なまえが家を出て行って一週間が経った。兄弟たちは、あいつはどうしたんだと心配する素振りを見せ始め、母さんに至ってはおろおろと家の中を行ったり来たりしていた。そんな中俺とおそ松兄さんだけは冷静で、事の発端からなぜ出て行ったかを知っている俺たちは家族に何か言うことをしなかった。

 おそ松兄さんに怒られても仕方ないことをしたと思う。苛立ちに任せて、言ってはいけないことまで口にした。それなのにおそ松兄さんは何も言ってこなかった。それどころか、騒ぎ立てる兄弟たちに「そのうち帰ってくるって」と漫画を読みながらそう諭していた。

 その態度が逆に辛かった。責めてくれればよかったのに。お前のせいで、と怒鳴ってくれたらよかった。その方が気が楽だった。だけどそれすらしてくれないおそ松兄さんは、俺が罪悪感に駆られたらいいと思っているらしい。現に、俺は罪悪感で胸がつぶれそうだった。


 なまえがいない生活は味気ない。苛々することも胸がざわつくこともなくなった。ただ、それに比例するように途轍もない寂しさとか切なさが襲ってきて、今までにないくらい苦しくなった。生活の一部になまえの影を見つけ出してはそれを追いかける日々。そして俺の景色は色を失った。

 罪悪感に埋もれながら、ここまできたら認めざるを得なかった。薄々分かっていた自分の気持ち。認めたくないと肩肘を張っていた、この気持ち。


 俺は、なまえが好きだ。きっと、おそ松兄さんに初めて笑顔を向けたあの日から、いやその前から、もしかしたら一目見た時から、俺は、なまえが好きで、好きで、たまらなかった。


 自分の中で認めた途端、胸がずっと苦しくなった。会いたかった。きっとなまえはもう、俺を見たくもないだろう。そうは分かっていても、一目だけでも見たかった。今までの4年間を、なかったことにしたい。そんなことは到底無理だって、分かっているけど。

 そんなときだった。家の中にも地響きするようなけたたましいブレーキ音と衝撃音が聞こえてきて、なんだなんだと家族総出で表に出る。見れば、家のすぐ近くで事故があったらしい。大型トラックが中途半端に止まっている。


「おい、事故だよ」

「マジかよ。人轢いちゃった系?」

「そんな呑気なこと言ってる場合じゃないだろ!怪我人がいないか確認しないと!」


 急いで駆け寄れば、トラックの運転手は呆然と運転席に座っている。その視線の先に目を向けると、ひとりの人間が頭から血を流して倒れていた。悲惨な光景に思わず目を背けたくなったが、母さんの「救急車!」という叫び声にハッとして、倒れている人間へ近づき、目を見張った。


 そんな、まさか、なんで、どうして。頭が真っ白になり、思考が停止した。だって、そんなわけない、なんだって、こんなこと。

 固まる俺を見て、兄弟たちも近づいてくる。そして、倒れている相手を見て、皆固まった。


 それは、紛れもなく、一週間前に家を出て行ったなまえで。俺が酷い暴言を吐いて傷つけたなまえで。4年前、俺たちの家に住み始めて居候していた、あのなまえだった。

 遠くで、母さんが救急車を要請している声が聞こえた。トド松が泣き崩れ、十四松が発狂し、チョロ松兄さんが「なまえ…?」と近寄り、カラ松が膝から崩れ落ちた。そんなものさえも、まるで現実味が帯びなかった。


 なまえが、なんで。どうして頭から血を流して倒れているの。どうして皆そんなのに慌てているの。なんで泣くの。どうして、なんで。


 ただただ立ち尽くすことしか出来ない俺は、目の前の光景を傍観するばかりで。そんな俺に、おそ松兄さんが近寄り、俺の肩をたたく。


「…一松。しっかりしろ」


 その声だけはやけにはっきりと聞こえてきた。そして、目の前の光景が急に現実味を帯び始め、俺は後ずさり、後ろに倒れこんだ。


 俺のせいで、俺のせいでなまえが事故して、今、頭から血を流して倒れている。俺のせいで、俺のせいで、俺のせいで。

 体が小刻みに震えた。今の今、なまえを好きだと認めたところだった。そんな相手が今、今。


 救急車のサイレンが近づいてくる。赤い血がやけに鮮明に見えた。



覆水盆に返らず
(それは再三あいつを傷つけた俺への罰なのか)

#12/14/15