※ストーカーの話です。苦手な方はブラウザバック推奨。
夜の8時28分。仕事を終えて帰宅したあと、お風呂に入って一息ついていたところで、玄関先から、カコン、と小さな音がした。
まただ。最近毎日のように聞こえてくるその音に身を固くする。そして、暫く経ってから立ち上がり玄関先へ近付くと、やっぱり丸まったティッシュが郵便受けに入っていた。
ここ数ヶ月、ポストの中に三日に一度は差出人不明の手紙が入っていた。真っ白い封筒の中身はいつも分厚く、封筒には小さな字で私の名前だけが書いてある。そして手紙の内容は決まって、好きだ、愛してる、だけを書き殴ったような濃く汚い字で5枚に渡って書き連ねられていて、最後には必ず綺麗な字で、俺が君を守る、と書いてあるのだ。封筒には切手も消印もなく、毎回誰かがこのマンションまでやってきて手で投函していることがわかる。
最初はいたずらかと思った。世の中には嫌ないたずらをする奴がいるものだと、そう思っていた。それに、もしこれがストーカーの仕業だとしても、特につけられている感じはしないし、手紙が届くだけで他に不審なことは何もない。身の危険を感じたことも、勿論ない。だから、放っておけばその内収まると思っていた。
そんな私の考えが甘かったと知ったのは一週間前。今日みたいにお風呂に入った後一息ついていると、玄関先から、カコン、と小さな音が聞こえてきた。その日は夜の10時を過ぎていて、こんな時間になんだ?と不審に思って玄関先に向かった。すると、郵便受けに何か白い物体が入っていることに気づいた。
郵便受けを開けて中を確認すると、中に入っていたのは丸まったティッシュ。嫌がらせだな、と確信して、素手は流石に嫌だったので取り敢えずストックしてある割り箸でティッシュを掴んだ。何か入っているのだろうか、そう思って割り箸でティッシュを開けてみると、もわっと嫌な臭いが立ち込めた。生臭いような鼻をつくその臭いに顔を顰める。そして気付いた。
これ、精液だ。
私だってもう成人した立派な大人で、そういった経験もあるし、精液の臭いくらい分かる。それに気付いた時、あまりの気持ち悪さに胃液が逆流してきた。思わずトイレに駆け込んで、胃の中の物を便器にぶちまける。落ち着いたところでティッシュをゴミ袋に乱暴に捨てて、布団に潜り込んだ。
ティッシュにこびり付いていたのが精液だと気付いた時、すぐにあの手紙のことを思い出した。あいつだ。名前も、容姿さえも知らない手紙の差出人の仕業だ。そうに違いない。私はその日、気持ち悪さと恐怖で眠ることができなかった。
そしてそれから一週間、毎日のように郵便受けに入れられる精液つきのティッシュは私を追い詰めていた。ご飯もろくに食べられないし、仕事にも集中できない。いい加減にしてほしかった。
私は気付いたら、彼氏であるカラ松に電話をかけていた。
コール音が数回鳴ったあと、プツリと切れて「もしもしハニー?」と低めの声が聞こえてくる。いつもなら、ハニーって呼ばないでって何回も言ってるでしょ、と小言を漏らすのだけど、そんな余裕もない。
「…なまえ?」
そんな私の異変に気付いたのか、カラ松が心配そうに私の名前を呼ぶ。その瞬間に、私は泣き崩れてしまった。
「…助けて、カラ松…っ」
「っ今どこだ!」
なんとか家にいることを伝えると、電話はすぐに切れた。もしかしたらまだ近くに差出人がいるかもしれない。そうしたら、カラ松が危険なんじゃ。そう思って、再度電話をしようとスマホに手を伸ばしたところで、玄関のドアがドンドンと音を立てた。激しい音に肩を震わせて固まると、「なまえ!どうした!大丈夫か!」と、カラ松の声が聞こえてきた。
早すぎるカラ松の到着に驚いたものの、カラ松が来てくれたというだけで安堵して玄関のドアを開ける。すると、肩で息をしたカラ松がそこにはいて、走ってきてくれたんだと胸がじんわり熱くなった。一方のカラ松は、私が泣いていることにすごく驚いて、どうした、なにがあった、と早口で私に問いかけてくる。
それが嬉しくて抱きつこうとしたところで、もしかしたら差出人がまだ近くにいるかもしれないということを思い出して、カラ松の腕を引っ張り玄関先に入れて急いで鍵を閉めた。
「…なまえ、一体どうしたんだ」
「カラ松…っ」
その私の素早い動きに驚きながら、カラ松が言葉を発する。それに答えるより先に、私はカラ松に思い切り抱きついてわんわんと子どもみたいに泣いた。怖くて気持ち悪くて仕方なかった。そんな私を、カラ松は戸惑いながらも抱き締めて背中をさすってくれる。その優しさが、心に沁みた。
しばらく泣いて落ち着いたところで、ようやくカラ松を部屋に上げて事情を説明した。それと、まだ玄関先に落ちていた精液つきティッシュも見せた。途中怖かったことを思い出して涙ぐんだけど、カラ松はそれを指摘せずに静かに聞いて、話が終わると怖い顔をして私を見た。そして、口を開いた。
「なんでもっと早くに言わない」
「い、いたずらだと思ってて…」
「だとしてもなぜ言わない!俺はなまえの彼氏だろう!」
部屋じゅうに響き渡るような大声で怒鳴ったカラ松は、その怒鳴り声にびくりと震えた私を見て大きくため息を吐く。
「…心配したんだ。今まで何もなかったから良かったが、犯されたり、拉致監禁されたらどうする。そうなったら俺は、そいつを殺してしまう」
「か、カラ松…っ」
「取り敢えず、無事で良かった」
また泣き出した私を、優しく抱き寄せるカラ松。温かい体温に包まれて、私は気付いたら眠ってしまっていた。暫くぶりの、ちゃんとした睡眠だった。
「大丈夫だ、なまえ。俺が君を守る」
カラ松が私を抱きしめながらそう呟いたことを、私はまだ知らない。
#05/09/16