小説log | ナノ



※逝去描写あり


笹塚さんは笑うのが下手だった。あまり笑うことは無かったけれど、基本的に何でもそつなく器用にこなす人だから、そこだけ不器用なのが妙に可笑しくて、そんなところが余計に愛しく思った。

笹塚さんはあまり私に形に残る物をくれなかった。例えば私の誕生日は、少し高級なレストランに連れていってくれたりしてくれたけれど、物のプレゼントは殆ど貰ったことがない。
そういえば付き合いたての頃に一度、花を貰ったことがあったっけ。私は花に詳しくないから、それが何の花だったのか未だに分かってない。でも、綺麗で儚気な花だった。今思えば、ブリザードフラワーにでもしておけば良かったかもしれないな、なんて。


「…なまえちゃん?」

私と向かい合って座っている笹塚さん。手を伸ばせば掴める距離に居るのに、酷く遠い。そう感じさせる。
はい、と返事をすると、笹塚さんは安心したように頭を撫でてくれる。この頭を撫でるという行為は決して子供扱いではなく、純粋に"愛しい"という想いからやってしまう仕草なんだと、以前私が尋ねたときに笹塚さんは言ってくれた。


「笹塚さん、」

呟いてみるとその響きは甚く弱々しく、暫く私と笹塚さんの間を彷徨っては消えていった。
どした?、と言う笹塚さんの優しい声音が、少し…ほんの少しの違和感を私に感じさせた。その些末な異変こそ、私が本当に恐れていたものだったんだと、無意識に震えだした身体が正直に物語っている。


「ど、こに…行くの?」

…どこに行くの、とは、どういう意味だろう。
いつも通り接してた筈なのに、俺の中に何か異変を感じ取ったらしい彼女は突然小さく震え始めた。


「どうした、具合悪い?」
「…やだ、嫌だ、ねえ、笹塚さん…っ!」
「落ち着いて、なまえちゃん」

だいぶ精神が不安定になっているみたいだ。いつも穏やかに笑ってる彼女のこんなところを見たのは初めてなので、俺も結構焦ってる。
とにかく落ち着いてほしいという一心で、その細い身体を抱き寄せて、背中でトン、トン、とリズムをとってやると、なまえちゃんはだんだん呼吸が落ち着いてきた。


「大丈夫、大丈夫だから」
「…ごめ、なさい」
「ん、いーよ」

疲れたから、もう寝ますね。そう言って彼女は寝室へと向かった。
その目に浮かんでいた涙の膜に、俺は気付いてしまった、気づかないフリをしてしまった。

彼女はきっと気づいてる。俺が今夜、長年の計画を実行しようとしていること、そしてそれが間違いなく無傷で帰ってこれるようなものじゃないこと。
彼女はいち早く俺の異変に気付き、必死に止めようとしてくれた。でも、悟ってしまったんだろう。俺の決心が、自分でどうにか出来るものではないということを。俺の感情の機微に誰よりも敏い彼女に、俺の安易な嘘が通用する筈がない。

彼女の寝顔を見遣る。綺麗なその瞼が少し赤く腫れているのが、酷く痛々しく感じた。
触れそうになって、止めた。俺がそんなことをしてしまったら、彼女の優しさをも無駄にしてしまう。死ぬかも分からない男を、目を閉じて見送ろうとしてくれる、誰よりも優しい女の。


「ありがとう」

もしかしたら聞いていたかもしれないな、そう思いながらも、振り返らずに荷物を取って、深い夜へ足を踏み入れた。外は乾いた黒と安い光が広がるばかりなのに、俺の視界は雨で滲んでぼんやりしていた。俺の頬にだけ、雨が降ってたみたいだ。それを拭うこともせず、俺は目的地まで真っ直ぐに前だけを見て歩いた。

「……っ、は…!」

瞳が大氾濫を起こして、溺れて上手に呼吸が出来ない。
本当に、狡い人だ。女の涙を見て見ぬフリをするなんて、別れの言葉が「ありがとう」なんて。もしも「ごめんね」だったら、私は一生貴方を許さなかっただろう。なのに「ありがとう」なんて言われてしまったら、私は時が経てば笹塚さんのことを忘れなくちゃいけないみたいじゃない。
夜はまだまだ永いのに、眠気は秒毎に遠のいていく。けれど無理に強く強く瞳を閉じた。起きていたら、また零れてしまう。


***

起きるタイミングが分からずに、ずっと脳が眠りにつけない状態のまま、ひたすら布団に包まっていた。
そんな朝の白んだ雰囲気を強制的につんざいたのは、けたたましく鳴り響く電話機の音だった。


「…はい」
「みょうじ なまえさんでしょうか」
「はい」
「警視庁刑事部の笛吹と申します。本庁所属の刑事、笹塚衛士のことでお話がありまして」

ああ笛吹さん、そんな声色じゃあ分かってしまうよ。

「やられちゃったんですね」

人の死を意味付けるその言葉も、声に出すと余りに軽くてあっけなく、一人の部屋にキインと響いた。
笛吹さんは重たく「はい」と声を絞った。気を遣われていることに罪悪感を感じているのは、きっと私しかこの出来事を事前に予見することが出来なかったから。
その後笛吹さんは要点だけを話して、通話は終了した。笛吹さんの声からも、辛さが滲み出ていた。でもきっと笛吹さんは、すぐに進まなくちゃいけない。今は私よりも断然辛いのかもしれない。

彼は何時だって、死に急ぐようにして私を愛していたような気がする。けれど、もうこの世から彼の存在が無になってしまった以上、今となっては彼の考えは誰も何も知る余地が無い。勿論、私も。
笹塚さんは、自分の末路をある程度予測出来てたのだと思う。こんな悲惨な未来が脳裏に薄らとこびりついていたから、上手く笑うことなんて出来なくて、私が前に進めるように思い出を物に残さないで、それでも本気で愛したくて。
そんな不器用な貴方を、私は咎めることなんて出来る筈がなくて。

そう、私調べてみたんです。あの時贈ってくれた花、松虫草って言う花だったんですね。貴方は花言葉を知っていて私に贈ったのでしょうか。そうだとしたら、なんて酷いアイロニー。
「不幸な恋」なんですって。ねえ、それは貴方にとって?それとも私にとって?



さよならを告げる声を掻き消すために注いだ愛情はってんだのです



2011.07.20


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