部屋に戻ると意外な人がそこにいた。にやりと笑う冷徹な人。たれ目がちの全て見透かす眼をもつ人。襖を開けて呆然と佇む僕を見て、いつもの表情を浮かべている。けれども心の奥では、意外だと思っていない自分もいることに気づいていた。彼はいつか必ずここに来るはずだと、ずっと前から予感していたような気がするのだ。それはおそらく彼を初めて見た時から持っていた予感。


「……どうしてここに」


答えの分かりきったことを尋ねながら襖を閉じる。その動作を終えてから少し後悔した、逃げ出すか彼をここから追い出すべきだった。裏腹に期待をする自分を、そうして無視してしまうべきだった。


「ふ、私がなぜここに居るかと、分かっているくせにわざわざ問うのか?」

あまり野暮なことを言わせるなよと、くつくつ笑う彼の横を、無表情で通り過ぎて机の前に座る。斜め後ろの彼と背中合わせになる格好だった、彼の顔が見えない位置を、僕はわざと選んだのだ。あの眼を見ればたちまち全てを持っていかれるのがわかっていた。

気の無いふりをする僕は背中の神経を過剰とも言えるほど緊張させて、ただ彼を意識する。こんなのはまるで阿呆だ、そんなことは分かっていた。けれども背後の彼を手に入れるという欲望に従順になるわけにもいかないのだ、なぜならあの人が、そう、彼にはあの人がいるから。



「……あの綺麗な人だけに執着していればいいものを」

眼の奥にちらつく紫に、思わずまぶたを落とす。響いた声は自分のものなのになぜか自らを嘲笑っているかのように聞こえた。


「あれか。あれも相当だが……、君も充分に綺麗だろう」


背後に感じていた気配が、すぐ近くのものへと変わる、そしてそれはひとつの感触になる。彼が僕を抱きしめたのだ。そして首筋に息を吹きかけられる、意識していないふりをするのは止めろとでも言った風に。



眼を閉じてもそこにある色は消えない。あの人の存在は消しようがない。後ろから彼に抱かれている僕を、あの人は内心を悟らせない笑みでただ見つめている。

背後の彼を許すこと、例え彼が言うように僕が綺麗なのだとしても、彼の欲しがるものは僕一人だけではないのだ。僕がどれだけ彼に恋い焦がれても、あの紫には到底適うはずもない、綺麗だとか美しいだとか、愛してるだとかを、そういう類の言葉を、ただ僕だけに囁くはずがないのだ。


「いい加減に、して下さい」

「ほう?体はもう反応し始めているというのに」


ざらつく舌がそろりと項をなぞった、震える背筋を抑えきれずに吐息が漏れる。そんな自分を嫌悪しながら、確かにその感覚に溺れ始めてもいた。続く愛撫は蜜よりも甘い波、その水底へ沈んでゆく他、僕にどうしろと言うのだろう?

そうして耳元で彼がまた笑う、まぶたの裏であの人が僕を見つめる。こころ内であの紫を纏う人に許しを乞うた、ああ僕を許して。気まぐれな彼のことなら嫌という程分かっているのだ、僕を終えたら彼は真っ直ぐあなたのもとへ帰ってゆく、ああ、だからただこの一時の寵愛を授かろうとする僕を、許して欲しい。


 シスルに詫びろ



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