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「あー、痛」

夕日が最も眩しく突き刺さる時間帯、人気がほぼ無くなった廊下にて、不意に独り言が口を垂れた。暫く動かされることの無かった私の喉は、唐突に使わされた所為かやたらと滑りが悪かったから、掠れながらも絞り出した、といった具合だったけれど。空気中に霧散して曖昧に消えていったその言葉は、酷く虚しい響きをしていた。
どうにも居た堪れない気持ちになって、薄汚れた色褪せている廊下にどっかり腰を降ろした。節々がわたしに訴えかけるように軋んだような気がした。もうなんだか、全てがどうでも良く思えた。

殴られた、蹴られた、裂かれた。
すぐ目前に在るわたしの足を改めてじっとり見てみると、赤かったり青かったり、自分の体なのにまるで現実味の無い体裁を為していた。
強く掴まれて破けてしまった襟元を出来る限り正してみたものの、耐えきれずにそのまま重力に従ってだらしなく萎れてしまった。ついでにリボンは何時の間にかなくなってしまったみたいだ。
明日、どうやって登校しよう。風紀委員(特に土方くん)は厳しいから、リボン無しで校門を跨ぐことは叶わないだろうなあ。反省文は面倒だなあ、なんてたいして回っていない頭で考えていると、右耳から俄に入り込んできたのは誰かの足音。
こんな時間に居るのは教師くらいだ、見つかったらマズいかも。慌てて立とうとしたけれど、思うように足に力が入らずに一人で苦戦していると、すぐそこまで迫っていた足音がわたしのすぐ後ろで途切れた。わたしが振り返るよりも先に耳に届いた声は、全く予期しなかった人物のもので。

「随分と刺激的な格好ですねィ」
「…お、きた」

いつも通りの飄々として、それでいて無駄に円やかな声がわたしへと投げ掛けられた。びっくりした、と独り言のように軽い非難を吐き捨て、立ち上がるのをやめたわたしはそのまま沖田へと目線を遣った。真横に来た沖田は、そのままわたしと同じように腰を下ろした。それなのに目の高さは幾分か隔たっていて、わたしは若干顔を上げた状態で沖田を見る。まあ、当たり前か。
誰も居ない放課後の廊下で、隣合って腰を下ろしている高校生の男女、側から見たらどんな風に見えるのだろう。

「うっわ、痛そ」
「そういうこと言われると、余計に痛く感じるんだけど」
「……」
「ちょっ!無言で痣押そうとしないで!」
「冗談でさァ」

一体何が冗談なんだ、と思ったけれど、無遠慮に、されど腫物に触れるような優しい手つきで触れてくる沖田に、思わず口を噤んでしまった。グロテスクな色をしたわたしの足を眺めるその眼は薄らと悲哀の色を宿していて、なんか、らしくない。

「高杉の取り巻きか」

わたしの足へ視線を落としたまま冷やかに言い放った沖田は、足に触れていた手を止め、真剣味を帯びた視線を今度は私の眼へと真直ぐに注いだ。
ああ、沖田にはお見通しだった訳だ。だから部活も終わっているであろうこんな時間に学校に残ってたのか。成る程漸く合点がいった。

「おめえだって知ってんだろ、高杉は」
「知ってる」

沖田の言葉を遮ったわたしの声は、聊かヒステリック気味に聞こえた。けれど実際は蚊の鳴く程度の声量しか出なかったので、沖田が聞き取れたかどうかも怪しい。
それでも気まずくて、ゆっくりと視線を廊下に落とした。沖田がどんな表情をしているのか伺えなくなったが、依然として痛いほどの視線がわたしへと注がれているのはひしひしと伝わって来る。沖田は待っている、私の言葉を。

知ってる、抱かれたからって"特別"じゃないこと。知ってる、あいつは本命のあの子とは真面に目も合わせられないこと。知ってる、あいつがわたしの名前すら知らないこと。知ってる、

「あいつが、あたしのことなんてちっとも見ちゃいないことくらい、知ってるよ」

一回ヤらせてもらえたくらいで調子乗ってんじゃねえよ、本日何度となく取り巻きの子たちに言われた台詞。
そうだよ、正しくその通りだ。わたしがどれだけあいつのことを思っていても、淡い期待を抱いても、あいつはこれからもあの子しか見ない。わたしが辛いだけだ。心は疎か身体でもあいつを繋ぎとめることが出来なかったわたしなんかに、今更あいつが目をかけるなんて、有り得ない。
顔が上げられないわたしを見兼ねて、はあ、とわざとらしく大きな溜息を吐いてみせた沖田は、先程の冷たい声でなく、何時ものサラリとした声色で言葉を転がす。

「ほんっと、とんでもねぇ馬鹿ですねィ」
「…そうだね」
「塩らしくなんなよ、気持ち悪ィ」
「…ね、沖田は、あたしを励ましに来たの?それとも笑いに?同情?」
「残念、全部ハズレでさァ」

待ってましたと言わんばかりに愉快気に言い切った沖田は、突然わたしの肩をグッと掴んでわたしと向き合うと、そのままわたしの左肩の辺りに顔を寄せ、左耳に歌うように囁く。

「俺は、口説きに来たんでさァ、なまえを」

そんな甘い声を、私は知らない。けれどその声は紛れもなく目の前の沖田から発せられたもので、訳が分からない。先ほどまで刺すような夕焼だった差し込む光はいつの間にか夜の色を強めている。自分が何処かへトリップしてしまったんじゃないかという感覚に心身を持って行かれる。この状況は、あまりにも現実味に欠けていた。
ゆっくりとわたしの左肩から離れた沖田は目の前に居る筈なのに、どんな顔をしているのか分からない。

「…んな泣きそうな顔してんじゃねェよ」

弱々しく呟かれたその言葉を脳が飲み下すより先に、沖田はわたしの頭を思いきり自分の胸に抱き寄せた。勢い余って沖田の胸板で鼻を打ってしまった。ジクジク痛んで本当に泣きそうだ。けれどそんな沖田の無遠慮さは、相手への優しさの裏返しでもあること、わたしは知ってる。

「沖田、」
「おめえも知っての通り、俺は優しくなんかねぇ。こんなことしてんのも、ただ好きな女が傷心中なのをいいことに、その傷につけ込んででも手に入れたいが為のエゴでさァ」
「…沖田」
「おめえが認めるまで何度でも言ってやるよ、高杉はおめえを選ばねえ」
「…ねえ、」
「俺ならおめえをこんな傷つけたりしねえし、悲しませたりしねえ」
「ねえ!沖田、」
「…だから、高杉なんてやめなせェよ」
「……エゴだって言うなら、何でそんな辛そうな顔するの?」

それを聞くなり沖田はパッと苦笑いのような表情に切り替えた。とことん意地っ張りな奴だ。そんな意固地に虚勢を張る沖田の顔を下から見上げれば、脆く儚く私の眼に映り込んだ。それこそわたしが以前沖田を軽く揶揄した、"御伽噺の王子様"のように。
じわりじわりと奥から圧してきていた熱が、ついに目頭の防壁を決壊させた。

「俺の制服で勝手に泣いてんじゃねェよ」
「沖田だって、泣いてんでしょ」
「泣いてねぇ」
「…ありがと、沖田」

そう言って私は膝立ちに体制を変え、高くなった目線で沖田を小さく見下ろす。少しだけ不審そうな眼をした沖田に、わたしは精一杯の笑顔を見せる。沖田の表情が、分かり易く歪んだ。
そう。さっき沖田は自分のエゴだと言ったけれど、沖田の優しさを、想いを知った上でそれを利用しようとしているわたしは、沖田よりずっと狡くて卑怯で弱くて利己主義的だ。
膝立ちのまま、先程沖田が私にしてみせたように、沖田の左肩の辺りに顔を寄せた。沖田が何か言った気がしたが、わたしの耳には届かない。
そうしてわたしは囁いた。それはわたしのちっぽけな片想いにとっても、沖田の清純な片想いにとっても、宛ら死刑宣告のような言葉を。

「ね、あたしたち、付き合おっか 総悟」

それでも沖田は、わたしを変わらずにその暖かい腕で抱き締めるもんだから、わたしのまだ芽生えてもない恋心はしゃくりあげて泣いた。


テンダーを知っているか


2013.03.28


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