現在地点から一歩 | ナノ




「ふぅー…」

 ゆっくりと息を吐き出し、全神経を手元の釣竿に持っていく。
 視界は、暗い。
 時間は九時を回っていた。早く帰らないとサクラにも親父にも心配掛けるな…と思いつつ竿を振った

 大丈夫だ、出来る。

 自己暗示を掛けながら投げたルアーは、目的の場所から大きくずれて岩場にぶつかる

「〜っ!くそっ!」

 世界へ行こうと決めてから一週間が過ぎた。ハルが居なくなって、どことなく寂しさを感じていた矢先にコレだ。スランプに陥り、上手く出来なくなっていた

 行き場のない苛立ちでいっぱいだった
 そんな時、聞き覚えのある声が脳に響き渡った

「苛立ってんなぁ?」
「…アキラ」
「釣りが上手く行かねえって顔してるぜ?夏樹。」

 くつくつと憎たらしく笑いながら俺の隣に座って来たのはアキラだった。
 相変わらず頭にターバン巻いてアヒルを抱えていた。そんな変わっていない姿に思わず、ははっと乾いた笑みが零れた

「?何笑ってんだよ?」
「いや、別に」

 何も変わってないな、付け加える様に呟いた。強く握りしめて汗っぽくなった竿を置いて、そのまま地面に座り込んだ。アキラには行儀が悪いと咎められたが、気にせず遠くを見つめた

 懐かしい記憶が頭を駆け抜ける。懐かしいと言っても数週間前の事だ。そんな昔の事では無いのに、凄く昔の事に感じれた

「なぁ…」
「どうした?」




「お前…いつ頃行くの。」




 思わず口から漏れた
 本当は聞きたいわけでもないのに――

「お前が聞いてくるとは思わなかったよ」

 アキラも驚いたような声を上げた。当たり前だ、俺だって聞くつもりなんて無かったんだ。
 頭では理解してるのに、言葉が、思いが、勝手に溢れて来る。

「ハルが居なくなってから…、何にも上手く行かねえんだ……。」
「…。」
「釣りも巧く行かねえし…」
 
 泣き事言いたいわけではないのに口は止まること無く動き続ける。
 更には目がどんどん熱を帯びて、涙がぽろぽろと流れ始めた

「ハルが居なくてコレで…、お前が居なくなったら俺…っ!」

 どうすればいいんだよ…。
 気持ち昂り叫ぼうとすれば、視界が暗転した。

 目の前には偉く真剣な顔をしたアキラが覆いかぶさっていた。
 つまるところアキラに押し倒されていた、体中の体温が一気に上昇していく

「夏樹…。」
「ちょっ…アキラっ…!?んっ…。」

 言葉を遮るように唇を重ねられる
 突然の出来事で思考が止まっていると、口の中をアキラの舌が犯す

「ん…ふぁっ…!」

 鼻から抜ける様に出た自分とは思えない声に羞恥からか生理的な涙が溢れる
 と、同時に唐突に唇が解放されアキラも俺の上から身を引いた

 どちらの唾液か分からないが口の端から零れる
 ボーっとしていた頭が思考を再開し始めたところで口を開く

「お前…、なんで…」
「なんでだろうな」

 今の出来事が無かったのように普段と変わりのない顔で言うアキラ
 思考がついていかず納得いかない顔をしていると、アキラがふっと笑って口を開いた

「高校生の過ちって奴?」
「……は?」
「やりたいことをやっちゃう年頃なんだよ」

 意味が分からない。
 そう返してやろうとすると、俺が口を開く前にアキラは「じゃあな」と一言残し帰った


「なんなんだよ…。」

 いろんな気持ちがぐちゃぐちゃに混ざって付いていかない。
 でも――
 良く分からないけど、目の前は少しだけ明るくなった気がした

 やりたいことをやる
 それが間違いでも後悔せず進め

 そんな事はアキラは一言も言ってないのに、俺にはそう言っているように聞こえた

「……ふぅ。」

 釣竿を手に取り、全神経を手元の釣竿に持っていく
 ――大丈夫、出来る。
 ――やってやる!

 竿を振った
 ルアーは勿論、狙い通りの場所に落ちていた










***




世界に行くと決めてから精神面がズタボロになった夏樹と密かに心配してるアキラが欲しかっただけです。




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