くそやろう、くそやろう、くそやろう、くそやろう。幸せそうににへらと笑う彼の顔を見て、私は心の中で何度も毒づいた。でもそれだけじゃ足りなくて、ばれないようにその場から立ち去った。

 松野家の長男、松野おそ松が結婚した。


 相手は可愛らしい優しそうな女の子。おそ松の隣で楽しげに六つ子と話すさまはさすが長男のお嫁さん、といった感じで。おそ松の隣にいるのが当たり前とでもいうように、自然のその場に立っていた。
 なんだってこんなことになったんだ。本来ならあの場所は私のものだった。だって、ずっとずっと一緒にいたのに。生まれてから二十数年、血は繋がっていなくとも私たちは本当にずっと一緒にいた。いたずらをするのも、兄弟たちに何かあれば助けに行くのも、ずっと一緒にやってきた。それなのに。

 今になって幼馴染というこの立場が憎くて仕方ない。私のほうが近くにいた。私のほうがたくさんの時間を共有してきた。私のほうが、おそ松のことを理解している。だって私は、ずっとずっとおそ松が好きだった。


「おそ松のばーか!!!」


 悔しさと悲しさと切なさで涙がこみ上げてきて、年甲斐もなくぼろぼろと涙をこぼしながら叫んだ。ぽっと出の女にずっと好きだった相手を取られて、しかも結婚するとか言って。私がどれだけ「働きなよ」と言っても聞く耳すら持たなかったのに、あの子に言われた途端重かったはずの腰を軽々と上げて働き出して。どれだけ私を惨めにすれば気が済むんだ。なんで私じゃだめだったんだ。くそやろう、くそやろう、くそやろう…っ!

 でも本当は分かっていた。生温い関係に浸って、告白して今まで築き上げてきた関係が崩れたら嫌だなんて臆病にもなにもできなかった私が、おそ松と付き合えるはずなんかないんだってこと。わかってた、恐れず始めなければ何も変わらないってこと。わかってた、わかってたんだ。

 だけど、それでも、好きだから。ずっとずっと好きだったから。悔しいのは、何もしてこなかった自分に対して。悲しいのは、結局結婚するまで自分の気持ちを打ち明けられなかったことに対して。切ないのは、なにもしないままあきらめることしか出来なかったことに対して。全部全部、自分のせいだけど。だけどやっぱり、おそ松をけなすことでしか、私の気持ちは発散できそうにもなかった。


「おそ松のばーか!あほ!まぬけ!元クソニート!クーズ!!」

 今時小学生だってこんな陳腐な暴言は吐かない。自分のまぬけさにも腹が立ってきて、ついにその場に崩れ落ちるようにして、また泣いた。


「でも…好きだよ、ずっと、好きだったよ…っ」

「…知ってた」


 その時、聞こえてくるはずのない声が聞こえてきて私は驚いて振り向いた。一瞬、おそ松に見えたその顔は、おそ松に瓜二つな、でも、おそ松よりも覇気のない、だるそうな顔をした、私が見慣れた顔だった。


「…い、ち松…」

「なまえがいないって、おそ松兄さんが。…それで捜しにきた」

「………聞いてたの」

「…おそ松のばーか、辺りから」


 なにそれ、超最初からじゃん。ていうか知ってたって何よ。それよかなんであんたが迎えに来るのよ。ここはおそ松が迎えに来るところじゃん。色々と思うことはあったけれど、私は何も言わずに俯いた。そんな私をじっと見つめている一松は、何を思ったのか私の横にしゃがみ込んでくる。


「…なまえがおそ松兄さんを好きなのは知ってた」

「……だからなによ」

「だけど、関係を崩したくないって思ってることも知ってた」

「…なんなのよ」

「アホなおそ松兄さんはそんなこと全然知らないのも、全部知ってたよ、俺」

「だからなんなのよっ!!」

 いつも寡黙で、たまに話したと思えば皮肉や毒舌で、そんな一松がつらつらと饒舌に私のことを語るから、腹が立って声を荒げた。だからなに、なんなの、あんたに私のなにが分かるの。もう、どっかいってよ。その内いつも通りの顔して、みんなのところにいるから、だから、今は一人にして。
 そう思ったけれど、全部声にはならなかった。正確には、出そうとして一松に遮られた。


「なんで知ってたと思う…なまえがおそ松兄さんをずっと見てきたように、俺もなまえのことずっと見てきたからだよ」

「…は」

「俺も、ずっとなまえのこと好きだった」


 突然の言葉に、私は一松を見つめたままぱくぱくと口を動かすことしか出来なかった。なに、なにいってんの一松。だって、そんなの、いつから。


「多分、なまえがおそ松兄さんをそういう目で見始めた辺りから、俺もなまえのことそういう目で見てた」

「…な、にを」

「ねえ。俺、おそ松兄さんにはなれないけど。容姿はほぼ一緒だよ」

「だ、だから…なにいってんのか、わかんな「俺にしとけば」


 吃驚して、本当に吃驚して、私はただただ呆然とするしかなかった。おそ松が結婚して、泣いて、もうどうしようもないって思うくらい悔しくて悲しくて切なかったのに。今はそんなことも忘れて、ただいつもとは違う真剣な眼差しを見つめることしか出来ず。


「なまえ、俺と付き合ってよ」


 そんな言葉を、私はやっぱり呆然としたまま聞くことしか出来なかった。