私は、私の彼氏である松野一松がなにを考えているのか、さっぱり分からない。
彼と付き合いだしたのは1年前。私から告白して、「まあ、いいけど」という淡白な返事を貰った事で私たちの交際はスタートはした。私は彼が好きで好きで、大好きで、毎日のように彼に好きだと伝えては「ふうん」「そうなんだ」「昨日も聞いた」と受け流される日々を送っていた。それは1年経った今でも変わらなくて、私は彼から好きだの愛してるだのといった甘い言葉のひとつもかけてもらうことはなく、付き合っているのに片思いしているかのような錯覚に陥ることが度々あった。
言葉足らずな彼だから言葉にしなくとも私のことを好いてくれているはず。そう自分に言い聞かせて誤魔化してきていた。けれど、1年記念日を迎えた1週間前、私はついに我慢できず「私のこと、好き?」と彼に聞いてしまったのだ。好きだと言ってくれると思ってた、言葉にしなくてもいい、頷いてくれるだけでもよかった。それなのに彼から出た言葉は「ばかじゃないの」。
ええ、泣いた。泣きましたよ。流石に悲しすぎました。だってそれってどういう意味?好きなわけないじゃん、ってこと?そうだとしたら暫く立ち直れそうにない。私は彼が本当に好きなんだ。
好きで好きで仕方なくて、付き合えた時はあんな返事でも飛び上がるほど嬉しかった。帰ってから嬉しすぎて感極まってちょっと泣いたくらいには彼のことが好きだ。だから恋人になっても態度が変わらなかろうが、好きだと言われなかろうが我慢できた。だって好きじゃなきゃ付き合わない、そうでしょ?
でも違ったんだね、それは私の勘違いで、私のことなんて好きでもなんでもなかったんだね。じゃあなんで付き合ってくれたのさ。なんとなく?気分?振るのが面倒だった?どんな理由にせよ悲しすぎる。私って一体なんだったんだろう。
1年記念日のあの日、ぼろぼろと泣き出した私を一松はぎょっとした目で見ていた。その反応も悲しくて公園を飛び出して以来一松とは会ってない。連絡が来るかな、とちょっと期待もしたけどそんな期待すら悉く裏切られ、私はひとり家で引きこもることしかできずにいた。この一週間、泣いてない日はないんじゃないかってくらい泣き明かした。お陰様で目は腫れて、とてもじゃないけど見れた顔じゃない。
「ぶっさいく」
自分で呟いて、鼻で笑った。もう、潮時なのかもしれないな。別れよう。そう思った。そして、彼と付き合っていた時のことを考えてまた泣いた。泣き止んだら、連絡しよう。今まで付き合ってくれてありがとう、もう別れよう、大好きでしたって。ああ、1年間、やっぱり幸せだったな。そんな思いに耽りながら泣いていると、唐突にインターホンが鳴った。もしかしたら一松かもしれない。私は別れようと思っていたことも泣き腫らした目も忘れて一目散に玄関に向かい、扉を開けた。
すると、そこに立っていたのは、一松にそっくりな六つ子の兄弟である、おそ松だった。
「うわっ、目腫れすぎだろ!すげえブスになってんじゃん!」
私はがっくりと肩を落として、そして開口一番に失礼極まりない言葉を発したおそ松をジロリと睨んだ。
「なに、茶化しにきたの。なら帰ってくれる?」
「おいおい、折角心配してきてやったのにそれはないだろー。いいから入れて」
私を押し退けてずかずかと家にあがるおそ松。図々しいやつめ。そう思いながらも私は玄関の扉を閉めておそ松のあとを追うように家の中へと入った。
「いやさー、最近なまえ見ないから一松に聞いたら知らないとか言われて。これはなんかあったなーと思って来てみたら、その顔、どうしたんだよ。いくらなんでも泣きすぎだろ」
どかりとソファに腰をかけたおそ松は、私が何かを言うよりも先に話し出した。心配してきてくれたというのは本当らしい。でも今はそんなことよりも、一松かもと期待した自分が情けなくて、別れようと決めたばかりだというのに未練たらたらな自分が嫌になった。深いため息を吐くと、おそ松は怪訝そうな顔をする。
「なんだよ。一松じゃないからってそんな態度はないだろーお兄ちゃん悲しい」
「…いや、そういうわけじゃ……まあ、いいや。なんか飲む?心配してきてくれたんでしょ?ありがとう」
「いいってことよ!じゃあコーヒーちょうだい!」
「待ってて、もってくる」
お湯を沸かしてる間にアイスノンをハンカチで包み目に当てる。リビングからテレビが流れる音が聞こえて、そういえば1週間テレビもつけていなかったことを思い出した。コーヒーとアイスノンをもってリビングに入ると、部屋が明るいことに気づく。あっ、カーテンも閉めたままだった。私どれだけ凹んでたんだろう。そんな自分に苦笑いが漏れた。
「はい、コーヒー」
「おー、ありがと!で?一松と何があったわけ?」
「うん、それが…」
さっきとは打って変わって真剣な表情のおそ松に、付き合った経緯、今まで不安に思っていたこと、そして1週間前の出来事を打ち明けた。人に一松とのことを話すのは初めてで、言葉にしたらまたなんだか泣けてきた。最後の方はもう号泣で、何を言ってるのかきっと分からなかったと思う。それでもおそ松は真剣に私の話を聞いてくれた。
「…ふうん、なるほどね」
「…っ、わ、私…っ、ほ、ほんとに一松が好きで…っでもっ、それと、お、同じくらいっ、苦しかっ…た…っ」
「うん、もう分かったから。辛かったな」
「っく…っ、ふ、ぅ…っおそ松…っ」
号泣する私の頭を優しく撫でるおそ松。その手つきが優しくて、また泣けてきた。撫でていない方の手でなにやらスマホを弄っていたけど然程気にもならなくて、私はとにかく泣き続けた。
「ごめん…泣いて」
「気にすんなってそんなこと!」
「ありがとう…」
それから私が泣き止んだのは、たっぷり10分後のこと。号泣する私の頭をずっと撫でていてくれたおそ松はやっぱりお兄ちゃんだ。すると、今までちょうどいい距離感を保っていたおそ松が急に距離を詰めてきた。
「え?どうしたの?」
「いや、ちょっと」
「なに、」
どうしたの、その言葉は出なかった。急に距離を詰めてきたおそ松。そして私は、おそ松に抱き締められていた。え?なに、急に、え?いきなりの出来事にただただ驚いて声も出ない私に、おそ松が耳元で話し出す。
「なあなまえ、そんなお前のこと不安にするようなやつ、やめとけよ」
「……えっ、あの」
「俺だったら不安にさせないけど、どう?」
「ど、ど、どうって、え、あの、」
「ていうかさ、男を簡単に部屋にあげちゃダメでしょ」
え?そう思った時には既におそ松にソファに押し倒されていた。目の前にあるおそ松の顔は真剣で、おそ松が強引に入ってきたんでしょ、というタイミングを逃してしまった。ていうかなにこの体勢。えっ、なに、どういうこと。私なんでおそ松に押し倒されてるの。
「ちょ、なに急に。ど、どうしたの?」
「俺にしとけって」
意味わかんないんだけど。えっ、まって。もしかしてこれやばい?そう思って、おそ松に抗議の声をあげようとした、その時。
「なまえっ!」
慌ただしい声と玄関の扉が開く音が聞こえたかと思うと、今度はバタバタという足音と共にリビングの扉が思い切り開いた音がした。その音の方に顔を向けると、そこには彼氏である一松が立っていた。
「…兄さん、なにやってんの」
えっ、なんで一松が?そんな急いでどうしたの?ていうか、なんか、めっちゃ怒って…る?もう一気に色んなことが起こりすぎて頭がパンクしそうな私。そんな私をよそに、おそ松が私の上からゆっくりと退いた。
「なに、って、見ての通り?」
「…は?ていうかなにあのライン。喧嘩売ってるの?」
「売ってないけど、なんなら売ろうか?」
なにこの一触即発な雰囲気。明らかに不穏な空気を漂わせてるふたりに、私は戸惑いを隠せずにいた。とりあえず起き上がり、どうしたらいいものかとふたりを交互に見回す。
「なまえも、なんでこの男家に上げてるの」
「……えっ、私!!?」
「簡単に男を家に入れてどういうつもり」
「えっあの」
「…話はあとで聞くから、言い訳あるなら考えといて。それよりも、おそ松兄さん。事と場合によっちゃ、俺許さないけど」
待って、なに、話に全然ついていけない。なんで私も怒られてるの、ていうかなんで一松が、どういうこと。軽くパニックに陥る私に、ついにおそ松が声を発した。ただそれは、この場にまったくそぐわない、笑い声だった。
「ぷっ……あは、あはははは!!!」
「…は?なに、なにがおかしいわけ」
「いや、いやいや、ぶっ、こんな必死な一松、は、初めて見た…っ!」
そしてついには笑い転げ始めたおそ松。意味がわからなさすぎて目を白黒させていると、そんな私を見ておそ松がさらに笑い出した。
「ひー、腹いてぇ」
「意味わかんないんだけど、どういうことか説明してくれる」
「いやー、悪かったな一松、試すような真似して」
「は?」
「なまえ、お前めっちゃ愛されてんじゃん。自信持てよ」
「えっ、待って、どういう「まああとはうまくやれよな!あ、今度お礼にうまいもん奢ってくれよー!じゃ、俺帰るわ!」
ひたすらに笑ったおそ松は戸惑う私と困惑した面持ちの一松を置いてにこやかに去って行った。どういうことなの。なにこの嵐が去った感。一気に静まり返るリビング。私は目の前で立ち尽くす一松に目をやった。
「…どういうこと」
「えっ」
「意味わかんないんだけど」
その顔はなんとも言えない複雑な表情で、一松が私を見た。私も分からない、というように首を振ると、暫く黙り込んだ一松は何かに気付いたように深いため息を吐いた。
「…やられた」
「え、どういうことかわかったの?あれは一体何だったの?」
「……いや、別に」
わけを話す気はないのか、そこから一松は何も喋らなくなってしまった。また無言の時間が流れる。そういえば私、一松と別れようと思ってたんだっけ。嵐のような出来事のせいで忘れていた気持ちがまたぶり返してくる。黙りこくる一松の顔を見ても、そこからわかることはなくて、私から沈黙を破った。
「…一松」
「……なに」
「どうして家に来てくれたの?」
「別に…お前こそなんでおそ松兄さんを家に入れたりなんかしたわけ」
「それは…」
あなたを思って泣いていたところを慰めに来てくれたからだよ、なんて言えるわけもない。今度は私が口をつぐむ。と、一松がムッとした顔をした。
「なに、言えないの」
「そ、そんなことより先に私が質問したことに答えてよっ」
「…なにされたの」
「…え?」
「おそ松兄さんに、なんかされたの」
気怠そうな雰囲気を常に纏っていた一松。だけど、今はそうじゃなかった。なんか、怒ってる…っぽい。そういえば私は彼が怒ってるところを一度だって見たことがない。その雰囲気に圧倒されていると、さらに目を鋭くした一松が私を見た。
「黙ってるってことは、肯定ととっていいんだよね」
「え、あ、違う、な、なんもされてないよ」
「じゃああの体勢はなんだったわけ」
「わ、かんない。急に抱き締められてそれで…」
「……は?」
声のトーンが明らかに下がったのが分かった。どうしよう。なんかめっちゃ怒ってる。私、なんかした?
「抱き締められたってなに」
「わ、わかんな…泣いてたら急に」
「泣いた?なんで」
「あ!そ、れは……」
しまった、と思った時にはもう遅かった。怒られて動揺して言わなくていいことまで言ってしまった。明らかに目を泳がせる私を見て、一松は眉をひそめる。
「なに、言えないの」
「……あの」
「おそ松兄さんに慰められたかったわけ、俺じゃなくて」
「…!ち、ちが、いちま「言えよ!!!なんで泣いたんだよ!!」
急に怒鳴り声を上げた一松。私はびくりと肩を震わせて俯いた。そして、今まで耐えていたことが全部溢れ出してきて、涙に変わった。
「…………あ、え、なまえ…」
「…〜っ、ぅ、ふ…っ」
「ご、め…」
「い、ちまつがっ!!!一松が悪いんじゃんかっ!」
ぼろぼろと頬を伝う涙はもう止まりそうになくて、今まで言っちゃダメだと我慢してきたことが全部口から零れ出した。
「今までずっと不安だったっ!つ、付き合ってるのにっ、ずっと片思いしてるみたいで…っぅ、っ、1週間前っ、私のこと好き?って聞いたらばかじゃないのって言われて…っ、悲しかった…っ苦しかったよ…、私のこと、ふ、ぅ…っ全然好きじゃ、な、いんだって…っっ、私ばっか好きで、も、辛いよぉ…っ!」
そしてついには崩れ落ちるようにして泣いた。なんで私が怒られなきゃいけないの。あの日から連絡一本も寄越さないで、急に家に来たと思ったらこれで。なんなの。ほんと、ふざけないでよ。そう思ってるのに、一松といると好きで好きで胸が苦しくなるし、ドキドキするし、好きすぎてたまに泣きたくなるんだよ。
だから、ねえ、私のことも好きになってよ。お願いだから。
しばらく泣いていると、今まで微動だにしなかった一松がようやく動き出した。ゆっくり、ゆっくりと私に近づいてきて、そして泣き崩れた私を包み込むように抱き締めた。
「…ごめん」
「…っな、にが…っ」
「ごめん」
ねえそれは、何に対してのごめんなの。そんなことも言えなかった。ぎゅう、と抱き締める力が強くなる。
「…好きだよ、ちゃんと」
「……っ、」
「それと…、さっきは怒鳴ってごめん。……兄さんに嫉妬した」
そして聞こえてきた言葉に目を見開いた。今、好きって言った…?嫉妬したって…、そう言ったの?だとしたらずるい。ずるいよ。ずっとずっと苦しくて、悲しかったのに。その一言ですべて許せる気がした。
「ほ、ほんと…っ?」
「…うん」
「じゃ、じゃあ…っ、ばかじゃないのって言ったのは…!?そんなわけないだろってことじゃないの?!」
「そ、れは……」
「言って、ちゃんと言って…っじゃなきゃ、私、馬鹿だからわかんないよ…っ」
「………て、れかくし」
「う、…っうぅ…っばかじゃない…っ」
ああ、もう。なんだってこんなに愛しいんだろう。好き、好き、本当に好き。何度言ったって足りない。今まで苦しかったこととか、悲しかったこととか、全部忘れられた。一松は知らないんだろうね、私がこんなにあなたを好きなこと。
「…なまえが」
「ん?」
「なまえがそんな風に思ってるなんて知らなかった」
暫くしてようやく泣き止んだ私に、一松がそう声をかけてきた。その顔を見れば、少し寂しそうで、私はなにも言わずに手を握った。
「…俺も、馬鹿だから。言ってくれなきゃわかんない」
「…うん。ごめんね」
「……なんでなまえが謝るの、悪いのは俺でしょ」
首をもたげた一松。そんな一松が可愛くて、愛しくて、今度は私から抱きしめた。その背中は思ったよりも広くて、一松が男なんだってひしひしと感じられた。
「…なまえ」
「ん?なーに?」
「思ったこと言え、っていったよね」
「うん、言った」
「じゃあ言うけど、俺、おそ松兄さんを簡単に家に上げた挙句抱きしめられて押し倒されたこと、許してないから」
「えっ、ちが、あれは!」
「…だから。抱かせて」
「……えっ!?」
「なまえがいいよって言うまで待つつもりだったけど。もういいよね」
「えっ、ちょっ、いちま、「もう黙って」
そして降ってきたキスは、優しくてとろけるほど甘くて。我慢してたなんて初耳だったけれど、まあいいかと思って目を閉じた。これが私のファーストキスだって一松は知らないし、初めてをあげたって言ったらどんな反応するかな。きっと顔を真っ赤に染めて、「ばかじゃないの」っていうんだろうな。そんな一松がまるで目に見えるようで、私はその優しいキスに身を委ねながらこれからの日々に思いを馳せたのだった。
ちゃんと言って
(言葉にしなきゃ伝わらないのです)
#12/4/15