花の金曜日。仕事を終えた私はおそ松からの『飲みいこーぜ!』という言葉に誘われるまま騒がしい居酒屋でビールを流し込んでいた。目の前には枝豆とたこわさ。それにおそ松の好きな炒飯。
 そもそもつまみに炒飯って何よ、炭水化物で酒が飲めるかっつーの。しかもどうせここの飲み代私持ちだし。おそ松の話は聞きたくないし。げんなりとして一旦口を離したビールにまた口をつければ、目の前に座るおそ松が「おっ!いい飲みっぷりだな!」と上機嫌な声を上げた。

「で、なに?」

「そう!そんでさー」

 早く終わらせたくて話の続きを促せば、やっぱり上機嫌で話し出すおそ松。せっかくの花金だっていうのになんでこんなに萎えながらアルコールを煽らなきゃいけないのか。そう思っているのに、おそ松の話は止まらない。

「なんつーの?ほんっと可愛いんだよね。ツンデレっていうかさ、まあほぼツンなわけだけど、俺の誘いは断らねえし、嫌な顔しながらもわがまま聞いてくれるし、なんてったって優しい!俺ニートだよ?しかも成人済みの男!俺だってさあそれがどれだけクズかってのは分かってるつもりなわけ。でもあの子は俺を蔑んだりしないの。そこがまたいいんだよなあ」

 ろくに相槌も打たない私に気付いてもいないのか、ベラベラと饒舌に話すおそ松。その内容は殆どおそ松が恋をしているという「あの子」の話ばかり。ああ、ほんと。嫌になる。私だってあんたからの誘い断ったことないし、あんたのわがまま聞いてあげてるし、ニートだからって蔑んだことないけど。そう思いながらたこわさをつまむと、おそ松が安っぽい木のテーブルに突っ伏して、半ば叫ぶように言った。

「もうめちゃくちゃ好き!」

 私もあんたのことめちゃくちゃ好き。

 でもまさかそんなこと言えるわけもなく、へー、と生返事を返してまたビールを煽る。あ、もうない。手を上げて「生ひとつー」と近くにいる店員さんに声をかけて今度は枝豆をつまんだ。

「えーなんだよー。相変わらずつめてーなー」

「話聞いてあげてるだけありがたいと思いなさいよ。しかもここ私持ちだってこと忘れないでね」

「はいっ、その辺りに関しては感謝しております!」

 ビシッと敬礼したおそ松に、白い目を向ける。普通好きな人の恋話なんて聞きたくないでしょ、そりゃ冷たくもなるってーの。それでもこうして来てしまうのは、惚れた弱みって奴なんだろう。まあそんなこと、この呑気な男は知る由もないわけだけど。

「てかさー、お前は?好きな奴とかいねえの?」

「…は?」

 なんだかこんな呑気な男を好きになってしまった自分が情けなくてジロリと睨めば、間の抜けた声でおそ松が爆弾話を持ちかけてきた。あんただよ!そう言ってやりたい気持ちを抑えて、タイミング良く店員さんが持ってきたビールを一気に流し込んだ。

「…別に、私の話よりあんたの話は」

「俺はもういいの!でもさ、お前のそういう話って聞いたことねえじゃん?ほらー、お兄ちゃんに言ってみろってー」

 話を逸らしたいから聞きたくもない話題を振ったのに、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべるおそ松。そして完全に私が話す流れになってしまって、深いため息を吐いた。

「…いるよ」

「えっいるの!?」

 投げやり気味に答えた私に、大袈裟なほど驚いてみせるおそ松。一瞬表情が曇ったように見えたけど、すぐに「なに、誰、俺の知ってるやつ!?」と食いついてきたので気のせいだったようだ。

「…あー、まあ」

「マジで!?…もしかして、弟だったり?」

 声を潜めて聞いてくるおそ松に、お前だよ!!!と言いかけてやめた。大体、私がおそ松の弟とあまり親しくないってことはおそ松が一番知ってるはず。それに加えて私とおそ松に共通の知人もいない。それなのに弟?と聞いてくるあたり、少しもその相手が自分だと思っていないんだろう。
 なんだか虚しくなってきた。何の為にほぼ毎週末あんたと会ってると思ってんのよ。私にだっておそ松以外の友達くらいいるんだからね。誘いもくるけど、あんたにいつ誘われてもいいように断ってるんだよ。聞きたくもないあんたの恋話だって、あんたに会いたいから仕方なく聞いてるんじゃんか。お金だって毎回奢ってるけど、私そんなお金持ちなわけじゃないからね。普段は少し節制してるんだから。それもこれも全部、あんたが好きだからじゃん。それなのに。

 ああ、もう、めんどくさい。なるようになれ。知らん。

 ぷつりと、私の中で何かが切れた。それと同時に、私は口を開いた。

「あんたの弟じゃない」

「えっ、じゃあ誰?!だって俺とお前に共通の、」

「私の好きな人は、馬鹿で、間抜けで、ニートで、アホで、いつもお金なくて、女に奢らせてばっかで、それを何とも思ってなくて、パチンコと競馬が生き甲斐のクズで、でもなんだかんだ頼りになって、悩んでたら話聞いてくれて、欲しい言葉をくれて、AVばっか見てるくせに意外と紳士で、どうしようもなくかっこよくて、私の気持ちに気付きもせずに自分の恋話ばっかして私を傷つけてくる、世にも珍しい六つ子の長男だよバーカ!」

 そこまで言い切って、私はさっきおそ松がしたように安っぽい木のテーブルに突っ伏した。正直こんなに勢いよくしかも早口で話したのなんて初めてで、息切れが酷い。それに別の意味で心臓がばくばくして痛い。勢いでキレながら告白みたいなことしちゃった。流石にこれで気付かないなんてことないよね。ひかれたらどうしよう。熱が引いて、冷静にいろんなことが頭の中を駆け巡る。
 騒がしい居酒屋で明らかに浮くほど静かな私たちのテーブル。なんか言えよおい。絶句かよ。でも顔を上げるのも怖い。そうは思ったけれど、上げないわけにはいかず、恐る恐る顔を上げる、と。

 そこには今まで見た中でも一番と言えるくらいに間抜けな顔をしたおそ松が目に入った。

「な、によその顔!!!」

「………え、あ、え…え、マジで?」

「ここまで言ってわかんないの?!あんた本当ばかでしょ?!死んだほうがいいレベルだよ!!」

 てっきり気まずい顔をしてるんだと思ってた私は、予想外すぎる反応に戸惑ってまたキレ始めた。なんだこれキレ芸をネタにしてる芸人じゃないんですけど私。

「……あ、ああ、ごめん」

「…そこで謝るかふつー?!?あー、もー、うっざい!」

「えっ、なっ、だってお前!そんな急に!」

「別に!私が伝えたかっただけだし!いいよ、あんたに好きな人がいるってことは嫌という程わかってるし。…うん、もういい。諦めるから。返事はいらない」

 そこまで言って私は立ち上がった。そして財布から一万円札を抜いて机に置く。分かってた。分かってたはずだった。だけど、おそ松のごめん、という言葉にひどく傷ついた自分がいた。こんな風に思いを伝えたかったわけじゃなかった。でも言ってしまった事実は変わらないし、おそ松には好きな子がいる。大丈夫。泣かない。あんたの前では泣いたりしないから。
 多分、自分でも情けない顔をしていたと思う。でもそうでもしないと、ギシギシに張り詰めた涙腺からいつ涙が零れ落ちてもおかしくはなかったから、私は笑った。笑って、じゃあね、と口にしておそ松に背を向けた。

 後ろで、「あ、おい!待てって!」と、ガタガタと机が揺れる音とおそ松の焦った声が聞こえたけど無視をして居酒屋を出た。その瞬間に涙が溢れてきて、袖口で乱暴に拭った。なのに、涙は止めどなく溢れてくる。その時、後ろから手首を掴まれて私は立ち止まった。

「逃げんなよ」

「…逃げてないじゃん」

 相手は誰か、なんて振り向かずとも分かっていた。せめて泣いてることを知られたくない私は、おそ松に背を向けたまま俯く。

「ていうか、諦めるってなに?なんで諦めんの?」

「…なに言ってんの。あんた好きな子いるでしょ」

「諦めんなよ。あと返事は聞けよな」

 それなのに、後ろで好き勝手言うおそ松にいい加減腹が立ってきた。諦めんなってなに、あんた好きな子いるくせになに言ってんの。しかも返事聞けって、ふられるのわかっててなんで聞かなきゃいけないのよ。ふざけんな!!!

「あんたねえ!!!ふざけるのもいい加減に、」

「俺、お前が好きだよ」

 泣いてることを知られたくなかったけれど、そんなことどうでも良くなって怒りに任せて振り向き様に怒鳴り声を上げた。けど、私の言葉はおそ松の真剣な声に遮られた。

「……は?」

「お前が好きだった、ずっと。だから嫉妬させたくてお前のこと知らない奴みたいにお前に話してた。けどお前、ちっとも嫉妬しないどころかどうでもよさそうなんだもん。今日なんかもうヤケクソだったよ俺」

 にへらと笑うおそ松。何を言ってるのか、理解するのに時間がかかった。おそ松の言葉を反芻して噛み砕く。待って、だって、え、そしたら。

「…今まで私に話してたの、全部私のこと?」

「そうだって言ってんじゃん」

 そして、その言葉を聞いたら嘘みたいに泣けてきて、ついには嗚咽を上げて泣いてしまった。そんな私を見て、愛おしそうに抱きよせるおそ松。おそ松の腕の中は思ったより温かくて、どくどくと煩いおそ松の心臓にまた泣けてきた。

「なっ、なにそれぇ…っ!」

「うん、ごめんな。お前が俺のこと好きなんて考えたこともなかったわ」

「わ、私がどんだけ傷ついたと…っ!」

「だよなあ、ほんと、ごめん」

 ぎゅう、とおそ松の腕の力が強まる。もうそれだけで充分だった。この温もりさえあれば、何もいらないとさえ思った。

「…す、好きだよ、おそ松…っ」

「俺も好き」

 へへ、と笑うおそ松を見上げれば、ひでえ顔、と笑われた。そして優しく唇が触れた。この人がどうしようもなく好きだと、そう思った。


金曜の憂鬱

#01/25/16