小説log | ナノ



男は非常に苛立っていた。
元より気性が穏やかな方では無かったが、今は傍から見ても疑いようの無いくらいに苛立ちを隠せないでいる。男は恐らく自分が苛立っていることは自覚しているだろうが、腑に落ちないといった様子だ。

男の視界に映るのは、一組の男女である。
その男の方は世辞にも若者とは言い難い容貌だが、その年相応に思慮深そうだと見て伺える。女の方は可憐な娘で、その白い肌は女の心を反映させたかの如く清らかに透き通っていた。
男にとっては、どちらもよく知った顔である。恋仲というよりも、寧ろ親子と言った方が近いかもしれない、そんな二人の男女が、親し気に話している。それ程珍しい光景という訳でもないその光景を、男ーー河合曽良は何処か不満気な面持ちで見つめていた。

男の耳に二人の会話の内容までは入ってこない。それは男がそれを拒んでいるからである。それ故、男は知らない。皮肉なことにも、二人の会話の中心は男自身のことだということを。

男は考えていた。
何故自分がこんなにも苛立っているのか。また、どうすればこの苛立ちは解消されるのか。
しかし男は暫くすると思考を止めた。幾ら考えようとも、自分の納得のいく答が出ることはないと悟ったからである。

男は二人の元へと静かに歩みを進めた。
考えても答が出ないのならば、自分のやりたいようにやるだけだと、男は本能的に感じたのだ。元より男は、自分の師に対して臆することなど皆無に等しいような性なのだが。

そうして男は、女の方の手を取った。
女はさぞかし驚いたと見え、その玉のような瞳は大きく見開かれていた。その女と話していた男の方は、人の良さそうな柔らかな笑顔を浮かべており、まるでこのことを予想していたようだ。
手を取った男は、女の反応に満足したようで、そのまま少し早い歩調で進んだ。女はそれに合わせようと必死に歩きながら、しきりに男の名を後ろから投げかけた。

「そ、曽良くん!」
「…何ですか」
「ど、どうしたのですか!突然!」
「ムカついたからです」
「は、い?」
「…芭蕉さんと、何を話してたんですか。あんなに楽しそうに」
「そ、れは…」
「何です?言えないようなことなんですか」
「ち、違…っ!」
「じゃあ、何ですか」

男としては普通に問いかけているだけなのだが、女からすると、その強い口調に責められているように感じられた。
男の真直ぐに注がれる視線に耐えきれず、女は気後れしてしまい、視線は地面を彷徨った。しかし男は視線を容赦なく女へと注ぎ続け、意を決して女は言葉を紡いだ。

「芭蕉さんから…曽良くんが、海の日に笑うと、聞いたんです」
「何ですかそれは」
「え、違うんですか…?」
「嘘に決まってるでしょう、馬鹿が」

なんだ…と肩を落とす女の姿には何処か悲哀の色が見える。それが男の心を揺らす結果になったことを、女は知る由も無い。

「しょうがない…じゃあ」

男は女の耳元へ唇を寄せ、わざと艶を含ませた声で耳打ちする。女がどのようにされたら羞恥心を掻き立てられるのか、男は把握していたのだ。
その後また何かを囁いた男に、女のその白い肌は紅を零したかの如く真赤に色づいていていた。
男は再び女の手を取って進み出した。男の頬に笑みが浮かんでいたことなど、後ろに居た女は勿論知らずに。

"僕を嫉妬させたから、なまえには見せません"


そこに笑顔を手繰り寄せるなど、
ここに君が居ればそれだけなのに




2011.07.20


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -