいに、泣き喚けたら。

「分かってる」
(笹塚、さん)
「#なまえ#は、分からなくてもいいから」
(ねえ、何が?何の話?笹塚さん)
「…ああ、もう時間だ」

#なまえ#、最後に呼ばれたはずのわたしの名前は、やたら遠く聞こえた。


「笹塚さ、ん…」

目が覚めた。けたたましい蝉の声が頭を締め付けるように鳴り響く。喉はへばりついたように苦しい。
そうだ、全部夢だったんだ。茹だるような暑さも、揺らめく景色も、声に成らない声も、笹塚さんも。

「こんな形で、会いたくなんて…」

会いたくなんて、なかった?
違う、本当は、それが例え夢だって幻だって、今だって思い出して泣きたくなるくらい、会いたかった。

携帯で日付を確認して、ああ、少しだけ納得する。今日は貴方の初盆でしたね。
先週、笛吹さんがわざわざ電話をくださって、「一緒に参りに行こう」と誘ってもらった。笛吹さんはきっと、わたし一人だと辛いんじゃないか、と気を回してくださったに違いない。そんな気を遣わせてしまっている自分が申し訳なくて、断らせていただいた。

重い腰を持ち上げて、身支度を整える。外はただただ暑く、日傘を差してバス停まで歩くまでにも眩暈がした。幾つかの停留所を通過し、目当ての場所で降りて、また歩く。
墓地には何時もの比ではない人数が居て、目を閉じ手を合わせている人、花を手向ける人、小さく語りかける人、静かに涙を流す人、様々だった。
凡そ一ヶ月ぶりの笹塚さんのお墓。誰か分からないが、わたしより先に来た人が控えめに花を手向けていた。彼が好きだった煙草も供えてある。わたしはバックから花と手紙を取り出して供えると、目を閉じて手を合わせようとした。
するとその瞬間、突然の世界が回るような感覚。今朝の夢と一緒である。そしてわたしは夢の中と同じように膝を突く。ゆっくりと顔を上げると、

「大丈夫」
(笹塚さん、笹塚さん!)
「もう、帰るよ」
(待って、わたし、)
「ごめんな、#なまえ#」
(嫌、そんな!)

笹塚さんの頬を伝ったのが見えた。そっか、もう、

「さよなら、ですね、笹塚さん」

漸く震えたわたしの喉は、別れを告げることしか許さない。わたしの言葉を聞いた笹塚さんは、哀しそうに、そして嬉しそうに目を細め、わたしに背を向けて歩き出す。煙のように融けてゆく笹塚さんの大きな猫背をただじっと見つめ、そのままわたしは力尽きた。



「……#なまえ#さん!!」

気付けば目の前には、今にも泣き出しそうな顔をした石垣さんとその部下と思わしき人が居た。

「病、院…?」
「そうです!あ、今ナースさん呼びましたからね!」
「…わたし、」
「倒れてたんですよ。先輩のお墓の前で。近くでお参りしてた人が咄嗟に救急車を呼んでくれたみたいです」

少し見なかったうちに、やけに大人になったなあ、石垣さん。そんな風に思いながら、今し方やって来たナースさんたちの検診を受けたり、質問に応答する。

「あー、笛吹さん怒ってましたよ!『だから一緒に行くと言ったんだ!』って」
「それは、大変だ」

苦笑いでそう返しながら、もう警視庁と何の関係も無いわたしなのに未だに心配してもらえるんだなあ、と小さな喜びを感じる。

何処までが夢で、何処からが現実だったのか、わたしにはもう知る由も無い。けれど、そんなことはもう何だっていい。現実から逃げてばっかりで、さよならをずっと言えずにいた意気地の無いわたしに、最後にもう一回だけ笹塚さんが背中を押してくれたから。わたしは明日からも、貴方の居ない世界を噛み締めながら歩いていく。




20130813
お盆ですね。表に置くには気が引けたのでこっちに。