冷たい深津が告白する話


Note:『冷たい深津が嫉妬する話』に連なる


 手紙をしたためている。
 所懐。心がそのものに向かって働くこと、その内容。と、載っている。十八年で培われた語群では己が思いに太刀打ちできず、逐一辞書を引きながらペンを動かしている。想像していたより足踏みはしていない。どうやら対象へ抱えているものが強ければ強いほど、乗せるのはたやすいようだ。
 思いは、目に見えない。気配がない。存在するのかしないのか。疑問を払拭するためには、ほかの媒体を介す必要があった。文字で綴る。音で表す。肉体で訴える。どんな手段を用いてもよい。しかし、思いとは煙に似た性質をもつ。したたかなのだ。そのうえ計算高い。濃いうちは相手を視界に映すことも適わず、薄くなっていけばいったで半透明の白色はやがて宙になじみ、嫌なにおいだけを残してひとの不快感を煽る。
 深津先輩へ、という文字がお前の声で再生された。同級生だ。先輩なんて敬称がつくはずない。
 清廉とした便箋におさめられた日本語は丁寧そのもの。懸命に考えて出力したことが容易に窺える。時間をかけてしっかり書いたのだろう。雑な筆致でもなかった。きわめて読みやすい世界へ、しかし、没入するのは憚られた。うまくのみこめない。二枚に及ぶ、俺との出会いも、恋へ転がったなりゆきも、好きが募った経緯も、一から十まで俺となまえには当てはまらないエピソードだ。
 あなたが好きです。私と付き合ってください。お返事、待ってます――目の前に立つなまえの、つん、と尖る唇がすべて語って聞かせてくれたら。馬鹿げた夢想に耽る。そっぽを向いたお前の耳たぶが俺を嘲り笑う。憎たらしかった。どこまでも。
 俺となまえの出会いは、散々である。だとしてはじまってしまった関係が途切れることはなかった。今現在、友人関係ではない。恋人同士でもない。後者は、ゆくゆくなる。俺がバスケ部を引退したその日と決まっているのだ。相思相愛なのだから――だから、表現に悩めど、ペンは止まらない。動く、動く。
 では、という話になる。では、なぜなまえは他の女からのラブレターを突き付けてきたのか。
 なぜこんな目に遭わねばならない。
 生きていれば道理に合わないことや理不尽なことなんてざらにある、と達観した一方で、だからといってこんな仕打ちはないだろう、と腹に据えかねる己もいる――だから、自分勝手にペンが動く、動く。
 なまえはせんだって他校生に思いをぶつけられた。無防備なふるまいは以前から気に食わなかったが、なにより、告白された事実を他人の口から聞いたことに腹が立った。今回も似たようなものである。追い立てて、問い詰めたい。分かっていながらなぜ。
 ――わたしはラブレターなんてもらったことないから、単に羨ましかっただけ。ちょっぴり恥ずかしそうにしててかわいい子だったよ。それに、深津はわたしのこと煙たがっているんだから、別にいいでしょう。
「……馬鹿な女だピョン」
 呆れ果ててしまい当時はそれしか返せなかった――だから、悔しさのままペンが動く、動く。
 かつて練習の辛さで倒れそうになったり、合宿から逃げ出したりした俺を知りもしない後輩。顔すらぼやけているその子のラブレターを手にすると、確かに、嗅覚が作動する。紙面から立ち昇り、空気中の元素と結合し、俺を包む。なにごとにも好き嫌いがあるように、俺が気に入ることはなかった。それだけのことだ。差出人本人を直接呼び出し、断った。受け入れられない。バスケットしか考えたくない、と。嘘ではないが、好きな女がいることは秘めた。今回だけではなかった。告白を受けるたび、俺はこのおあつらえ向きな免罪符を振りかざす。
 こういうところが面白くないとなまえは言う。彼女は、とても辛抱強い。こうと決めたら最後まで貫く気概の持ち主だ。
 俺がなまえを知らず知らずのうちに傷つけてきたというのなら、これは因果応報に属しているのだろう。

「書いたピョン。なまえへのラブレター。差出人は俺ピョン」
 校舎裏への呼び出し。指を三本ぴっと立てたのは、三枚書いたからだ。なまえのはじめては俺が手にする。口を開けたまま彼女は固まり、いつまで経っても戻りそうにない。せっかく実体を与えたのだからと俺は自ら封を切った。
「受けとらないなら今ここで読み上げるピョン」
 俺は、なまえへ、と声にした。かなりはきはきと。闊達さを意識して。
「出会ったのは一年のとき。練習がきつすぎて校舎裏で吐いていた俺をあなたは見つけました。あのときは情けない気持ちでいっぱいで消えたいくらいでした。でも、応急処置に慣れているわけでもないのに、俺を放っておかず、ずっとそばにいて介抱してくれてありがとう。思えば俺はあのときからずっとなまえを見ていたのだと思います。よそ見なんてできないくらいに」
 案の定、なまえは目に見えて動揺した。信じられないという表情。そうだろうな、分かってる。俺の口を押さえようと伸ばしてくる腕を捕らえるのは容易だ。真正面から見据える。
 立っているのは、この三年あまりずっと焦がれた女だ。得たくて、得たくて、どうしようもなかった女。
 中略、と囁く。
「あなたが好きです。俺と付き合ってください。お返事、待ってます」
 セーラー服の胸に三枚の便箋を押しあてる。彼女は口ごもった。苛立つ。なぜ。なにを迷う。俺はお前が好きだと伝えた。お前も俺が好きなんだろう。わたしが恋人で恥ずかしくないの。もっとかわいい子が、これまでたくさんいたじゃない、とようやく発した声が心許ない。俺が、ここまで追いつめていたのか。
「俺が、なまえを好きだという気持ちに、恥ずかしいことなんてあるか」
 よく噂された。俺がなまえを煙たがっている、と。あながち間違っていなかっただろう。人の目があるなしは関係がない。二人きりでいたって同じことだ。同じ場所にいれば自然と目で追ってしまう。思考が塗り替えられ、なす術がない。だからどれだけ感じ悪く見えようが、部員たちに心配されようが、いち早く会話を終わらせた。見かけたくもなかった。バスケットに集中したい。その一方でお前を放っておけない。どちらかを切り捨てるのは不可能で、最大級の譲歩をしたつもりでいた。そうして、それをお前も理解し、納得していたと思い込んでいた。
「悪いと思ってる……本当に」
 でも、許されるなら、お前の気持ちが知りたい。
 そう続けようとした矢先だ。クシャッ。なまえが俺の腕の中に飛び込んできた。俺たちの胸同士で紙が潰れ、擦れ合う音が響く。今度は俺が硬直する番。彼女のにおいが俺を包む。逃れられない。瞬時に悟った。よい。このままで。なるたけ吸う。小さな手が俺の背に回る。あの日。あの夕暮れの校舎の影に在ったように。
 ――でも。
 なまえが言う。小さな音で、涙の滲む瞳で、思いは形作られる。
 ――でも、いくら、煙に巻かれていたってよかったの。深津のことが好きだから。
 ああ。
 声が漏れる。またこの女に肺腑を衝かれた。強く強く抱きしめる。せめて互いの思いだけは、空気に溶け出してしまわないように。
「馬鹿な女だピョン」
 と、呟くだけで俺も精一杯だった。


〈了〉



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